迷宮における鹿の有用性について
「屋敷の地下にある迷宮の課題ですけど、ミカヅキさんはロクサイを連れて行ってるんでしょうか?」
わたしがなんとなく思いついてそう言うと、ハンゲツは軽く首を傾げた。
「どうなんでしょうね。普通に考えると鹿はあまり役には立たないと思いますけど」
「そうなんですか?」
「森の中だったら斥候として先行させるとか、色々使い道はありそうですけど、迷宮の中では……」
そういえばここに初めて来た日に、森の中でロクサイらしき鹿を見かけたな。
たしかに森の中なら鹿が居ても違和感を感じない。
「魔力を持ってるんだったら、それなりに戦えたりしないんでしょうか?」
「うーん、あの立派な角には魔力が籠もってますから、多少は戦えるかもしれませんけど、それでも得意じゃないでしょうね」
ここまで話していて、ちょっと違和感を覚えた。
「屋敷の地下の迷宮には魔物が沢山出たりするんですか?」
「わたしはあまり入ったことないですけど、けっこう魔物は出ますね」
「そうなんですか……」
今朝アカツキに聞いた話とはちょっと違うな。
彼女は幻惑の魔法とかの仕掛けが多くて、魔物はたいして居ないって言ってた気がするけど。
ハンゲツはそれほど入ったことないらしいから、偶然その時はたくさん魔物が出たのかもしれない。
「ハンゲツさんがここで魔術の研究をしてるのは、迷宮対策なんですか?」
「うーん、そういうわけでもないかな」
ハンゲツはばつが悪そうに目線を手元の本に落とす。
「正直言うと、この課題にはあまり乗り気じゃないんです。だって、わたしたちは魔術を学んでいるのに、迷宮探索なんてそんなことする必要ないですよね」
「なるほど。言われてみればそんな気もしますね」
意味があるから出された課題だと思うけど、ここで否定はしなかった。
課題を盲目的にこなんすじゃなく、あらゆることに疑問を持ち、検討することが出来る。
そんな視野の広さも含め、たそがれの魔女に試されている可能性はあるだろう。
「魔法ってすごいと思うんです。世の理のその深奥にある存在。ただびとには理解できぬ真理の精髄。それはとても素晴らしいものです」
ハンゲツが半ば独り言みたいにつぶやく。
「魔法の勉強は大好きです。だからずっとずっとここで本を読んでいたい。別に魔法を無理して使わなくてもいいじゃないですか。そんなのは真理の前にはくだらないことです」
だから迷宮の課題にはまじめに取り組まないってことらしい。
うーん。
これはまずいかも。
ハンゲツは他の二人より協力的だと思ってたけど、課題自体に興味がないのはなかなか厄介だ。
みんなを上手くチームとしてまとめたとしても、課題に挑戦してくれないとどうしようもない。
つまり、モチベーションのコントロールの問題だ。
どうしたらハンゲツが課題に前向きになれるのかを考える必要がありそうだった。
わたしはハンゲツと別れて自分の部屋に戻った。
ベッドに腰を下ろし、魔法の教科書を手に取る。
今日の内にひと通り読み終えることが出来そうだ。
それが終わったら、やっと実践だ。
はたしてわたしに人間の魔法を使うことは出来るのか。
これをクリアしないと迷宮の課題に手を着けることが出来ないわけだし、基礎だって話なんだから、なるべく早く習得したい。
でも、たそがれの魔女は完璧に使えるようになれって言ったから、とりあえず使えた程度ではだめってことなんだろう。
「でもなあ」
おもわず独り言が口をついて出る。
「クルッ」
イナリがわたしの膝の上に飛び乗って顔を覗き込んできた。
「なんでもないよ。ちょっと考え事」
「クルッ」
そのまま膝の上でイナリがゼンマイみたいに丸くなった。
わたしの太ももに頭をこすりつけ、心地よさそうに目を瞑ると、長い尻尾がふんわりと揺れた。
リラックスモードのイナリの背中をゆっくり撫でながら考える。
ものすごく当たり前な話だけど。
基礎の魔法を習得して、それでどうなるんだろう。
迷宮の課題をクリアするのに、基礎の魔法だけで対応できるんだろうか。
それとも、ひとりだとどうにもならないから、みんなでまとまれってことなんだろうか。
何かがちょっと引っかかる。
ここにはまだ、わたしに見えていない謎があるような気がした。




