猫も食べない魚のようなもの
見た感じは蛇というよりも、龍。
ドラゴンというよりもナーガだ。
釣り糸を掴んで引き寄せてみると、蛇みたいな身体がビチビチと跳ねて、ちょっと水が顔にかかった。
思わずその姿をまじまじと眺めていたら、謎の生き物はすぐに大人しくなったけど、急にクイッとこちらに顔を向けた。
「ちょっと、いつまでこのままにしとくつもり? はやく降ろして欲しいんですけど!」
「うわ、しゃべった」
ついそんな声を出したら、小さな龍っぽい生き物がわたしを睨む。
「そりゃあ、しゃべるわよ。なにいってるのあんた」
やっぱり目の前の生き物が言葉を発していた。
いや、まあ、犬とか猫でも話せるんだから、意外じゃないのかもしれないけど。
キリカゼさんの方を確認すると、小さく頷いてくれたので、解放してもよさそうだった。
「じゃあ、針を外しますね」
「そっとやってよね。そっと!」
わたしはそいつを船底に降ろすと、口の中に指を突っ込んでおっかなびっくり内側を探り、なんとか針を外した。
すると小さな龍は強ばらせていたからだを緩めて、首をぷるぷると振った。
「はー、やっと喉のつかえが取れたわ。あんた、針外すのけっこう上手だったわね」
「お褒めいただき恐縮です」
どんなポジションで話せばいいのか、いまいちよくわからず発言しております。
「えーっと、それで、どちらさまなんでしょうか?」
「は? あんたなんなのよそれ!」
いきなりあたりが強かった。
ついでに叫ぶ度にビチビチ跳ねるので、湖の水が顔にかかるんですけど。
「こっちは呼ばれたからわざわざ来てあげたのに、なにその言い草!」
呼んだ?
わたしが?
「あ、そういう……」
なんとなく事情が見えてきた。
わたしがキリカゼさんにじっとりとした視線を送ると、あいかわらずのクールな表情でちいさく頷く。
「この度は急にお呼びだてして申し訳ありません。こちらにはまだ事情を説明しておりませんでしたので、多少行き違いがあったかと」
キリカゼさんの態度はとても丁寧だ。
もしかしたら、この小さな龍って、けっこう偉い人?
「ふーん、そうなの?」
そう言いながら蛇みたいにとぐろを巻いて、頭を上に伸ばしてこっちを値踏みするみたいに見た。
「たしかに、説明はされなかったです」
「まあいいわ。許してあげる」
なんだかよくわからないけどほっとした。
同時に、キリカゼさんが一瞬身体を強ばらせる。
なにかに驚いたような、そんな雰囲気だった。
「ところで、それ、こっちに渡しなさいな」
いきなりの要求。
視線の先を見ると、釣り糸の先がある。
「えっと、これですか?」
わたしが銀色の薄い板みたいなやつを持ち上げると、小さな龍が偉そうに頷く。
「そうそう。早くしなさい」
「えっと、ちょっと待ってください。うーん、はい、取れました」
ぱっと見、小魚にも見えるスプーンの先端みたいな板を渡すと、龍は小さな手でしっかりと抱え込んだ。
がんばってる感じの仕草が、ちょっとかわいい。
「それで、わざわざこんなものを用意して、何の話がしたいわけ?」
「ご相談があります」
キリカゼさんが丁寧な口調でそんなことを言う。
やっぱり予想はあたってたみたいだ。
「そちらの山に、連れて行っていただきたい者がおります」
この話の流れからもわかるけど、つまりこの小さな龍は幻獣だってことだ。
さっき渡した銀色の板を使うことで、幻獣を呼び出せるんだと思う。
しかし、こちらから連絡取る方法があったのか。
もしかしたら、よっぽどのことがないと使わない手段なのかもしれない。
「連れて行って欲しいのは、そこの子供ね?」
小さな龍の視線はこちらを向いていた。
「はい、その通りです」
わたし!?
思わず声を上げそうになって、なんとか直前で堪える。
考えてみれば、先にこの龍を釣り上げたんだから、勝負にはわたしが勝ったと言えなくもない。
幻獣と連絡を取りたいって話もしたし。
でも、おかしい。
要望を出したのはついさっきだけど、この銀色の板みたなやつはもっと前から用意していたもののはずだ。
「キリカゼさん、あの……」
「都合は全て先方にあわせなくてはいけません。それでいいですね」
その口調は有無を言わせぬ感じだった。
「……はい。よろしくおねがいします」
キリカゼさんは小さく頷くと、龍の方に向き直った。
「それと、できましたら、この者に皆様とお話しする機会を設けていただきたいのですが」
「なんか用があるってことね。いいんじゃない? 伝えておくわ」
あっさりと許可が出てしまった。
わたしはあわてて姿勢を正す。
「あの、ありがとうございます」
「いいのよ別に。じゃあ、あたしは戻るから。都合がついたら迎えを出すわ」
小さな龍はそう言うと、何かに気付いたみたいに急にこちらに顔を伸ばしてきた。
「あなた、妙な気配がするわね。なにかしら。光の輪の色のせい?」
「はあ……」
しばらくいろんな角度から観察されたり、匂いを嗅がれたりした。
「まあいいわ。これなら見つけやすいものね」
ようやく満足したのか、すっとわたしから離れると、小さな龍は挨拶もなしに湖の中に飛び込んでしまった。