家に帰ろう
右腕に妙な重さを感じて、目が覚めた。
窓からうっすらとにじむ光が、夜明けが近いことを教えてくれる。
腕をずぽっと布団から抜き出すと、イナリが両前足でぎゅっとしがみついていた。
長い胴体とこれまた長い尻尾が、肘の辺りからだらっと垂れ下がっている。
こうやって腕を持ち上げられてもイナリは起きなかったようで、耳の下辺りをわたしの手首に擦りつけ、すぴすぴと小さな寝息を漏らしている。
コナユキの方は子狐形態のまま、わたしの胸元で丸くなっていた。
起こさないように気をつけながら、指先で子狐の額の辺りを撫でる。
コナユキはむずがゆそうに瞼をピクピクさせると、片耳だけペコッと前に伏せた。
次は鼻の頭を指先で軽く押すと、その湿った鼻先を無意識なのかぐいっとわたしの手の平に押しつけてくる。
イナリもコナユキも目を覚ましそうになかったので、わたしはふたりをベットに残したまま窓の前に立った。
厚いカーテンの隙間から外を覗くと、星空の下側が明るい紫色に変わり始めている。
「むうー、カナエちゃん?」
ベッドの方からコナユキの弱々しい声が聞こえた。
「おはよう、コナユキ」
「うう、まだ眠いよ」
そう言って、子狐の姿のまま伏せるような姿勢で背中を伸ばす。
「そろそろ部屋に戻らないとだね」
「クルゥ」
一緒に目を覚ましたらしいイナリが、ベッドから飛び降りるとわたしの方までやって来て、がしがしと肩の上まで登ってきた。
気がつくと、コナユキはもう人間形態に変化している。
「じゃあ、部屋に戻ってもうひと眠りするよ……」
そう言ってコナユキは、あくびをしながら部屋を出て行った。
わたしはそのまま服を着替えて、屋敷の庭をひと回りすることにする。
もうお屋敷の使用人たちも働き始めていて、やっと時計が動き始めたって感じがした。
そうして朝は穏やかに過ぎてゆき、皆が目を覚まし一緒に朝食を取って、昼過ぎにはフブキさんがやってきた。
玄関でわたしたちが出迎えると、フブキさんの横には長い黒髪の美人さんが立ってた。
その姿を見て、わたしとコナユキは顔を見合わせる。
一見、フブキさんが連れてきた使用人みたいな格好だけど、これはどう見ても人間に変化したバウルだ。
フブキさんがアヤメお姉ちゃんに丁寧にお礼を言うと、バウルは大きな箱を持って前に出た。
黒曜石のような眼を静かに伏せて、その箱をこちらに差し出してきたので、とりあえずわたしが受け取ることにした。
どうやらお礼の品ということらしい。
「コナユキちゃん……」
リンドウの声はちょっと震えている。
手でギュッとスカートを握りしめて、しがみつかないようにぐっと堪えているらしい。
「リンドウちゃん。いままでありがとうね」
「うん……うん」
「機会があったら、またこっちに遊びに来くるよ」
わたしがそう言うと、コナユキがうれしそうににっこりと笑った。
「ふふっ、待ってるよ」
これから里長になるコナユキは気軽に旅に出られないだろうけど、だったらわたしが会いに行けば良い。
その時はリンドウも連れて行こう。
さすがに森の中までは案内出来ないけど。
わたしがリンドウとコナユキのやりとりを眺めていると、背後から誰かが階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
「あらあら、これは失礼しました。お客様でしたか」
振り返ると、神殿騎士のウキグモさんと審問官のミツメさんが階段の真ん中辺りからこちらを見ていた。
これはまずいかもしれない。
「これは神殿騎士殿。いえいえ、どうぞお気になさらず」
アヤメお姉ちゃんが微笑んで、明るい声を返す。
わたしはなるべく目立たないように、ゆっくりと皆の立ち位置を確認した。
やっぱり階段からはフブキさんとバウルが丸見えだ。
長く生きた精霊だけあってフブキさんの変化は完璧だし、コナユキもうまいこと魔力を抑えている。
バウルだって気配を隠すのは上手だし、どう見ても魔物だとはわからない。
でも、バウルは街道で神殿騎士達とトラブルを起こしていた。
ウキグモさんとミツメさんは、もしかしたらバウルの顔を憶えているかもしれない。
わたしはバウルにアイコンタクトを試みたけど、黒髪の美人さんはこてっと首を傾げるばかりだ。
人と魔物が心を通じ合わせるのはむずかしいのかもしれない。
そうこうしているうちに、神殿騎士の二人はこちらにやってきてしまった。
「あらあら、そちらの方はどこかでお会いしたかしら?」
事情を知らないフブキさんはきょとんとした顔をしている。
「どうでしょう。この街にはたまに参りますから、どこかで見かけられたことがあるのかもしれません」
「うーん、そのような感じでもないのですけど……」
どうやらはっきりとは憶えてないみたいだ。
でも、何かの拍子に気づかれる危険性はある。
わたしはコナユキに目線で合図を送る。
コナユキは小さく頷いてフブキさんの方を向いた。
「叔父さん、そろそろ……」
「おお、そうだな。長居してお邪魔になっても申し訳ない」
そういって二人が扉から出て行く。
門の所まで送ろうと、わたしたちが一緒に外に出ると、なぜか神殿騎士のふたりも後ろをついてきた。
「あの、何かご用でしょうか?」
わたしが焦りを押し隠して声を掛けると、審問官のミツメさんがバウルの方に近づいていく。
「そちらの君、やはりどこかで……」
ミツメさんがそう呟いた時、上空から甲高い笛のような音が割って入った。
見上げると、黒い鳥が三羽ほどこちらに向かって飛んできていた。
どうやら鳥の鳴き声だったらしい。
「ミツメ!」
「わかっている!」
神殿騎士の二人がぐっと眉根を寄せて鳥の方を睨んだ。
黒い三羽の鳥は魔物だ。
前にアヤメお姉ちゃんとチドリさんを襲ったやつと姿が似ている。
「カナエ、リンドウ!」
お姉ちゃんがわたしとリンドウの服を引っ張って下がらせる。
ウキグモさんがすらりと長剣を抜くと、刀身がぼんやりと白く光った。
ミツメさんが刀に向かって手を伸ばしていたから、何か魔法を使ったのかもしれない。
再び空気を切り裂くような声を上げて、鳥の魔物が突進してきた。
「神の名の下に、断罪いたします」
直後、まるでブレるようにウキグモさんの立ち位置が変わった。
同時に白い光が線を描く。
瞬きにも満たない間で、一歩踏み込み長剣をふるったらしい。
二つに裂けた黒い鳥がぽとりと地面に落ちる。
残りの二羽がくるりと小さな輪を描き、そのまま街の方へ飛び去って行く。
「ウキグモ」
ミツメさんがぼそっとつぶやくように言う。
「そうですね」
ウキグモさんが素速く長剣を鞘に収めると、こちらの方を向いた。
「わたしたちはあの魔物を追いますので、これで失礼いたします」
そう言ったかと思ったら、二人はすぐさま門の外に駆けだしていった。
わたしはほっとして小さく息を吐いた。
鳥の魔物のおかげで、バウルのことはうやむやになったようだ。
わたしはコナユキの無事を確かめに来た体で三人の側に駆け寄り、バウルの顔を見た。
「あれの鳥ってバウルの仲間?」
「鳥はバウルと関係ない」
「そうなの?」
コナユキが意外そうな声を出す。
「別の誰かが寄越した可能性はある」
「そうか。ちょっと不安だから、コナユキたちを里まで送ってくれる?」
バウルはちょっと考える風だったけど、こっくりと頷いた。
「わかった。オーブの管理者がいなくなるのも面倒」
わたしたちがこそこそ話をしていると、アヤメお姉ちゃんがこっちにやってきた。
「ご無事なようで良かった」
「ええ、おかげさまで助かりました。あの魔物が戻ってこないうちに失礼させていただきます」
フブキさんがにっこりと笑ってそう言った。
「カナエちゃん、元気でね」
「コナユキもね」
最後にそんな挨拶をして、コナユキ達は里へと帰っていった。
リンドウは姿が見えなくなってもずっと腕を振り続けていて、アヤメお姉ちゃんが軽く頭を撫でるとやっと腕を下ろした。
「やっと終わったかな」
わたしはぽつりとつぶやいた。
森の王の御所でコナユキと会ってからここまで、長かったけど、でもあっという間だった。
王様の課題とか、神様のメダルのお試しとかも、今では全部コナユキ達との旅のついでみたいに思える。
たぶん、また会えるから、わたしたちも家に帰ろう。
「クルッ」
肩の上のイナリがわたしの心を読んだみたいに、そうだねって感じの鳴き声を上げた。
予約が上手くいかなかったのであらためて投稿。
次回から二話目になります。
けっこう行き当たりばったりなので、どうするか考え中です。




