しゃちくさんたちの夜
「こんなじかんまで、おしごとたいへんね」
モニターの中で女の子が言う。
そうだよ、大変なんだよ。
「こーひーをいれたから、すこしやすまない? てきどにやすんだほうがこうりつがいいってきいたわ」
なんだ、いいこと言うじゃないか。
まだまだ先は長いし、ちょっとひと休みしよう。
「あ、カナエちゃんも帰るでしょ。いっしょに出よ」
現実の人類はきびしいこと言うな。
わたしはモニター横から顔を出してきたリカを軽くにらむ。
「帰んないよ。まだ仕事あんだよ。わかって言ってるでしょ」
「うわ、まだ働くの。しんじらんない」
こちとら君たちが引っ張りに引っ張ったあげく帰り際に投げ出していくブツをこれからチェックせねばならんのだよ。
明日の朝までに流して、できる限りスケジュール巻き上げんとやばいのだ。
と、言いたいところだけど、大変なのはみんな一緒だ。
しってるしってる。
わるいやつはいない。
全てはいきなり短縮されたスケジュールがわるい。
しいていえばスケジュールを急に変えたクライアントがわるい。
思わずわるいやつを指折り数えそうになって、あわてて意識を目の前に戻した。
「君も仕事していけば?」
「しないけど。待ってるから早くおわらせてよ」
リカが隣の席から椅子を引っ張ってきて、装飾過多なスカートのまま、偉そうに足を組んで座った。
フリーダムなゴスロリ姿とおっさんみたいなポーズのミスマッチ感がすごい。
しかし、君、簡単に言ってくれるじゃないか。
「じゃあ、上がってきたデータ全部つっこんで仮実装するまで待ってて」
「いいけど。三十分くらいで終わる?」
んなわけねーだろ!
おもわずヒクつくまぶたを指先で押さえる。
「リカ。もう帰んなよ。遅くなるから」
「やだよ。今日は早めに連れて帰るって、おばさんに約束したし」
人の親とどんな約束してんだよ。
これだから腐れ縁はやっかいなんだ。
いや。
とにかく作業を進めないと話にならない。
わたしは手を動かしながらリカを説得にかかる。
「家にはちゃんと連絡するから大丈夫」
データ形式は仕様通りだろうか。
ツールは通ってるけど、結構落とし穴があるのだ。
「そういう問題じゃないじゃん。休むべき時には休まないとだめだって話!」
こういう時、リカは手強い。
自分のわがままならけっこう折れてくれるんだけど。
それはそうと、データにテクニカルなミスはないか。
クオリティは必要なラインに達してるのか。
いや、そもそも演出意図に沿った内容なのか。
「リカ。このロゴのフォントの合わせ目、ちょっとよれてるから直して」
「は? 今?」
さすがにそんなことは言いません。
「明日でいいよ。出来れば朝いちで」
「りょうかーい」
しかし、リカにしては珍しいミスだな。
「もしかして、疲れてる?」
「あったりまえでしょ! ずっと休出してんだからっ!」
そうだなあ。
「リカとしては、カナエちゃんの謎の体力が信じらんないんですけど」
ふたりきりになると、昔からの癖で、リカは自分のことを名前で呼ぶんだよね。
つまり、フロアにはもう他に誰もいないってことか。
みんなもっと仕事していってもいいのよ?
「別に普通だよ、普通」
「たいりょくがあるのはいいことね。にんげんはからだがしほんだっていうもの」
モニターの中から、女の子が話に入ってきた。
「は? なに、これ」
リカが画面に顔を近づける。
「チューリングカーネルの実装テスト中」
「これが例の、音声から制御データを自動生成するとかいうやつ?」
なにかちょっと誤解があるみたいだ。
「音声も自動生成なんだよ。基本パラメータだけ決める必要あるけど。ハイファイなインテリジェントコアにローファイなパロルフィルタをかけてて」
「よくわかんないけど。なんだっけ。じょうほうどーぶつ、みたいな?」
そんなかわいいクッキーみたいな言い方あるかな。
「ちょっと違うけど、まあ、そんな感じ? 環境とセットで生き物として振る舞うやつで」
リカが眉をひそめて画面の女の子をじいっと睨んだ。
音声以外の入力はないので、画面の中は無反応だ。
「携帯端末のプアな環境でそんなのできるの?」
出来るんだなあ。
「チューリングカーネルもすごいけど、それをのせてるハードウェアがとにかくすごいんだよ。計算速度もデータの圧縮効率もなにもかも。そのおかげで、調整次第では本物の人間と誤解するレベルで会話できたりするし」
「すごいのはわかったけどさー。なんか出来すぎっていうか、そんなうまい話ってある?」
まあ、納得いってるかと言われれば、わたしだって納得いってない。
「中身がほとんどブラックボックスだから、説明できてないのは確かなんだけどね。ロジックで言葉を選んでるんじゃなくて、ただひたすら偶然の連続で当たりを引き当て続けてるだけだって説とか、ハードウェア的に人間の脳量子野を模倣して動作してるんだって説とか、おかしな話だって沢山ある」
「でも、結局チップセット依存なんでしょ? 誰でも遊べるってわけじゃない時点でがっかり感あるよね」
そのとおり。
たしかに、対応する端末に制限がある。
「それって欠点に見えるけど、実はセールスポイントにもなるんだよね。ユーザーには自分たちだけっていう優越感あるし、そもそも体験としてインパクトあるし。しかも、対応機種はどんどん増える流れだからね」
「そう言ってクライアントをだまくらかしたんだ」
リカの表現だと、聞こえが悪すぎる。
とはいえ。
「まあ、それが仕事だからね」
「前から思ってたんだけど、なんでそういうことが起こるの? だって、企画そのものは変わらないんでしょ? プレゼンするときの言い方ひとつで良くなったり悪くなったりとか、意味わかんない」
こういう時のリカはするどい。
なんか動物的な勘かなにかで、クリティカルな部分を見つけだしてくるみたいだ。
「わかりやすくいうと、企画と企画書は全く別の物だから、かな」
「それ、全然わかりやすくないんだけど」
うーん、なんて言ったら伝わるかな。
「リカは企画書ってどういう物だと思う?」
「えっと、企画の中身をわかりやすくまとめた資料、とか」
口をへの字に曲げて、斜め上を見ながらリカが答える。
「実はそうじゃないんだよね」
「そうなの?」
意外そうな声だったけど、こちらを疑うような感じではない。
わがままそうに見えて、けっこう素直に話を聞いてくれるやつなのだ。
「企画書っていうのは、企画にOKを出させて、予算とスケジュールを獲得するための道具なんだよ」
「あー、目的が違うってことか」
そのとおりだけど、実はここが大きい。
「企画を考える時は、おおざっぱに言えば、どうやって面白い物を作ろうかって考えるけど、企画書を書く時はどうやって企画を通そうかって考える必要がある。そこを理解してないと、単なる資料みたいになっちゃうんだよね」
「うーん、まあ、いちおう話はわかったけど、それがさっきの話とどう繋がるの?」
わたしはデータをチェックしながら、ほとんど自動的に口を動かしていく。
「つまり、プレゼンっていうのは企画書と同じカテゴリーなわけ。単に企画を通すためのものだから、企画そのものとは実はあまり関係ないんだよね。嘘を言うわけにはいかないけど、逆にいえば嘘でなければ何を言っても良い。企画書とかプレゼンの本質は言葉だから、そこに実体はない。これは言葉自体がそういうものだからしょうがないんだけど、あらゆることをなんとでも言える。言えてしまう。それで、筋道が通った言葉で説明されてしまうと、聴いた人にはそれが正しいように感じられてしまう。でも、リカが言ったみたいにそんなわけないんだよ。まあ、だまくらかしてると言われても否定はできないかな」
一気にそこまで話して、モニタから視線を上げると、リカの憮然とした表情が眼に入った。
椅子にふんぞり返ってる姿とあわせて、妙に偉そうなゴスロリ女に見える。
「そんなことして、楽しいわけ?」
またズバっときたな。
うーん、どうなんだろう。
「企画を考えるのは好きかな。それをディレクションしながら形にしてくのも好き。企画書を作るのは得意だと思うけど、別にそんな好きってわけじゃない。得意なことが好きだったら、それはそれで幸せだと思うけど」
わたしの答えに、リカが納得したかどうかは、よくわからなかった。
「とくいなことがあるのは、とてもいいことね」
画面の中から、女の子がそう言う。
まあたしかに。
「ねえ、カナエちゃん。この子の名前はなんていうの?」
「単なる実装テストだから特にないけど」
私の答えに、リカは唇をつきだして不満を示す。
「えー、それってかわいそう」
「じゃあリカがつけてよ」
もしかしたら、名前があった方がテストサンプルの適応が早いかもしれない。
「どんな名前がいい?」
「だったら、なんか日本人っぽいやつで」
使う言葉も日本語だし。
「じゃあ、ジュリエットね」
「なんでだよ! 日本人設定どこいったんだよ。訊いた意味ないじゃん」
適当に名付けたくせに、リカは不服そうに頬を膨らませる。
「だったら下の名前はカナエちゃんがつけてよ。日本人っぽいやつ」
「ああ、ファミリーネームって事?」
それなら日系人っぽくはなるけど。
「じゃあ、アルファワン」
「日本語じゃないじゃん! むしろコードネームじゃん!」
テストだからそれくらいでいいんだよ。
今後も増えるかもしれないし、その時に困らない名前がいい。
「はあ、もういいよ。ねえ、画面の中の子。あんたの名前、ジュリエット=アルファワンだからね」
「わかったわ。ジュリエット=アルファワンね。なまえをもらえてうれしいわ」
たしかにその声色はとてもうれしそうに聞こえた。
まあ、だったらよかったかな。
それからずっと、リカはフロアに居座り続けた。
仕事しながら無駄話をしているうちに、気が付けば今日やる内容はあらかた片付いてしまっていた。
いや、なんとかぎりぎり今日中に終わったというべきか。
ちょうどてっぺんを指している時計を見ながらそんなことを思った。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
わたしが声をかけると、リカは急にまじめくさった表情になって立ち上がった。
「その前に言うことがあるでしょ?」
「えっ? なんだろ。待たせてごめん、とか?」
わたしの答えに、ふるふると長い髪を振った。
「ちがいます」
そして、口元だけでニヤリと笑って、リカが壁の時計を指さす。
「あけましておめでとう、だよ。カナエちゃん。今年もよろしく!」
ほんとは年末から年明けすぐあたりに上げる予定の特別篇だったんだけどなぜか数週間遅れました。
どうしてこうなった。
どうしてこうなった。
まあ、しょうがない。
そんなわけで、置き場所をおまけのお話の方に移しました。