領主と三人の姉妹(と動物たち)
私が領主としての執務に用いる部屋は屋敷の二階にある。
それほど広くはない部屋に、大きな樫の木のデスクと立派な本棚が置かれている。
この本棚は我がマゴット家において、自慢できる数少ないもののひとつだ。
何代も前の領主が異常なまでの本好きで、様々な土地に出向いては掻き集めたのだという。
当時の本は今よりもよほど高価だったはずだが、マゴット領のような田舎の小領地に住む弱小貴族が果たしてどのような手段を用いてこれほどの本を手に入れたのか、皆目見当も付かない。
それから後の領主もコツコツと本を集め続け、今では大きな本棚に内容も様々な本が並んでいる。
この国の歴史について書かれた本もあれば複雑精緻な神学の書物もあり、古い詩や物語もあれば既にこの世には存在しない国の領主が書いた日記もある。
末の娘のリンドウはことさら本が好きで、時折この部屋に本を読みにやって来る。
ソファの上で大きな本を抱えるように開いている姿を見ると、私はとても癒やされるのだ。
「父様、入ってもよろしいでしょうか」
ノックの音と共に一番上の娘であるアヤメの声が聞こえた。
「入りなさい」
私の返事から一呼吸置いて、ドアが丁寧に開かれる。
最近気づいたのだが、このタイミングはどんな時も変わらず一定だ。
癖とかそういうものではなく、どうやら最も心地よい最適な間を狙っているようなのだ。
アヤメは不思議な娘だ。
領主の跡継ぎとなる一環として騎士の教育を施しているが、教え始めてすぐに娘の異常性に気付いた。
たぶん天才なのだろう。
ひとつ何かを教えれば、そこから何倍もの物事を理解してしまう。
一度やらせれば二度目には完璧にこなす。
頭も切れるし心も強い。
あまりにも優秀だったのですぐに教えることがなくなり、懇意の大領地に預け、より優れた師につけて学ばせた程だ。
「今回の旅の報告がまだ終わっていませんでしたので」
「そうだな、では他領の状況について聞こうか」
私がそう告げると、アヤメは旅先で通った各領地の情勢を手際よく語り出した。
それぞれの経済状況や領主たちの人間関係、領民達の様子など。
どれも弱小領地にとって貴重な情報だ。
「今回のその経験、マゴット領の運営に生かせると思うか?」
「どうでしょうね。地政学的な条件が大きく違いますから」
確かにマゴット領は辺境といっていい土地ではある。
街道の通った交易が盛んな領とは簡単に比べられないだろう。
「うちの領は弱小ではあるが、そこまで貧しいわけでもない。無理をする必要はないとは思うが、良くなる部分があるのなら生かしたい」
「そうですね、単純に税収の話であれば交易を発展出来ると良いとは思います。ですが、マゴット領にはこれといった特産品もありませんから」
「寒い土地柄だからな。農業の生産性は高くないし、かといって大きな鉱山があるわけでもないしな」
私がそう言うと、アヤメは顎に手をあてた。
「あるとすれば毛皮などでしょうか。ただこれにも限度があります。マゴット領の森は精霊が住まう土地ですから」
「うむ、精霊に守られ、魔物が少ないのはよいが、獣を狩りすぎると精霊の怒りを買うからな」
「他に考えられる所としては、街道に続く道の整備はした方が良いかもしれません。さすがに石畳にするにするのは難しいでしょうが、ある程度道を整え治安を良くすれば商人が訪れやすい土地にはなるかと」
「なるほど」
私はアヤメの提案について考えてみる。
問題はその予算をどのようにして用意するかだろう。
これはこつこつと進めるしかなさそうだ。
「参考になった。よくこれだけつぶさに観察し調べたものだ。見事だ、よくやった」
「ありがとうございます」
そう言ってアヤメはニコリと笑った。
私はアヤメをソファに座らせて、もっと雑多な旅の話を聞くことにした。
これからは領主と次期領主の会話ではなく、親と娘の語らいの場だ。
アヤメも楽しそうに旅で起こった出来事を教えてくれる。
サルトゥス領主の娘に試合を申し込まれた話や、魔物に襲われた話などを聞くと、旅は簡単ではなかったことが伝わってくる。
そこに頻繁に混ざってくるのが、次女のカナエと三女のリンドウのエピソードだ。
どうやらアヤメは自分の妹たちを殊更かわいがっているらしい。
ちょっとしたところでいちいち妹自慢が挟まるのだ。
「最近のカナエはしっかりしてきたし、剣の腕もめきめきと上達してはいるが、そこまで強くなっていたか」
「あれは天才でしょう」
楽しそうに頷くアヤメを見て、私は思わず軽く笑ってしまった。
「天才という言葉をお前が使うとはな」
「冗談ではありませんよ?」
「まあ、それを確かめる機会はいくらでもあるからな。逆にリンドウは旅から帰ってむしろ子どもらしくなったな」
今日もリンドウが外で遊ぶ姿を見かけた。
これまでは屋敷でおとなしく本を読んでいることが多かったのだが。
多少寂しくはあるが、子供が外に出るのは良いことだ。
「あの犬が来たからでしょうか。よく一緒に遊んでいますね」
「リンドウが連れて帰ってきた黒い犬のことか?」
「おとなしいけれど愛想のない犬です。リンドウには懐いているようですが、何故かカナエとは遊んでいるところを見たことがないですね」
まあ、噛みついたりしなければ構わないだろう。
「もしかしたら、カナエが細長栗鼠を連れているからかもしれんな」
「ああ、確かにイナリとあの黒い犬が仲良くするのは難しいかもしれません。屋敷の犬との相性も良くなさそうですから」
「大きさが違うからな。犬を怖がるのも仕方がない」
そこでアヤメはちょっと妙な表情をした。
何か気がかりなことがある時の顔だ。
「それが、むしろ犬たちがイナリを恐れているみたいなんです。以前、騒ぐ犬たちに対して一声鳴くだけで黙らせたところを見たことがあります」
「細長栗鼠が? 犬を?」
「そうです」
カナエが殊更可愛がっているから特に触れてこなかったが、実はあの細長栗鼠のことは少し気になってはいたのだ。
「あの細長栗鼠、もしかしたら森に棲む精霊なのかもしれんな」
「実はわたしもそれを考えていました」
アヤメが真面目な顔で頷く。
「森で迷子になったカナエを救ってくれたというのだから、悪い精霊ではないとは思うが」
「でも、とても珍しいことです」
土地に伝わる伝承でなら精霊に愛された男の話などもあるが、実際の出来事としては噂すら聞かない。
「まあそれだけカナエが愛らしいということでしょう」
明るくそう言い切ることが出来るアヤメは豪胆というか、なかなかの変わり者だろう。
「精霊も友好的なうちは良いが、機嫌を損ねれば大事になりかねない。カナエとあの細長栗鼠に関しては、お前からも気をつけて見ておいてやってくれ」
とりあえず、今回は様子見程度にとどめることにした。
ためしに父親視点の話を書いてみました。




