猫だけが動けるところ
身体が動かなかった。
灰色の猫を挟んで向こう側に立つミュオスも微動だにしない。
たぶん魔法の効果なんだと思うけど。
「姉様……」
リンドウが何か言おうとして口ごもる。
もう言い訳のしようもないだろう。
既に取り返しのつかない状況だ。
お互いわかっていながら、敢えて触れてこなかった事実があった。
つまり、わたしもリンドウも普通の人間ではないということだ。
ここに来て、それが明らかになってしまった。
もう以前の関係には戻れないだろう。
でも、わたしはうれしい。
だってリンドウがここにやってきた理由には、姉を助けたいって気持ちがあったはずだから。
まあ、それはそれとして。
「なるほど。こういう仕組みか」
目を凝らせば自分の置かれた状況が見える。
数え切れないほどの量の細い魔力の欠片が、パズルのように複雑に絡み合い、辺りの空間を満たしている。
大気中の魔力がシャーベットのように結晶化した感じというか。
ひとつひとつの欠片はそれほど強くはないけど、隙間なく組み合わされることで、とてつもない強度を保っている。
おかげで、ミュオスが放っていた魔力の奔流も時が止まったみたいに静止していた。
「一種の結界かな」
わたしは伸ばした手の先を少しずつ動かして、パズルを解きほぐしていく。
意識を集中して魔力を直接操作するうちに、なんとか手首ぐらいまでは自由が利くようになった。
「そんな……この結界をあっさり破るなんて」
「別に簡単じゃなかったけど」
一カ所ほどければ、あとは連鎖的にばらすことができる。
とりあえず、わたしの周りの空間だけ自由に動けるようにした。
ミュオスの方はまだピクリとも出来ていない。
こちらのやり方を真似ようとしているのか、視線だけが鋭く投げかけられている。
魔物だって、同じことをしようと思えばできる気もするけど、精霊ほどには魔力の操作が得意じゃないのかもしれない。
とはいえ、他にもやりようはあるだろう。
かなりすごい魔法だけど、見たところ完璧ってわけでもなさそうだし。
「もしかしてあの猫だったら動けるんじゃない?」
「……そうです。この結界は内包する魔力が強い者ほど、拘束の効果がより大きくなります」
つまり、ミュオスがもっと弱い魔物だったら動けたかもしれないということか。
力づくで動きを止めるような、魔力を直接叩きつけるような技とは、ちょっと原理が違うみたいだ。
この魔法はなかなか奥が深いな。
「だから、本当ならば姉様が動けるはずはないんです」
「たしかに最初はがっちり固められてたよ」
同時に別の方法で攻撃されてたら、危なかったかもしれない。
厳しい顔をしていたリンドウが、やっと控えめに笑った。
「考えてみれば、屋敷の周りに施した結界も、短時間であっさり解かれてしまいましたから。意外という程ではないのかもしれませんね」
このあいだのミュオスが足を挟まれてたやつか。
あの時も勝手に結界を解除しちゃったけど、もしかして悪いことしちゃっただろうか。
「ミュオスの身体も解放される」
動きを止められていたミュオスが、かろうじて口だけ動かせるようになったのか、なんとか声を発した。
「あなたはまだ駄目です」
リンドウがつかつかと歩いて行って、ミュオスの手から指輪を取り上げる。
一見、なんとういうこともない動きに見えたけど、身体の移動に合わせて空間上の魔力の構造体が、パズルみたいに組み替わっていく。
結果としてリンドウは動けても、ミュオスの身体は拘束されたままだ。
これはなかなかに難易度の高そうな技だった。
「人間の魔法は複雑だね」
「姉様にはあとでお話ししたいことがあります」
素っ気ない口調でそう言われたけど、言葉の奥に堅い緊張が垣間見えた。
話し合いが必要なのは、たしかにその通りだ。
「いいけど、とりあえず今はこいつをどうするか決めないとね」
わたしとリンドウの視線が集まると、表情の薄いミュオスの顔がこわばるのがわかった。