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不気味な影

 わたしは姿勢を低くして、地面に顔をこすりつけるような格好で、かまくらの入り口から顔を出した。

 夜の闇の中ではこうした方がよく見えるのを経験上知っている。

 この世界で十年生きてきた、ちいさなわたしの知識だ。

 月の光を反射して、雪の積もった地面がぼんやりと光り、木々の間に何かうごめいているのが見えた。

 熊かなにかだろうか。

 それにしては、ふわふわと力のない動きだ。

 しばらくして、それが丈の長いフード付きのマントを着た人間か何かであることがわかった。


「人だ! よかった、誰かが探しに来てくれたのかも」


 勢い込んでそう言うと、イナリが素早い動きでわたしの頭に飛び乗った。


「クルッ」


 警戒の色を込めた鳴き声を上げて、鼻面をわたしのまぶたにこすりつけてくる。


「なに、ちょっとくすぐったい……って、え!?」


 暗闇の中に今まで見えなかった光が見えた。

 不気味な紫色の燐光が、人の頭の上くらいの位置に漂っている。

 よく見ると、それは輪のように見えた。

 天使の輪とか、そんな感じ。

 でも、それは濁った泥のような色で、そこから気味の悪い紫色の光が溢れ出しているのだった。


「クルッ」


 イナリが頭の上から肩に下りてきた。

 その細長栗鼠の頭の上にも、今まで見えなかった光の輪が見える。

 こっちは透き通るような金色の光で、回転する光の輪が小さな火花をふんわりと振りまいている。

 なんとなく、これがイナリの仕業だということはわかった。

 光の輪が見えるようになったことで、遠くに見える人影の数がおおよそわかった。

 たぶん三人くらいだ。

 しかも、なにかすごく嫌な感じのする色で、警戒すべき相手だってことが不思議と伝わってくる。

 わたしは頭を上げて自分の光の輪を見ようとした。

 でも、光の輪も頭と一緒に動いてしまうようでよく見えない。

 ぼんやりと放たれている白い燐光のようなものが、ちょっとだけ見えた。


「やっぱりあれって良くないものなの?」

「クルッ」


 イナリはそうだよって感じで鳴いて、わたしの首にマフラーみたいに巻き付いた。

 すばやく手袋をつけると、わたしはなるべく腰を落として外に這い出した。

 とたんに、冷たい風が顔に吹き付けてくる。

 雲の隙間から顔を出している月の光が、地面の白い雪をぼんやりと浮かび上がらせている。

 マントの影は思ったよりも近づいてきていた。

 木々に隠れてよく見えないが、たぶん二十メートルも離れていない。

 こちらの動きが目立たないように、ゆっくりとここを離れようとしたところで、マント姿の頭の上の不気味な光の輪が、突然、回転の速度を増した。

 一瞬、紫色の光が輝いたかと思うと、コウモリか何かのようなスピードで、マントの人影が滑るようにこちらに突進してきた。

 わたしは雪の中に突っ込むように横っ飛びになって避ける。

 ごろごろと転がってから、すばやく膝立ちになった。

 同時に、その状態で腰に挿してあった小刀を抜く。

 前世の頃を考えると驚くような身のこなしだけど、実はある程度の体術は教え込まれていた。

 この世界の地方領主は中世の騎士のような存在で、何か事が起こった際は軍隊を率いて戦えなくてはならない。

 領主であるマゴット家の子供は三人姉妹で、男の跡継ぎがいないこともあって、女の子でも手加減なしに鍛えられている。

 ゆらりとマントの人影がこちらを向いた。

 フードの中が見えたけど、影になっていて何も見えない。

 いや、そうじゃない。

 フードの内側には、何もなかった。

 風に揺れる長いマントの隙間からも、マントの裏地しか見えない。

 脈打つように明滅する紫色の光の輪に照らされて、はためく革のマントだけがずるりと向きをこちらに変える。

 顔も何もないのに、その奥に潜む嫌な気配がこちらを見据えているのがわかった。

 イナリの体温で暖められていた身体から、急速に熱が抜けていく気がした。

 冬の寒さとは違う、生命とは相容れないなにかの、生者の存在を否定するかのような冷たさだ。


「クルッ」


 イナリが警戒の鳴き声を上げる。

 視線だけで森の奥を見ると、残りの二体のマントのおばけがこちらに近づいてきていた。

 その動きは速くないけど、さっき見た通り、突進すれば相当のスピードが出る。

 この子供の身体で逃げ切れるだろうか。

 人間だったら交渉することも駆け引きすることもできるけど、どう見ても話しの通じる相手じゃない。

 マントおばけの反応を見ようと小刀を前に突き出すと、首に巻き付いていたイナリがわたしの後頭部にしがみついてガシガシと登ってきた。


「クルッ」

「え、なに!?」


 イナリがひと鳴きすると、わたしの頭上から漏れる光が激しくなる。

 何かが頭の上で高速回転しているのがなんとなく伝わってきた。

 金粉のような光の粒がわたしの身体に広がっていく。

 光は右手に持った小刀まで届いて、刀身が白く輝き始めた。

 まるで魔法の剣みたいだ。

 すると、ちょっとだけマントおばけがわたしから距離を取るのが見えた。

 もしかしたら、この光が苦手なのかも。

 わたしは足を滑らせないようにしっかりと地面を踏みしめてから、半身になってすばやく一歩踏み込み、それに合わせて小刀をマントおばけに向かって突き出す。

 型としてはフェンシングに似てるけど、複雑な足さばきでそのまま切り上げたりとか色々な動きがとれる、マゴット家に代々伝わる剣術らしい。

 マントおばけは回転しながら距離を取ったけど、切先が少しだけ革の端に掠った。

 途端に、そこから濁った紫色の光が吹き出す。


「効いてる!?」

「クルッ」


 倒すことは難しいかもしれないけど、せめてこのまま上手く追い払えないだろうか。

 眼の前のマントおばけは少し距離を取っているけど、残りの二体がこちらまで迫ってきていた。

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