犬の魔法使い
わたしは犬の魔物に向かって突進する。
同時に背後でコナユキが動き出す気配がした。
それでいい。
とりあえず今のわたしの目標は、ここからコナユキを逃がすことだ。
意識を集中して、頭の上の光の輪を勢いよく廻す。
「いくよっ!」
身体を半身にして、右足で前蹴りを放つ。
いつもとは左右逆の構えだけど、一撃のパワーを優先した。
「いかない」
当たったと思った瞬間に、足の裏に堅い感触がして蹴りが止まった。
犬の頭の上に見える光の輪が、さっきよりも強い光を放っている。
魔力を強化してる?
よく見ると、犬の頭とわたしの足の間に、黒い泡みたいなものが発生していた。
「これって魔法?」
「おまえの足は届かない」
わたしは右足を大きく引いて、左手を前に出す構えに戻す。
ちょっと驚いた。
魔力で身体強化してる魔物は見たことあったけど、魔力それ自体を力として使っている魔物は初めて見た。
森の王様に聞いた話では、こういうのは技術としては上級のはず。
わたしだってまだ確実には出来ない。
あのカザリって魔物の人ほどではないにせよ、この犬の魔物も強い力を持ってるみたいだ。
「今すぐオーブを出す。そうすればこれ以上危害は加えない」
「あれだけわたしたちのことを襲っておいて、いまさら危害を加えないとかいわれてもね」
「バウルは理性ある存在。無駄に精霊と敵対しない」
「だからいまさらだって!」
わたしが手に魔力を集めて突きを放つと、またあの黒い泡で打撃を止められてしまった。
たぶんこの泡は魔力で出来ているんだろう。
さっきの見事な魔力の隠し方といい、この魔物はそういうのが得意なのかも。
「出さないなら勝手にさがす」
そう言って、溜めた力を解き放つように、犬の魔物が勢いよく飛びかかってきた。
わたしはギリギリまで相手を引きつけてから、ぶつかる直前に体勢を入れ替えて避ける。
そのすれ違い様に、犬のお腹に裏拳を叩き込んだけど、これもまた黒い泡で止められてしまった。
攻撃は届かなかったとはいえ、なんとなく黒い泡の堅さがわかった気がする。
たぶんもっと魔力を乗せて攻撃すれば、あの泡を突き抜くことが出来るはず。
ただ、普段の訓練ではそこまで打撃に魔力を乗せたことがない。
もっと力を集中しなくちゃ。
でも、まだ修行が足らないから、どうしても動きに隙が出来てしまう。
目の前の犬の魔物は、それを見逃さないはず。
なんとかして、一瞬でもいいから相手の気をそらさないと。
「ねえ、オーブを出せって言うけど、ほんとにわたしたちは持ってないの」
「しらない。今は持っていると仮定して行動する」
いまさらだけど、この魔物かなり頭が良いのでは。
確かにここで宝玉を持ってないと考える理由は、向こうの立場からしたらない。
話が通じない魔物と思ったけど、こうしてみるととても理性的だ。
だからこそ、手に負えないともいえる。
「これ以上、会話は不要」
そう言って、魔物の犬が姿勢を低く下げる。
これは今にも飛びかかってくるという体勢だ。
わたしは打開策を求めて、周囲の状況を素速く確認した。
魔物の後ろにはちょうど家畜小屋があって、さっきまでそこで犬に囲まれてたコナユキの姿は、今はもうない。
どうやら上手く逃げられたみたいだ。
操られていたらしき二匹の犬は、今は所在なげに立っているだけだった。
「クルッ」
肩の上のイナリが、わたしに注意を促すように小さく鳴いた。
よく見ると、家畜小屋の裏側からコナユキが顔を出していた。
その顔にはさっきみたいな気弱な感じはなくて、冷静に状況を観察している感じだ。
そして一瞬、コナユキと目が合った。
「いくよ!」
わたしは、コナユキから見てもわかるように、体勢を低く落とした。
慎重に、魔物から気づかれないように光の輪の回転を増していく。
さっき犬の魔物がやっていたみたいに、表面上は穏やかに。
速く回っている独楽が、一見止まって見えるみたいに。
無駄な力のブレをなくして、なるべく綺麗に光の輪を廻す。
「いかない」
犬の魔物が攻撃のために重心を前に動かしたその瞬間。
家畜小屋の方から強い魔力の揺らめきを感じた。
異変を感じて魔物の動きが止まり、一瞬背後に視線を逸らす。
そこには、コナユキがいて、その頭の上の光の輪が強い光を放っていた。
「はあっ!」
わたしはその隙を逃さず、一気に光の輪の回転速度を上げて、今度は全力で右足の前蹴りを放った。
前蹴りは、また黒い泡に阻まれたけど、今度はそれを貫いて、犬の顎下に当たった。
その勢いで黒い泡が弾け飛び、吹っ飛ばされた魔物は家畜小屋の壁に頭から突っ込んで行った。
「カナエちゃん!」
こちらに走ってきたコナユキの身体を受け止めて、そのままわたしの背後にかばう。
「助かったよ。ありがとう」
コナユキが魔物の気をそらしてくれたおかげで、こちらの魔力を一気に高めて集中することが出来た。
「えへへ」
コナユキの気恥ずかしげな笑顔には、今までは見られなかった自信みたいなものが感じられた。
わたしがコナユキを背にしたまま慎重に家畜小屋に近づくと、犬の魔物はお腹を上にして気絶してるみたいだった。
どうやらあの一撃でも倒しきれなかったらしい。
思った以上の打たれ強さだ。
光の輪を再び廻して、もう一度足に魔力をこめる。
「あっ、だめだよ、カナエちゃん」
わたしがとどめを刺そうとしたところで、コナユキが声を上げた。
「だめって、なんで?」
「その魔物、首輪に札が付いてる。手形を持ってる高位の魔物みたい」
「手形?」
一瞬何のことかわからなくて、魔物に関する記憶を探ってみる。
「カザリさんと同じだよ。約定によって守られてるから、倒したら国際問題になっちゃう」




