リンドウと遊んでくれない犬さん
マゴット領に帰ってきて何日か経ちました。
いつもの日常がやっと戻ってきてなんだかほっとします。
でも、コナユキちゃん達と旅をした日々がふっと思い出されて、なんだか懐かしいようなさみしいような不思議な感じがします。
石畳の上を走る馬車の振動とか、沢山の人たちが行き交う市場の熱気とか、草原を吹き抜ける風とか、屋台から漂う香辛料の匂いとか、思い出はとても鮮やかなのです。
そんなときはお屋敷から外に出て庭に行きます。
わたしたちが住むお家の裏にはあまり手入れのされていない大きな庭園があって、その真ん中を通る道を抜けると芝の植わった広場があります。
わたしが芝生の上に腰を下ろして空を見上げると、この季節には珍しい青空が広がっていました。
マゴット領には春と初夏が同時にやってきます。
たぶんそれも遠くないのでしょう。
「ワフ」
わたしがひなたぼっこをしていると、いつのまにか黒犬のヨイヤミちゃんがやってきていました。
いちどは屋敷の犬舎に連れて行ったんですが、いつのまにか抜け出していて、こうして時折屋敷に現れるのです。
遊びに来てくれる割には、うちの子にはなってくれないみたいです。
やはりヨイヤミちゃんは孤高の犬さんなのでしょう。
「ヨイヤミちゃん、こんにちは」
「ワフ」
わたしは手を伸ばしてゆっくりと頭を撫でます。
「そうだ、わたしといっしょに遊びましょう!」
立ち上がって軽くズボンに付いた芝を払います。
庭園の方まで歩くと、ヨイヤミちゃんが後ろから付いてきました。
青々とした葉を茂らせた大きな木を選んでその下を探すと、わたしの腕よりもちょっと細いくらいの枯れ枝が見つかりました。
充分に乾燥しているのか、それほど重くはありません。
わたしの二の腕と同じくらいの長さで、軽く振ってみるとぶんぶんといい音がしました。
「うん、これは良い枝です」
わたしはまた芝生の方に戻りました。
横に立っているヨイヤミちゃんに木の枝を見せると、ちょっと興味があるのか、鼻先を近づけてフンフンしています。
「じゃあいきますよ!」
そういってわたしは腕を思い切り振りかぶると、木の枝を回転させるような感じで思いきり広場の奥に放り投げました。
風を切るような音を立てて、木の枝が飛んでいきます。
そうとうな飛距離が出たと思ったのですが、残念ながらわたしの腕の力では大して遠くまでは投げられませんでした。
「さあ、ヨイヤミちゃん! 取ってきてください!」
ビシッと木の枝を指さして隣に立っている犬さんを見ます。
ヨイヤミちゃんは地面に落ちた木の枝とわたしの顔を交互に見ると、かるく鼻を鳴らしてから芝生の上に座り込んでしまいました。
「座らないで、取りに行きましょう。ね?」
わたしがヨイヤミちゃんの顔の前にしゃがみ込むと、ぷいっとそっぽを向かれてしまいました。
屋敷で飼っている他の犬さんだったらものすごく喜んで木の枝の方に突進していくのですが、このクールな黒犬さんにはあまり興味が持てないようです。
「ほら、寝てないで運動した方が良いですよ? ね、行きましょう?」
わたしはヨイヤミちゃんに横から抱きついて立たせようとしましたが、まったくビクともしませんでした。
引っ張ってみても、押してみても動きません。
ただ、ふだんは身体をもふもふさせてくれないので、ちょっと楽しくなってきました。
ヨイヤミちゃんを立たせようとするついでに、艶やかな黒い毛皮を堪能していると、唐突にふっと立ち上がりました。
もしかしたら、もふもふされるのが嫌だったのかもしれません。
でも、こういうときでもヨイヤミちゃんはよそに逃げ出したりはしないのです。
「木の棒で遊ぶのは嫌ですか?」
「ワフ」
返事はいつものため息みたいな鳴き声だけでした。
仕方が無いので、歩いて木の枝を拾いに行きます。
すると、わたしの横をヨイヤミちゃんが付いてきました。
木の棒を拾ってはみたものの、たぶんこれをもう一度投げてもヨイヤミちゃんは一緒に遊んでくれないでしょう。
「じゃあ、追いかけっこしましょうか」
わたしは芝生の上を広場の中央に向けて駆け出します。
暖かな日差しの下を風を切って走ると、なんだかとても心地よいです。
横を見るとヨイヤミちゃんが付いてきていました。
でも、ちょっと早足くらいの感じで歩いていて、全然追いかけっこになっていません。
「ヨイヤミちゃんは、足が、速いですね!」
しばらく二人で併走していましたが、だんだん息が切れてきたので立ち止まって休憩することにしました。
芝生の上に尻餅をつくと、その横にヨイヤミちゃんが行儀良く背を伸ばしてお座りしました。
「もしかして、わたし、かけっこ遅いんでしょうか」
「ワフ」
ヨイヤミちゃんはくいっと頭を傾げます。
その声色にあまり否定的なニュアンスを感じなかったので、ちょっとほっとしました。
たぶんまだ子どもだから速く走れないのでしょう。
姉様みたいに背が伸びて手足が長くなれば、もっともっとかけっこも速くなるはずです。
「じゃあ、次は何をして遊びましょうか?」
「ワフ」
あまり興味がない、みたいな感じのお返事です。
とても落ち着いた様子のヨイヤミちゃんを見て、わたしはちょっとだけいたずら心がわいてきました。
このクールな犬さんをビックリさせたらどんな顔をするのでしょうか。
「ヨイヤミちゃん、この木の枝を見てください」
わたしはさっき拾った木の枝をヨイヤミちゃんに見せました。
視線だけをよこすだけで、匂いを嗅ごうともしません。
やっぱり興味は無いみたいです。
とはいえ、顔を近づけられたりするとちょっと危ないので、これは都合がいいともいえます。
「じゃあ、行きますよ」
そう言って、わたしは神殿騎士のミツメさんにつけられた特訓を思い出しながら、意識を木の枝の先に集中させます。
「われは神のだいこうしゃなり。火のせいれいよ、神のちからを畏れ、そのすがたをわがまえにあらわせ」
教えられた言葉をなんども繰り返します。
すると、木の枝の先が小さな音を立て始めました。
空気が渦を巻き、チカチカと火花が瞬きます。
そして白い煙と共に、木苺サイズのオレンジ色の光が、枝の先端からちょっと離れたところに立ち昇りました。
「できました!」
特訓の甲斐あって、これくらいの小ささだったら、魔法の光を出せるようになったのです。
「ワフ」
でも、ヨイヤミちゃんは全然驚いてくれませんでした。
普通の犬さんだったら、火を怖がったりするのですが、そんな気配すらありません。
それどころか、すっくと立ち上がるとわたしの横に回り込んできて、鼻先で胸元をフンフンと嗅ぎ始めました。
「なんですか、いきなり?」
ビックリしたせいで、魔法の光はふっと消えてしまいました。
手に持った木の枝をどうしようか迷っていると、ヨイヤミちゃんが上着の内側からスポッと首を抜きます。
その口の先には、このあいだ森でもらった指輪が咥えられていました。
「ああ、その指輪ですか。姉様達にも父様にも内緒にしていたから、普段はつけていないんです」
せっかくもらったのに、ただ上着の内ポケットに入れておくだけだと、確かにもったいない気がします。
ヨイヤミちゃんもプレゼントした甲斐がないと思っているのかもしれません。
ちょっと申し訳ない気持ちになります。
わたしは木の枝を地面に置くと、指輪を受け取って右手の薬指にはめました。
「やっぱり素敵な指輪です。どうですか? 似合ってますか?」
ヨイヤミちゃんはしばらくわたしの手の匂いを嗅ぐと、今度は地面に落ちた木の枝を咥えました。
さっきまでは全く興味を示さなかったのに、どういう心境の変化なのでしょうか。
「この枝がどうかしましたか?」
わたしは今度は木の枝を受け取りました。
すると、ヨイヤミちゃんがわたしから一歩離れます。
不思議に思っていると、突然パチパチという音が響きました。
「えっ?」
そのまま白い煙が大きく渦を巻き、星のようなきらめきが視界を覆い尽くしたかと思うと、夕日のような明るいオレンジ色の炎が木の枝の先から吹き上がりました。
さっきのものとは比べものにならないくらいの大きさの、強い力を持った魔法の光でした。
「ワフン」
驚くわたしを見て、ヨイヤミちゃんが満足そうに鳴きました。
たぶん、フクロウさんにゆずってもらった指輪になんらかの力が込められていたんだと思います。
ほんとうにビックリです。
ヨイヤミちゃんを驚かすつもりが、逆にこちらが愕かされてしまいました。




