猫が口にくわえている指輪
隠れてこそこそやってるってことは、なにか後ろ暗いところがあるんだろう。
とりあえず強気でいこうと考えて、わたしは灰色の猫の方に一歩近づいた。
「ミュオスは邪魔されない」
予備動作のない唐突な動きで、ミュオスがわたしと猫の間に割って入ってきた。
気配がなくて虚を突かれたけど、見えてからでも充分対応出来る。
「どいて」
素速くミュオスの肩を掴み、わずかに重心をずらし相手の勢いを利用して投げ捨てる。
宙に飛ばされながらも屋根に手を突いて、くるりと回るみたいに着地したミュオスの姿は、いかにも猫っぽかった。
「それは精霊には無用の物」
いつも無表情なやつだけど、今は口調に焦りがある。
いまにも飛びかかってきそうな雰囲気だ。
「これがどんな物なのかは重要じゃない」
わたしは灰色の猫の口から、鈍色の指輪を抜き取った。
「これが周りとどんな関係を持ってるのかが重要なんだよ」
この指輪がどういう理由でマゴットの屋敷にあって、そこにはどんな力が働いていて、まわりの何をどう変えるのか。
そういうことが大事なんだ。
「見た目では結構抑えられてるけど、内側の魔力はそこそこ強そう」
「ミュオスは指輪を返される。それは我々の物」
なんか持ってる指が妙にちくちくするな。
魔力の干渉を受けているというか。
「ちょっと、嫌な感じ」
「ならばそれは不要なはず」
おどろいた。
気が付くとわたしの手から指輪が消えている。
そして、ミュオスがいつのまにか灰色の猫の向こう側に移動していた。
「いま、何をしたの?」
わたしの問いにはなにも答えず、ミュオスはただこちらを警戒した眼で見ている。
こちらを驚かすような技を使ったのに、その後が続かない。
どういうことだろう。
瞬間移動できるような魔法があるんだったら、このまま姿を消しているはず。
すぐに逃げないってことは、今の技も万能じゃないのかな?
それとも、さすがに瞬間移動みたいな理不尽な大技は存在しないのだろうか。
何かもっと別のやり方。
例えば、気配を消す技と幻術を組み合わせた魔法なのかもしれない。
自分の姿を残像みたいに見せておいて、姿を隠したまま指輪を奪い取ったとか。
もともとミュオスは気配を消すのが上手だったし、ありそうな話だ。
「いいかげん、おいたが過ぎるんじゃないかな」
あたりに漂う魔力ごと、ミュオスの姿を観察する。
目を凝らせば指輪の魔力の他に、微かに不気味な色の魔力の気配が見える。
たぶん、このミュオスは幻影じゃない。
でも存在感は希薄だ。
普通に考えれば、さっきと同じ技を使って逃げようとするはず。
それを今使わない理由はなんだろう。
手に入れた指輪のせいかな。
見た目をごまかし、気配を隠せても、指輪から漏れ出す魔力があるから、同じようなことはできないのかもしれない。
「素直にそれを渡して帰ってくれれば、これ以上めんどうなことにはしないけど?」
「ミュオスはこのまま帰される」
突然、魔力が強く膨らんだ。
普段ミュオスが纏う魔力からは、予想もつかない程の勢い。
大きな魔力のうねりが唐突に叩きつけられる。
小細工のない、純粋な力の奔流。
単に防ごうとすると、こちらがはじき飛ばされそうだ。
「思ったよりやるね」
嵐のように吹き付けられる力を、片手を前に出すことで捌く。
絡みつく魔力を解き、バラバラに辺りへ散らす。
手の先で、細かな光の粒が花火みたいに弾ける。
なんとか散らすことは出来てるけど、それだけだ。
流れが強すぎて、これ以上ミュオスに近づけない。
すぐに終わるかと思ったけど、勢いが衰えない。
このまま力押ししてくるのかな。
普通なら目くらましにして、逃げたりしそうだけど。
ミュオスの情報が少なくて、手の内がわからないのがやっかいだ。
「そこまでです」
突然、魔力の突風が止んだ。
一瞬で世界から音が消える。
空気が固まったみたいに身体が重い。
声がした方に視線だけ送ると、妹のリンドウが屋根の端に立ってこちらを見ていた。