猫の王様による幻獣入門
「赤ん坊のことは、正直迷っています」
わたしは猫の王様の顔を見上げながら言う。
「心情だけでいえば、赤ん坊は両親の元に戻してあげたいです。小さな子供が親から引き離されるのは悲しいことですから。でも、精霊にとっては人間の事情よりも大事なことがあるのだと、それもわかってはいるんです」
王様は黙ってわたしの言葉の続きを待っている。
「わたしはもう精霊なんだから、精霊の側に立つべきなのかもしれません。でも、ついこのあいだまでわたしは人間だったわけで、どうしてもそっちの視点で見てしまうんです」
「ふむ。精霊としての自覚を持とうというのは良いことだと思う」
王様は褒めるみたいにわたしの頭をゆっくりと撫でる。
「だがな、その方はもっとわがままを言って良いと思うぞ。そもそもが、この世界に初めて誕生した人の精霊なのだ。今までの精霊のやり方だけでいいものなのかもわからない。それに人の精霊であるのなら、人間のことを心配するのだって当然のことだ」
「王様も猫たちのことを心配したりしますか?」
艶やかな赤い唇が微笑む形にくいっと曲がる。
「昔はそういうこともあったが、今は皆をまとめる立場だからな。猫たちのことだけ、というわけにもいかぬ。だがな、カナエ。そなたは我とは違い、責任を持たぬいち精霊にすぎない。自由にすればよいのだ。しかし、そうだな。むしろその生真面目さが人間のようだとも思える……」
確かに。
しがらみに捕らわれるのは人間の性質かもしれない。
精霊というものは、もっと自由に振る舞っていい存在なのかな。
「王様。話を聞いてくれてありがとうございます」
わたしがお礼を言うと、王様は頭を撫でていた手をわたしの頬にあてた。
「キリカゼに対しては、あまり我の方から話をしてやることは出来ぬ。王には公正さが求められるからな。ただ、そなたを手助けしてやれぬ訳でもないことは覚えておくといい」
頬を撫でる手の平が暖かくて、なんだかすごく安心感がわいてくる。
とりあえず、どうしたいのかは決まった。
次は、そのために何をするかだ。
目的がわかっているのなら、あとは方法を考えればいいんだけど。
「そうだ。幻獣とやらについても、どんなものか教えて欲しいんですけど」
言葉は知っているし、なんとなくイメージはあるけど、実際どんなものなのかは知らないのだ。
赤ん坊は幻獣の元に送られたって話だから、まずはそこを知っておかないといけない。
「たしかに、人の世には幻獣について知る者は少ないだろう」
「わたしからすると、伝承の中に出てくる生き物ってイメージですね。竜とか一角獣とか」
つい先程まで、本当にいるのかどうかすら知らなかったのだ。
人間にとっては精霊以上に縁がないものだろう。
「幻獣はわれらにとっても謎多きものどもだ。あまり下界に降りてこない上に、我らとの交流も限定的だからな」
「もしかして、精霊よりも古い種族なんでしょうか」
なんとなく老魔術師が隠居して、山奥に隠棲しているようなイメージが思い浮かんだ。
「いや、むしろその逆だな。我ら精霊たちよりは新しい存在だ。その昔、突然この世界に現れたのだが……」
「え、それって人間みたいに外からやってきたってことですか?」
確か前にそんな話を聞いたことがあった。
他の生物と違って、人間はこの世界の外からやってきたのだ。
「そうではない。動物たちの中から、突然強い力を得て、その姿を変えたものたちが現れたのだ」
精霊が強くなって幻獣になった、とかじゃないのか。
それはちょっと意外だ。
「つまり元は動物だったんですね」
「その通りだ。大トカゲが力を得て竜となり、鷲がグリフォンとなり。ただ、原因は未だにわからないのだ。現れた時期が人がこの世界にやってくる直前であったので、何か関係があるのではないかという声もあったが、結局結論は出ていない」
それもまた意外な感じだ。
人と関係があるどころか、存在することすら疑わしいと思ってたのに。
「ああ、でも、そうか。取り替え子として連れて行かれた人間の子供は、幻獣の元に送られるんでしたよね。関係があるといえば関係ありそうな気もしますけど、そもそも何故幻獣たちに赤ん坊を引き渡すんでしょう?」
わたしの問いに、猫の王様はちょっと悩むような顔を見せた。
「なんと説明すればよいのか。幻獣たちが、ある特殊な技を持っているから、だな」