朝食はハムエッグ
日が登り、世の中のほとんどの人が動き始める頃。
熱したフライパンに卵を静かに流し入れ、程よく固まったら丁寧に巻いてスペースを空ける。そこに再び卵を流し入れる。この作業を繰り返し、ほんのり焼き色が付いたらフライパンから上げる。ふわふわの卵焼きが完成した。その出来合いに満足気に頷き、お弁当に詰めて残りは朝食用だ。
お弁当を詰め終えた後は、レンジで作った温野菜を皿に並べる。味噌汁とご飯を盛りリビングのテーブルに置いて朝食の準備は終わりだ。今朝はいつもより頑張ったかなと、自分を褒めて座り箸を取った。
基本的に朝食は簡単な物で済ませる。朝は時間との戦いだからだ。本音を言えば、納豆や味付け海苔と言った簡単なおかずで十分だ。だが、少しは料理を頑張ってみようかと思い、最近は何かしら作る事が多くなっている。節約にも丁度いいかと何気に楽しくなり長続きしていた。
ある日の事、仕事帰りに買い物をしているとスマホに着信が入った。誰だろうと思い見てみると、友人の美希だった。
「もしもし??」
『あ、佐奈??ごめんねー、急に電話して』
「大丈夫だけど…。どうしたの??」
『急で悪いんだけど、今日泊めてくれない??』
美希の突然の申し出に驚くが、どうやら急いでいるようだったので1時間後に部屋に来るよう伝える。部屋を片付けなければいけないので、急いで買い物を済ませ私は慌てて店を出た。
約束した時間丁度に、美希は部屋へやって来た。「ごめんねー」と言いながら部屋に入るが、あまり申し訳なさを感じない。我が物顔で部屋に上がる美希に呆れつつ、コーヒーを出した。
「それで??急にどうしたの」
確か美希は社宅に住んでいるはずだ。工事か何かで帰れないのだろうか。
「実はね、会社辞めたんだ」
「えっ!?何でまた……」
以前会った時は福利厚生も良く、手取りもいいし、社宅だから辞めない限り住まいに困らないと自慢していた。愚痴を言いながらも4年くらいは勤めていたはずだ。
「それがさ、私知らなかったのよね」
「何を??」
「社宅に彼氏連れ込むのがダメって」
「………はい??」
どうやら、美希の会社の社宅は基本的に部外者は立ち入り禁止だったらしい。何でも会社が管理しているアパートで、中には在宅ワークをしたり、会議用に開放している部屋もあるかららしく、機密情報が漏れるのを防ぐためだ。
「それは会社が正しいじゃない。入社時に説明されなかったの??」
「覚えてないわ。別にいいじゃない、他にも彼氏を勝手に連れ込んでる人いるのに」
どうやら、美希だけバレたのが納得いかないらしい。
「でも、辞めなくても良かったんじゃないの??」
「だってそれが原因で彼氏に振られたし。部署内でも変な目で見られるし。仕事やりにくいじゃない」
「何で別れたの??」
「もう私の部屋では会えないって伝えたら『それじゃ別れる』だって。彼氏が実家住まいで、今までずっと私の部屋でお泊まりしてたから」
それだけで別れる彼氏もどうかと思うが、会社辞める理由にはならないだろう。だが、美希は前々から辞めようと思っていたらしい。
「周りの女性陣もさ、既婚が偉いみたいな空気出して来るのよ。それを理由に仕事休んだり、早退したり。そのしわ寄せが私に来るのは納得いかないでしょ??結婚してないと仕事と家事の両立の大変さが分からないって事でもないのにさ」
だいぶ鬱憤が溜まっていたらしく、延々と会社の愚痴を聞かされる。これは長くなりそうだなと思い、先に夕飯を食べようとスーパーで買ってきたご飯を温める。美希も作ってもらう気は無かったようで、自分で買ってきたご飯を温めるように差し出してきた。
食後もダラダラしながら美希は話し続け、私は家事をしながら話を聞く。美希がお風呂に入っている時間だけが静かで、コーヒーを飲みながら私は思わず深い溜息を吐いた。悪い人では無いが、少々我儘で自分優先のところが無ければ良いのにと思わずにはいられない。
友人の悪いところばかり考えても仕方がない。頭を振って自分の考えを打ち消し、新たにコーヒーを注ぎにキッチンへ向かった。
冬用の掛け布団をマット替わりにし、美希のための簡易的な寝床を用意した。美希は不服そうだったが、急な泊まりなので渋々布団に潜り込む。ちなみに、荷物はキャリーケース2つに旅行用の大きなショルダー3つだけだったので、他のはどうしたのか聞くと「退去と同時に処分してきた」と返ってきた。同僚達に譲ったり売ったりしたらしい。
「そ、そうなんだ…」
「なるべく早く出てくから、それまで宜しくね」
「えっ、今夜だけじゃないの!?私、明日も「あ、そうだ」…え??」
「朝ご飯はハムエッグがいい」
唐突の申し出に開いた口が塞がらない。
「は、ハムエッグ…??」
そんなの作る材料も買ってきてないし、そもそも目玉焼きならともかく恥ずかしながら、ハムエッグは作った事が無かった。わざわざハムを用意するのが面倒だったからだ。拒否しようとしたが、美希は聞く耳持たずに「おやすみ〜」とさっさと寝てしまった。
翌朝、何時もより1時間早く起きて、化粧と着替えを済ませ近くのコンビニにハムを買いに行った。それから、洗濯機を回しながら食事の支度をする。リビングで寝ている美希をなるべく起こさないようにしなければならないので、結構大変だ。
ご飯が出来たタイミングで美希を起こす。テーブルに食器類をセッティングし、作った朝ご飯を出す。出された物を見て美希は一言。
「………何これ」
「何って…リクエストのハムエッグだけど??」
慌てて作ったので、ハムは焦げて黄身も崩れてしまった。だが、味は何も変わらない。作った本人がハムエッグだと言えばハムエッグなのだ。それなのに美希は感謝もせずに言い放った。
「下手くそ」
朝から喧嘩し、腹が立ったので仕事に行く時間と同時に美希を部屋の外へ放り出した。
会社に行ってからも苛立ちは抑えられず、同僚から「顔が怖い」とまで言われてしまった。適度に休憩しつつ、どうにか気持ちを落ち着かせる。もう部屋から追い出したから、作る事も無いだろうと考え仕事に集中する。
仕事を終えた帰路の途中、と言うよりもマンション付近で同じくマンションを目指して歩く人影が見えた。髪型と荷物の量で嫌な予感がした。私の気配に気付いたのか、人影がこちらを振り向いた。やはり今朝追い出したばかりの美希だった。
「あ、佐奈!!今朝は酷いこと言ってごめんねぇ。悪いんだけど、今晩も泊めてくれない??」
泊めたくないが、美希はもうマンションの近くにいる。そして、私の予定が何も無い事を昨日知ってしまっているので、用事があると言って断れない。仕方ないので「1晩だけ」と伝え、再び美希を泊める事になった。
自分でもお人好し過ぎると泣きたくなったが、性格上仕方がない。
就活はしているらしく、住む場所と並行して探しているが中々上手くいかないようだ。話を聞きながら、明日の朝は何にしようか考えていると、顔に出ていたのか美希が「明日の朝は」と言い出した。
「焦げてないハムエッグがいいな」
「………そんなにハムエッグが好きなら自分で作れば??」
何故文句を言われながら、私が食べたい訳でもないハムエッグを作らねばいけないのだと、不満を隠さずに言う。
「私、作れないし。それに人の家のキッチンを使うのは悪いでしょ??」
何だかんだ言っているが、簡単に言えば『面倒だから作りたくない』という事だろう。
それならば、美希が納得いくハムエッグを作ろうと何故かムキになってしまった。昨日同様、早起きし朝の家事を終わらせる。そして焦げないように短時間でハムエッグを作る。
今日は焦げなかったし、黄身も崩れていない。文句は無いだろうと美希に出すが、何やら不満げだ。
「………何??」
「………黄身が黄色すぎ」
「はい??」
「もう少しオレンジ色の黄身がいい。火が通り過ぎよ」
黙って食べてくれれば良いのにと思いつつ、またもや美希と喧嘩してから家を出た。
美希は私の仕事終わりに合わせて帰ってくるので、必然的に何日も泊まりが続いてた。その度に朝ご飯はハムエッグ。作るのは構わないが、食べる方は飽きるだろうと思うが、美希から出てくる言葉は毎回「これじゃない」だ。ハムエッグの他に、彩りも考えて温野菜を添えてみたり、ハーブソルトなど調味料も変えて出す。
そんな生活が2週間も経てばハムエッグも上手く作れるようになる。ハムも焦げずに黄身も崩れない。何ならSNSに載せれば話題になりそうな出来栄えだ。ちゃんと野菜も添えてある。それなのに美希は満足しないらしい。
「いい加減にしてよ!!どんなハムエッグなら満足するのよ!!」
私は美希の目の前に出したハムエッグを取り上げながら言う。美希は気まずそうに私から視線を逸らす。
「……だって、普通のハムエッグじゃないんだもん」
「普通って何よ??ハムの上に卵乗ってればハムエッグでしょ」
他に何があるのか、むしろ教えて欲しい。美希は「実家では」と続ける。
「ハムエッグは卵の上にハムが乗っていたもの。それに、付け合せはウインナーよ」
「……そんなの、知らないわよ!!」
美希の実家のハムエッグなんて見た事無いから、言ってくれなければ分からない。何で言わなかったのか聞くと「むしろ何で分からないの」と返ってきた。
「ネット見れば出てくるでしょ??」
「出てくるならとっくにそうしてるわよ!!」
私が反論すると、美希は深い溜息を吐いた。溜息を吐きたいのは私なのに。
「とにかく、普通のハムエッグは分かったでしょ??明日からそうしてよね」
上から目線で言う美希に私はもう呆れて言葉も無かった。それに、作ったハムエッグは「勿体ないから食べてあげる」と手を伸ばしてきた。
私は無言でその手を払い除ける。
「えっ…。ちょっと、何するのよ。冷めちゃうじゃ「……って」え??」
「今すぐ荷物をまとめて出て行って」
自分でも信じられないくらい低い声が出たと思う。美希が私の顔を見て、真っ青になっていたので余程怖い顔をしていたのだろう。
「今までの食費や家賃は請求しないわ。金輪際、私に関わらないで」
美希が必死に何か言っていたが、私は全て無視した。作ったハムエッグも再度火を入れ直して、スクランブルエッグにした。今日の夕飯にしようと思い冷蔵庫に閉まった。それから朝ご飯を済ませ、戸惑ってウロウロしている美希と共に部屋を出た。もちろん、美希の荷物も全て部屋から出した。
「あの、佐奈……」
追い出された美希は、何か言いたげに私に声を掛けるが私は聞く耳を持たなかった。だが、美希に向き直りこれだけは言っておきたかった。
「人の厚意に胡座かいていると後悔するよ」
それだけ言うと、呆然と立ち尽くしている美希を置いて私は仕事へ向かった。
それ以来、美希は私の前に姿を見せなかった。大方、他の友人の家にでも転がり込んだのだろう。もしかしたら、私の愚痴を言っているかもしれないが、もう関わらないと決めたからどうでもよかった。
美希がいなくなり、何時もの平穏な日常が戻ってきた。朝食をいつも通りのメニューに戻し、ニュースを眺めつつ食べるも何か物足りない。
「ああ、ハムエッグか」
昨夜の残り物のきんぴらごぼうを食べながら、色味が少ないと思ったのだ。そう考え始めてしまうと、今は目の前に無い白とオレンジがメインで、温野菜で色とりどりに囲まれたハムエッグが食べたくなった。
きっとハムエッグを毎日作っていたのが原因だろう。
何事も程々で済ませるのが何よりだと思い、明日の朝はハムエッグと決めて部屋を出た。