甦る惑星
㈠序章
5月末、蝶ケ山の頂、星空の夜、私の前にアストレイアは現れた。
「春になれば、アストレイアが来るでしょう。星座達には、あなたの友人も多いでしょう」
あの夜、巨大な蝶を伴って、ペルセウスと共に現れて去ったアンドロメダが、別れ際に言った言葉であった。
春を待たず、金城山の頂上では、不思議な現象に遭遇した。
それは、別著の『山上の武者』に記した現象である。
金城山頂上の夜、平家の敦盛と資盛、熊谷直実とチンギスハーン、さらに化身達と遭遇した現象であった。
私の身体に、特殊な能力が備わったのだろうか。
前回に登頂した蝶ケ山で、アンドロメダ等と別れる際に、私を通過したと感じた数個の星(数個の光)が私の体を変えたのかだろうか。
今回のアストレイア出現にも、そんなに驚かなくなっていた。
その昔、この地上には、黄金の時代があった。
人々は、神々と共に、平和に暮らしていた。
だがしかし、人々は次第に、欲望に支配され、争いの渦に呑まれてゆく。
黄金の時代は、銀の時代となり、多くの神々が去っていった。
そして銅の時代、地上に残ったのは、罪を量る天秤と断罪の剣を持った、正義の神アストレイアだけとなった。
さらに鉄の時代、人々には、正義と悪の区別すら付け得なくなった。
悲しみの中で、アストレイアも天に去っていった。
地球に平和が訪れるまで、彼女は、もう現れない筈であった。
平和な地球は、いつ実現するのか。
しかし、何故か今、彼女は現れた。
私の目の前に現れた、おとめ座のアストレイアは、厳しく、悲しげでもある。
「あなたは、空を飛びたくは、ないですか」
彼女も、ペルセウスやアンドロメダと同様に、テレパシーで語りかけてきた。
私は空を飛びたいと思うが、山登りも楽しい。咄嗟の返事を躊躇う。
「あなたを、私の星座に案内しましょう」
私の迷いを打ち消す如く、語る。
「地球の空を飛び回るのではありませんよ」
宇宙を飛ぶのである。
アンドロメダやアストレイアが地球に現れたように、私が宇宙を飛ぶのである。
「地球の時空を超えるのですから、あなたの家族を気にかける必要はないでしょう」
「この地、この時点に、必ず戻れるとのことですか」
「そのとうりです」
「行きましょう」と私は答えた。
この瞬間、好奇心が、未知への恐怖を突破した。
アストレイアからの招待は、私への信頼と解釈した。
私も彼女を信頼した。
「どうやって、私は飛ぶんですか」興奮に呑まれながら聞く。
「あなたの体内には、アンドロメダの星が幾つも入っている。あなた自身の意思で飛べる」
アストレイアは、今すぐにも出発するつもりである。
「どこへ」
「まずは、一等星スピカの西、地球から4100万光年にある、M104銀河へ向かいましょう」
M104銀河とは、地球から眺めた場合、ソンブレロ帽形に見える、直径14万光年もある巨大銀河のことである。別名、ソンブレロ銀河とも呼ぶ。
スピカは、地球から約350光年、アークトウルスとデネボラと共に、春の大三角を形成する星である。
アストレイアが私の手をとった。
瞬間、私の身体は、光と化した。否、それ以上の何かか。
理解の限界を越えた何かとなって、闇の中らしい空間に、二人はあった。
足元にあるのは、直径10mほどの岩石、小天体である。
「私の好きなステーションです」とアストレイアは言った。
冴えた空間である。
全方向に、星の光が散らばり、例えようも無く美しい。
青く発光する恒星スピカが、二人の立つ、後方にある。
「地球からは、極めて美しく見える私の星です」
「確かに、地球からとは全く違って見えます」
「ここは、スピカから350光年の位置で、地球からとの距離は同じぐらいでも、大気の影響が極めて少ないですから。また、M104銀河にも面しています」
M104銀河は、より横長に見える。
「M104銀河の太陽の一つである、ベルガの惑星ラウルを訪れましょう」と
アストレイアは案内する。
㈡ 惑星ラウル
「地球と、ほぼ同じ大気の惑星です。我々は、地上に降りても、生物を傷つけてはいけません」
上空、高い俯瞰位置で、アストレイアは止まる。
緑に覆われた、美しい山水が広がっている。
「美しい世界です。動物も植物も住んでいます。肉食生物はいません」
「ある種の植物、あるいは動物が増えすぎて、生態系バランスを崩すことはありませんか」
「この惑星で、この生態バランスになったのは、約一万年前からです」
「肉食生物はいないのですか」
「正確に言えば、一匹だけいます。その生物は、危険では無くて、同時に、恐ろしく危険でもあります」
彼女の言葉は、謎めいていた。
二人は、小高い丘に下り立った。
見渡せる地上は、全般的に、緑に被われていた。
草木の配置に、秩序が見られた。
草食獣らしき生物も点在する。
「ここは、この世の楽園ですか」
「そうかもしれませんね」
「住み難くなった地球の生物には、素晴らしい移住先に思えます」
アストレイアは、答えないで、上空を見ている。
「この惑星の水は、地球の水とは異なっています」間を置いて、彼女は応えた。
「水に溶け込んでいる炭素と窒素が多いのです。この惑星の大部分の生物は、この水を体内に有しています。地球には存在しない水です」
「ラウルの水ですか」と、何となく納得して、返事をする。
「そうです。地球人には、飲めないでしょうね」
そうこうしている時に、上空で気配がした。
上空に、ソンブレロ形の飛行物体が現れた。
「危険です。姿を隠しましょう」
飛行物体は、地上の川のほとりに着陸した。
二人の乗員が現れ、地上に降り立った。
彼らの様相は、地球人に似ている。
二人は、手に棒状の物を持ち、付近を徘徊する。
「彼らは何者ですか」と、アストレイアに聞く。
「この星と同じ太陽ベルガ系の惑星シグの、知的生物達です」
彼らは、水辺近くの、草食獣を発見し、用心深く近づいてゆく。
草食獣は、森に入る。
後を追うように、二人のシグ人も、森に入る。
しばらくして、先ほどの草食獣が、森から現れる。
「森に入ったシグ人は、もういません」とアストレイアが言った。
ソンブレロ型飛行体から、もう一人のシグ人が現れ、先ほどの二人の後を辿り、森の中に入る。
まもなく、姿を現し、飛行体へ乗り込む。
飛行体が、上空に消えた後、アストレイアが言う。
「シグ人等は、仲間が消えた理由が、わからないのです」
「私にもわかりませんが」
「この惑星の生物は、永い試行錯誤の上で、今の生態系をつくり上げたのです。したがって、それを壊す行為に対しては、厳しい対応をします。シグ人達には、それが未だ理解されていません」
「ラウルの対応は、謎ですか」
「彼等には、謎です」
「その謎を、教えて下さい」と私の好奇心が言わせる。
「この惑星外からの侵略に、対応する行動が、独特且つ無尽蔵に強力なのです。この星の生物は、種を越えて連動します」
「地球人も、危機には、協力し合います。無尽蔵ではありませんが」
「彼らは繋がるのです。侵略者の力の強さに応じて、極端な場合には、この星の全ての生き物が、一匹の生物と化します。戦闘するべき十分な能力を備えて」
「そのような生物は、地球には存在しません。私には、信じられない生物だ」
「この惑星の生物の、体内にあるラウ水が、それを可能にしているのです。彼らは、ある刺激によって、瞬時に、連鎖状にも、網状にも、三次元状にも、あるいは疎にも密にも成りうるのです。彼らは知能と武器を持つ、恐るべき生物なのです」
「敵を倒し、殲滅した後には、元の動物や植物に戻るのですか」
「はい。そのとうりです」
アストレイアは言う。
「シグ人達も、いずれは理解するでしょう。彼らの懸命な対応を期待しています。ラウルの生命体は純粋無垢と言っていいのです」
「この世の楽園とは、侵すべかざる存在なのですね」と私。
「次の星へ行きましょう」とアストレイアは、気が早い。
「次は、どんな世界でしょうね」
「私の星座の、胸元へ行きます。M61銀河です」
この銀河は、地球から、およそ4100万光年離れ、過去には何度か超新星が記録された天体である。
(三)惑星サドン
地球から、おとめ座を眺めた場合、M61銀河は、おとめ座の胸元の位置となる。
1979年5月5日、彗星を観察中のオリアニによって発見された。同日、星表を作った著名な天文学者メシエも気づいたとされるが、彗星のため確認が遅れて、6日後の11日に確認した。と伝えられる。
因みに、Ⅿで記される銀河名称は、メシエの星表に因るものである。
M61銀河は、地球から見て、明るい星雲ではない。
天の川銀河の、およそ四分の一の大きさの渦巻銀河である。
この銀河では、過去にも、超新星爆発が3回観察されている(1926、1961、1964)。
超新星とは、太陽より10倍以上の重量質量を有する星に、起こりうる現象である。
その重力圧力に起因して、中心部にたまった強力なエネルギーが、一挙に大爆発し、周囲に凄まじいエネルギーを放出する。
それが、地球から、光として観察されたものである。
「次に行く星座は、どんな星ですか」
「地球に似た星ですよ。名はサドンです」
二人は、瞬間的に移動する。
M104からM61へと。
そして惑星サドンへと。二人は、突き出た鉄塔の上にいた。
そし今、サドンの大都会が、眼下にあった。
コンクリートらしきビルディングの街が広がっている。
道路が、網の目のように張り巡らされて、公園らしき広場も所々にある。
しかし、何処かが変である。
地球の大都会とは、全く異なった、ある事に気づいたのである。
”この都会は、機能していない”のだ。
この都会は、まるで、枯れ都会のように、あるいは手入れの届かない墓地のごとく、佇んでいるのだ。
道路上には、自動車らしき多くの物体が、連なり、動くこともない。
「まるで、死の街だ」と、私は呟いた。
「サドンは死に、サドンはまた甦るでしょう」と、沈んだ表情のままで、アストレイアは言った。
ビルには、然したる損傷も無い。
街路樹は茂り、手入れの無い草木は、伸び放題に見える。
小さく、動物が、動いている。
「もう少し下方へ移動しましょう」と、アストレイア。
地球人にそっくりの、人間(?)がいた。
季節は、初夏の気候である。
彼らは衣服をつけていた。
破れた布状をまとっている。
頭髪や髭は、伸び放題、表情や動きは野性的である。
「野蛮人だ」思わず、声が出る私。
「現在は、そのとうりですが、この星での、40年以前は、文明人だったのですよ」と、アストレイア。
地球からの光年距離を考慮すれば、はるかに早い文明を持っていた世界であるのだ。
地球での、42年前といえば、1961年である。この年には、M61銀河においての、最大の超新星が記録されている。
「この銀河での、超新星出現との関係が有りそうですね」と、私は言う。
「そうです。超新星の特殊な放射線が、脳神経間の連携を狂わせたのです。彼らは退化したのです」
「子供は、子供達もですか」
「放射能を浴びた世代と、その子供達には、退化状態が継続しています。三代目の世代には、回復状態がみられます」
「知性や文明の間に、断絶が出来ましたね」
「そのとうりです」
「これは大変な事だ。正常な脳に戻った彼らが、どの様に反応してゆくのか、どの様に歴史を作り上げてゆくのか、興味深いです」
「そうでしょう。多くの想像が可能です。多くの創造もなされるでしょう」
いつの日にか、文明も、再構築がなされるだろう。
「サドンの自然環境は、浄化されているかもしれませんね」
保身本能で築き上げた地球の文明。今ある環境の改善には、全地球人の、永い我慢と努力が必要である。
それに比べ、この惑星サドンは、自然に、回帰しつつある。
植物や、微生物が、水質や、空気を浄化し、生物連鎖が活発化しつつある。
それらは、サドン人の犠牲によって。
知能と文化文明の退化したサドン人は、食料難、病気、住環境等で、大きな悲劇に見舞われた。
これが、惑星サドンを甦らせているのである。
人間は、自然環境にあって悪なのか。
人間は、自然の一部である。
人間による環境破壊は、自然の一部である。
自らを住み難くする人間は、馬鹿である。
人間は、自らを馬鹿であることを、解かっている。
本当に、解かっているのか。
「M61銀河にも、まだまだ不安定な要因が多くあります。超新星の発生は今後も起こり得るでしょう」
アストレイアからの、テレパシーで、私は我に返った。
「サドンの悲劇は終わっていません」
彼女の顔は暗いままである。
私はアストレイアに聞く。
「あなたは、地球に希望を持っていますか。地球が平和になれば、また地球に来ますか」
彼女は、答えない。
私は、続ける。
「地球人も、このままでは、いつかは必ず、大きな自然淘汰に遭遇するでしょう。それが、核戦争によるものなのか、新たな不治の病によるものなのか、食糧危機によるものなのかは、分かりませんが」
私は、さらに続ける。
「残念ながら、人間は、馬鹿な部分を捨てられません。エゴイズムの身勝手さも」
さらに
「自然的に人口を減らすことが、大きなキーワードになるかもしれません。地球には人口が多すぎるのです」
そして、アストレイアは答えた。
「惑星サドンに起こったような、どうしょうもない、自然現象とは異なり、地球では、人間が、自然環境を変えているのです。これは、全ての人間、ひとりひとりの責任なのです。まだまだ、自覚が足りません」
平気で、周辺や野や山に、あるいは海や川に、ゴミなどを捨てる人達、彼らはエゴイズムが優先している。
エゴイズム社会を脱却することが、必要なのだが。
「あなたは、これを見せるために、私をここへ案内したのですか」
私は、少し抗議気味に聞いた。
期待した程の楽しさが無かったのかも。
「そうなのです。あまり、面白くは無かったですね。今後は、あなたは、自由に選べますよ。アンドロメダから、あなたへのプレゼントは、あなたが自由に使っていいのです」
(四)終
蝶ケ山頂上、満天の星空であった。
私は、エアーマットに寝そべったままで、天空を眺めていた。
やや南よりの空に、春の大三角がある。
白く輝く真珠星スピカとオレンジ色に燃えるアークトウルスと獅子座のゼネボラからなる空の大三角形である。
スピカとゼネボラを繋ぐ線状、ゼネボラ側から約3分の1、乙女座の胸元にM61銀河星雲がある。
一瞬、乙女の胸元で、ペンダントの輝きが閃いた。
超新星の光か、その後の輝きは無い。
(完 2021.01.22改)