猫のにくきゅうの上
「これで勝負も終わりですね」
キリカゼさんが空を見上げながらそんなことを言った。
いつのまにか、紫色だった空はオレンジに塗り変わろうとしていた。
たしかに勝負は夕方までという話だった。
「わたしは一匹も釣っていませんから、あなたの勝利ということになります」
生真面目な口調でそんなことを言われたが、なんというか、空々しさが半端ない。
「あの、今幻獣が持って帰った、銀色の板みたいなやつは何なんですか?」
「これですか?」
そう言って、キリカゼさんは自分の釣り竿に使われていた板を手に取った。
こっちの方は置いていったのか。
思ったより幻獣の子も抜けてるというか。
「なにか大切な物みたいでしたけど」
「これは龍の鱗を加工した物です。強い力を秘めているらしく、幻獣達は大切に扱っているようですね」
金属じゃなかったのか。
あらためて銀色の鱗をじっと見詰める。
たしかに言われると特別なもののようにも思えるけど、魔力は全然感じないな。
「じゃあ、この鱗を回収するために、幻獣がやって来たんですね」
「そうです。彼らの中で、水龍だけは湖や川の中であれば、距離に関係なくどこにでも現れるのです。それを利用して、幻獣と接触するための道具にしています。まあ、数はとても少ないのですが」
使う毎に回収されてしまうのだったら、どんどん減っていくばかりだろう。
「えっと、そんな貴重な物だとは知らず……」
「かまいません。今回は比較的近場であっさりと手に入りましたし」
なるほど。
猫の王様となにやら話してると思ったのは、このことだったのか。
「ちょっと気になったんですが、わたしが今日相談する前から、この鱗を準備してましたよね?」
「そうですね。元々、幻獣と連絡を取ろうとは思っていたのです。まずは赤ん坊の現状を把握しなければ何の相談も出来ません」
つまり、キリカゼさんの方からもわたしと話をしようとしてくれてたってことかな。
「今回は話を通す前に取り替え子を送り出してしまいましたが、本来ならば先にこの地に住んでいるあなたにひと声掛けておくのが筋です。そこはこちらの不手際ですので、お互いが納得できるかたちにしたいとは思っていました」
「もしかして王様に相談しました?」
なんとなく、うまいこと調整されたような気がしていた。
「話はしましたが、あなたの側の事情は何も聞いていませんよ。王は公平さを重んじる方ですから」
「そうでしたか……」
湖の上に広がる空が鮮やかな赤に染まり始めたので、わたしたちは岸に戻ることにした。
とはいいつつも、実際に船を押してくれたのは例の大きな川獺なんだけど。
そのうち何かお礼でもしたいところだ。
何を喜んでくれるだろうか。
普段食べられないような、ここにはいない魚とかかな。
そんなことを考えていたら、気が付けば王様たちの元に帰ってきていた。
船から陸に上がると、三つ子達がいっせいにこちらに駆け寄ってくる。
今度はみんなキリカゼさんの足にしがみついた。
まあ、母親だものね。
べつにさみしくはない。
ちょっと物足りないけど。
「クルッ」
イナリがわたしの肩まで一気に駆け登り、頭を頬に擦りつけてくる。
「おまたせ、イナリ。良い子にしてた?」
「クルッ」
もちろんだよって感じの鳴き声だ。
「それで勝負の方はどうなったのだ?」
少し遅れてやってきた猫の王様がわたしたちに訊いた。
「彼女が先に水龍を釣り上げましたので、わたしの負けですね」
「なるほど、では幻獣との話もついたのか?」
今度はわたしの方を見てそう言う。
やっぱり王様はこうなることをわかってたんだね。
全て手のひらの上だったというか、肉球の上だったというか。
「あ、はい。北の山脈に連れて行ってもらえることになりました」
「ならば良かった。いつも迎えは突然現れるようだから、前もってしっかり準備しておくのが良いだろう」
そうだよ。
いきなり数日間不在になるかもしれないんだった。
ちゃんと準備をしておかないと。
わたしはキリカゼさんの方にあらためて向き直った。
「そのからみもあって、キリカゼさんたちにはマゴットの領主と会っていただきたいのですが」
キリカゼさんは特に迷う素振りもなく頷いてくれる。
「構いません。元々そのようなお話でしたし」
「あのですね。面会の際にいくつかお願いしたいことがあるのですが……」
そうやってしばらく今後のことを相談し、こちらも問題なく承認してもらった。
よかった。
これでなんとか状況を整えることが出来そうだ。