忍びの音殺し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
うへ〜、火遁の術とか、ド派手なものを使うねえ忍者は。忍んでいないじゃん。目立って仕方ないと思うんだけど。
――忍者は、化学や動物学のスペシャリストという側面もある?
むむ、マジレスを聞きたい場面じゃなかったのよねえ。問題は派手に行動する忍者ってどうなのよってこと。
忍者って、訓練を積んだ特殊部隊のイメージをする人も多いらしいけど、実際のところは罪人や一般からの公募もかなりあったと聞くわ。
で、この忍者に関する話。誰かが漏らしたのか、私もいくつか聞いたことがあるのよ。
あなた、忍者にも興味があるでしょ? 今回の話、楽しめるといいのだけど。
「夜走、夜盗欲す。前科、借財あるものすべて帳消しとする」
戦の気配が漂い出した某領内で、忍者となる者を募集するお触れが出されたわ。
初めて志願した彼も、表沙汰になっていないだけで、ちょっと後ろ暗いことに手を出していたらしいの。
相応の働きをすれば、免罪符になるかも知れないと考えてね。
通知された日時に、集合場所である一本松へ向かった彼。まだ時間があるとして、忍者としての基礎的な技術を、ここに集まった一同と共に学ぶよう申し渡されたわ。
指導を担当するのは、片目に大きな刀傷を負った、筋骨隆々とした男。集まった者たちの間でも見知っている人がいたらしく、ひそひそ話が始まる。
かつて領主の館に盗みに入った、賊の頭領。すでに何人も殺していて、おたずねものになっていた時期もあったと。
集まった者たちのざわつきを押さえるためか、大きく咳ばらいをした頭領。全体が静まるのを待ち、呼びかけが始まる。
「今回は、お前たちをいっぱしの細作にするために、指導を承っている。お前たち、細作に必要なものは何だと考えている。挙げてみろ」
促されて、初めこそ戸惑ったものの、何人かが声を挙げる。
忍術。強健な肉体、もろもろの道具と使い方……。
一通り挙がったところで、頭領がまた口を開いたわ。
「いいだろう。諸君らの想像はそのようなところだろうな。だが、派手さなど細作には必要じゃない。もっと大切なものがある。
忍び足。すなわち『音』を消す技だ。これを忍術というのならば、一番目の意見が正解といえるだろう。だから何をおいても、まずは全員に忍び足を習得してもらうことになる」
ついてこい、と頭領が前に立って歩き出す。
案内されたのは、粗末な柵に囲まれた木造の家屋。
今回集まった面々は、彼を含めて12名。その全員と頭領が中に入っても、十分に余裕のある広さ。木でできた表面は、長年の風雨にさらされたためにできただろうシミが浮かんでいるが、穴などは空いていない。
「入れ」と扉を開けた首領に言われるがまま、彼らは家屋の中へ足を踏み入れた。
頭領が開けた引き戸のすき間から、かすかに入り込む太陽の光。それを除いては家屋の中は暗闇に満たされていたわ。加えて、鳴き声が響いている。
猫。当時、守り神として珍重され、高値で取引されることのあった動物の声が、いくつもいくつも小屋の中でこだましている。
「諸君らには、この中にいる猫を捕まえてもらう。猫の数は全部で12匹。諸君らがひとり一匹ずつ捕まえればいい計算だな。
見ての通り小屋の中は暗い。俺が戸を閉めたが最後、中は完全な真っ暗闇になる。諸君らは主に声を頼りに猫を追ってもらうことになるな。
しかし。それだけではないぞ。ここの猫たちは諸君よりも何倍も夜目が利き、音にも反応するように仕込んでいる。諸君らが立てる音は、ここですべて殺さなくては駄目だ。
捕らえられるまでメシ抜き。半刻ごとに様子を見に来るから、その時に捕まえている者のみ、外へ出してやろう」
頭領は全員が中へ入ったことを確認すると、外から閂をおろしてしまったの。
少し時間を置き、目を慣らした彼らは猫をとらえようと躍起になったけど、なかなかうまくいかない。
何せ忍びの心得がない12人が一斉に動くものだから、いくら足を忍ばせたつもりでも、猫たちにとっては騒音のごとき音量になる。
ひとりが追えば、その標的のみならず、他の者の標的まで、音に反応して逃げ散ってしまう。それに対して不平不満の態度を表に出せば、それに伴って猫は遠ざかり、自分たちは体力を消耗してしまう……いかに他人に迷惑をかけずに遂行できるかが、鍵になっていたわ。
彼自身は黙々と捕まえることに注力する派だったけれど、目が完全には慣れきらない。捕まえようと飛びついた時、猫に体をかわされ、その背後にある柱に顔をぶつけること数回。
半日が経っても、彼らの誰ひとり猫を捕まえることができなかったわ。
最初の達成者が現れたのは、二日目の夕方。
それは正に音のない捕獲だったわ。響いたのは、猫のかすかな悲鳴だけ。頭領が引き戸を開けた時、彼は自分の体の前で猫の前足を「バンザイ」するように大きく広げて、そのお腹をさらけ出したわ。
頭領はニヤリと笑い、「合格だ」と彼を小屋の外へと連れていくと、また閂をかけ直したの。
その後、二日目の夜が明けるまでの間で5人が。三日目の昼までに4人が猫を捕まえたわ。残ったのは、彼ともうひとりだけ。
彼らはこの三日間、ほとんど暗闇の中で過ごしてきた。腹の虫さえ鳴らすまいと、残った力を振り絞って音を押さえていたわ。
他の10匹がいなくなっても、残り2匹の猫は時々、鳴き声を出して彼らを挑発することを止めない。
彼ともう一人も、すでにそれぞれの標的へ向かっていた。床板のきしみさえあげない、すり足。猫たちは動かない。
そして必殺の間合いに入った瞬間、二人は一気にとびかかり、彼らを抱くすくめることに成功したの。
胸の中で丸まる毛の感覚に、安堵感が漏れる。けれど彼らは、猫たちの喉奥から出たのか、「グルグルグル……」と獣じみた鳴き声が、もはや彼らしかいない家屋の中で響いたのを耳にしたわ。
それから合格した12人は、家屋の中で身につけた足音を殺す技を保ちつつ、素早く走るための訓練を重ねることになったわ。そして戦の前日。
「以上を持って、諸君らは音を殺すすべを身につけたことになる。これより任務が下されようと下されまいと、遂行上、必要な時をのぞいて暗所へ身を置き、音も引き続き殺し続けるように。しかと守りし時は、いかなる役目も無事に遂げられよう」
指導をした頭領はそう告げたけれど、彼をはじめとする12人は内心、不安を拭いきれなかったみたい。
忍び走りのみが熟達した自分たち。果たしてどれほど通用するものだろうか、と。
そして戦が始まった。彼に与えられた任務は、とある城と城の間の連絡係。必要な時に書状を持って、番兵に渡すという手はずになっていたの。
関係者にのみ分かる農民の服装を手配されて、指示された炭焼き小屋で待機する彼。出番は開戦から三日後にやってきたわ。
「前線への援軍を乞う」。小屋へ訪れた使者から、懐に書状をねじ込まれた彼は、件の意匠に身を包んで、街道を走ったわ。例の忍び走りでね。
頭領からの指示だった。茂みの中などの獣道では十分に音を殺せないから、今まで学んだことを生かせないと。
けれども、やはり敵方にとって目立つ行動だったらしいわ。
その日の晩。彼の走る後に続いて、犬たちの声がしたの周囲からは松明の火が、ぽつぽつと姿を見せ始める。彼はすっかり囲まれてしまったわ。
それでも走り抜けるよりない、と彼は更に加速して、もっとも松明の間隔が開いているところを抜けようとしたの。
けれど、それは誘い。松明よりもずっと低い足元の茂みから、熊手が飛び出して来たわ。
彼はたまらず足を取られて、地面を転がり、苦痛に叫び声を漏らす。
猫を捕まえる鍛錬から、ずっと闇や夜の中では、出さないように努めていた大きな声が。
「グルグルグル……」
あの時、猫を捕まえた家屋の中で聞いた、のどを鳴らす音。それが松明の持ち手たちの足音と、犬たちの唸り声に混じって聞こえてくる。
転倒した彼の上に、ひとりが馬乗りになって胸元を締め上げてくる。
「この夜半にどこへ向かおうというのだ? 言え」
尋問してくる兵の声。周囲を取り囲む者たちのざわつき。
それらを押しのけて「グルグルグル……」という声は大きくなってくる。彼の神経はそれに囚われて、ろくに受け答えができなかったの。
――これ以上、音を立ててはいけない。
そう身体の奥から、本能が脈打ちだしている。
しびれを切らしたのか、馬乗りになった尋問役が、無理やり彼の胸元をまさぐろうとした時。
風もないのに、一斉にたいまつの火が消える。
ひときわ、ざわめき出す周囲の者たち。その中でまず、犬たちが悲鳴をあげた。
肉を裂く音。骨を砕く音。すべては暗闇の中から響いて、何が起こっているかは想像を働かせるしかない。
標的はすぐに人へと移る。最初に尋問役がやられ、次々に他の者も悲鳴をあげた。
彼らの悲鳴、のたうち。そのいずれもが、鍛錬を積んだ彼には耳をふさぎたくなるほどの喧騒。
一刻も早く去りたい。そう思うと、身体が勝手に動いた。
再び、音を殺す忍び走りで、駆け去っていく彼。その背後では、連中の悲鳴が数里離れた時でさえも響き続けていた、とのことよ。
「お前たちには、鍛錬を通じて『音食い』になついてもらった」
報告を受けた頭領は、彼からの報告を受けた後、二人きりになった際に、そう話したわ。
「音を殺すといったが、人の力ではどうしても限界がある。だからこそ、あいつら『音食い』がお前たちになつくように、仕向けてやった。
最初は大きく。最後は小さく。飯を食うのと同じだ。猫を捕まえる段のお前たちは、奴らにとって食後の茶のように安らぐものだったろう。ゆえにごちそうを食わせてくれた、お前らについていった。
音を控えさせたのは、あいつらの腹をすかせるためだ。飢えに飢えたあいつらは、大きな音の出どころに反応し、その飯を思う存分堪能するというわけだ。
それこそ殺しはせず、何里先にも届くような絶叫をあげさせて、な」