猫の王様が教えてくれる、魚の釣り方
「うーん、釣れませんね」
わたしは釣り竿を上げて針の先を見る。
餌の干し肉はまだついたままだ。
しばらくこうしてじっと待ってたけど、魚の気配すらない。
「雑念があるから釣れないのだ。もっと心を穏やかにせねばならぬ」
猫の王様がライオンみたいに大きな頭を、わたしの肩の上にぬっと突き出してきた。
わたしが座っている太い枝が、ぐうっと少しだけ沈む。
折れないかちょっと心配になるけど、たぶん大丈夫なんだろう。
「これも修業のうち、ですか?」
「そのとおり」
ならしかたがない。
あらためて背を伸ばし、姿勢を正す。
こころを研ぎ澄ませると、それとなくあたりの様子がわかる。
わたしが座っている木の枝は、王の御所を囲む大きな湖の淵にあって、水面の方に斜めに大きく張り出している。
いかにも樹齢が長そうな巨木は太く立派な枝振りで、猫の王様が乗っても問題ないみたいだ。
イナリはちょっと離れた枝の上で、眼を閉じて寝ている。
修行中は邪魔をしないようにこうして待っていてくれるのだ。
遠くからは鳥の声が聞こえるけど、この辺りは静かで、皆が息を潜めているみたいな静謐な空気に満ちている。
湖面も鏡のように真っ平らで、生き物の気配はやはり感じられなかった。
「魔力が動いているぞ」
猫の王様が冷静に指摘する。
わたしは頭の上の光の輪の揺れを抑えて、意識的に静かにゆっくりと廻す。
もしかしたら、あたりを探ろうとしたせいで、自然と魔力を使ってしまったのかもしれない。
「やっぱりこちらの気配を感じて、魚たちは寄ってこないんですかね」
「ここに棲む魚は勘が鋭いからな。釣り糸を通じて水中に伝わっているそなたの魔力を感じているのだろう」
王様から出された今日の課題は、この湖で魚を釣り上げることだった。
その目的は魔力のコントロールなんだと思う。
力を静かに抑えて、漏れないようにすること。
今までは簡単に出来てたみたいだけど、精霊になってからはどうにも不安定だった。
コツを掴めばすぐだって、王様は言うけど。
「うーん、集中集中」
「緊張していては上手くいかぬぞ。もっと力を抜くのだ」
そう言って、大きな猫の身体がこちらにのしかかってくる。
もふもふで心地いいけど、ちょっと重い。
「こうですか?」
「力の制御が雑になっているぞ。それでは意味がない」
むずかしい。
わたしが軽くため息をつくと、頭の上に王様の顎が乗った。
「自然に、息を吸うように、あたりまえのことのようにするのだ」
眼を閉じる。
暖かい。
ふわふわの毛皮に包まれて、王様の体温が伝わってくる。
ゆるりと、尻尾が揺れた気配がする。
竿を伝って、糸の先に水の重みを感じる。
「居眠りするでないぞ」
「う、寝てませんよ?」
でもこのままだとまずい気もする。
なにか話をしていた方がいいかな。
なるべく落ち着けるような、のんびりとした話題が良い。
「他の精霊たちも、こういう訓練をするんですか?」
「ふむ。向き不向きもあるからな、精霊によって修業の内容は異なるが、ここで育ったものには釣りを課題にすることは多いな」
「わっ、先輩たちの話、聞きたいです」
「別に面白いことはないぞ。強い力を得たものたちが時折やってきて、見こみがありそうだったら精霊となる手助けをする。それだけだ」
「じゃあ、猫だけじゃなくて、いろんな動物が来るんですね」
「勿論そうだが、猫が来ることが多かったな」
「ふふっ」
「なんだ。どうした?」
「なんでもないです。それで、修業を終えた精霊の先輩たちはどうしたんですか」
「旅に出た。それも修業のひとつだからな。自分の土地を見つけてそこに棲んでいるものもいれば、まだ旅をしているものもいる」
「ここに来ることってあります?」
「たまに顔を出すことはある。それで他の精霊たちの消息を知ることも多い」
「わたしも会ってみたいです」
「いずれその機会もあろう」
「人間の精霊でも歓迎してくれますか?」
「当然だ。みな兄弟姉妹のようなものだからな」
「ふふふっ」
「見た目だけなら、変化した精霊と変わらない。気にする必要はないが、とはいえ触れ回るのもどうかとは思うな。興味を持って寄ってくるモノが邪悪なこともある」
「別に目立ちたくはないんで、その辺は気をつけます」
「信用できる者以外には、今まで通り人に変化した精霊だと思わせておくのがよかろう」
「うーん、わたしって変化出来ないんでしょうか」
「前にも言ったが、変化は人の姿になる術だからな。人の精霊が人の姿になるだけだ」
「動物の姿にはなれないんですか?」
「我の考える限りでは、なれない。人が特殊であるゆえんだ」
「元々人間は精霊になれないって話でしたよね。どうして人間だけ違うんでしょう?」
「それは、人がこの世界の外から来たからだな」
「初耳です」
「人の歴史には残されていないらしい。我も直接見たわけではないが、遙か昔、この世界に人はいなかった。そこに後からやって来たのだ。同時に精霊は人に変化する術を手に入れたそうだが」
「なるほど……」
「どうした?」
「あの、前に行った鏡の間はいつ頃からあるんでしょう?」
「遙か昔からあるそうだが、我も詳しいことは知らぬな」
「そうですか」
「なんにせよ、変化は人の姿になるものだからな。修業する意味はなかろう」
「変化の修業って、どうやるんですか?」
「瞑想と実践の繰り返しだ。己の人としての姿を探り、自らの魔力をその姿に重ね合わせるのだ」
「それって、動物の姿をイメージするんじゃだめなんでしょうか」
「先程も言ったが、普通の精霊には無理だ。しかし、人の精霊というのは例のない存在だからな」
「もしかしたらできるかも?」
「わからない、ということだ。そもそも、今はそれ以前の段階だぞ」
「ですけど、いずれは変化の修業も試してみたいです」
「精霊の時間は長い。好きにするがよかろう」
「動物になるんだったら、わたし、猫になりたいです」
王様が言葉に詰まるのと、釣り竿の振動があたりを伝えるのが同時だった。
軽く引くと、ぐっと手応えがあった。
「かかりました!」
「そのままなるべく魔力を抑えつつ、魚の動きを捉え、釣り上げるのだ」
釣り竿を伝って、水中の魚の動きが見える。
針を外されないように、糸を切られないように竿を操る。
そして、動きが弱まった瞬間に、一気に釣り上げた。
糸の先で、キラキラ光る魚が身体をピチピチと跳ねさせている。
パッと見はイワナに似てる気がする。
「王様、やりました!」
木の枝から降りて、あらためて報告すると、猫の王様は重々しく頷いた。
「うむ、よくやったな。なかなか良い魚だ」
王様も猫だし、やっぱり魚が好きなのかな。
「コツを掴んだのか、魔力の操作も良くなった。褒美をやろう」
そう言って、顔を洗うみたいに前足で顔をゴシゴシと擦る。
何をしてるのかと思って見ていると、そのまま前足をこちらに差し出してくる。
「何でしょう? あ、髭?」
「それを身につけておくがよい」
何らかの魔法を使ったのか、大きな爪に挟まった半透明で長い髭がふわりと宙を舞い、わたしの左腕にスルリと巻き付いた。
そのまま手首を何周かすると、髭の先が不思議な幾何学模様みたいな形に結び合わされる。
「これって、何かのお守りですか?」
「まあそのような物だ」
ミサンガとかそういうやつかな?
腕を上げ、光にかざしてみると、うっすらと金色に輝いていた。
「それがあれば、猫の精霊や多くの猫たちが仲間となってくれるだろう。願いをなんでも聞いてくれるわけではないが、親身にはなってくれるはずだ」
王様の身内の証、みたいなものなのかもしれない。
猫の姿にはなれなくても、猫の仲間にはなれる。
「ありがとうございます! 王様! わたし、ずっと大切にします!」
わたしがそう言うと、猫の王様はゆっくりと頷いたのだった。
章の調整のため再投稿しました。