エピローグ/あたらしい家
「なにもさせてもらえないから、全然、実感わかないんですけど」
狒々の執事さんに淹れて貰った紅茶を飲みながら、隣に座る美女に訴える。
森の王の居城に戻ってくるまでの間、わたしは魔力を扱うのを最低限まで抑えさせられていた。
精霊の力に身体を慣らさなくてはいけないということらしく、理屈はわかるけど、なんというかつまらない。
それで、戻ってきたかと思ったら、すぐに王の間のソファへ押し込まれたというわけだった。
人間に変化している猫の王様が、ゴージャスな美女顔をこちらに近づける。
「しばらくはこのままでいるのだ。カナエ」
なんでソファーの対面じゃなくて真横に座ってるのかというと、がっつりと手首を握られているからだ。
形のいい長い指がしっかりとわたしの細い腕をホールドしている。
「こんなことしなくても逃げませんよ」
「なりたては不安定になるものなのだ。おとなしく座っているかと思ったら、突然走り出すかもしれんだろう?」
子供か。
いや、確かに十歳の子供だけどね。
「うーん、わたし、本当に精霊になったんですよね?」
「無論だ」
鏡の間で、わたしは選別の儀式を終えた。
結果として、問題なく精霊になったらしいけど、いまいちピンとこない。
「とはいえ、人間の精霊という存在自体が類を見ないものだからな。なにがどうなっているのかは我にもわからぬ」
「じゃあ、動物が精霊になると、どうなるんですか?」
同じようなことは前にも訊いた気がするけど、手掛かりが少ないから仕方ない。
「本質的な部分から変化してはいるが、表面上で言えば、身体能力や魔力が向上するな」
「それはなんとなくわかる気がします」
動物と精霊とでは光の輪の大きさが違う。
もっとも、すごく大きな輪を持つ動物や、それほど大きくない輪の精霊もいるけれど。
「あとは知性が向上する。例えば、言葉をしゃべれるようになるかもしれん」
「元から話せますよ」
逆に動物の言葉がわかったりしないだろうか。
だったら楽しそうだけど。
「とはいえ精霊といえど訓練は必要なのだ。学ばねば言葉は話せない。魔法も同じことだぞ」
つまり、魔力の扱いも精霊の魔法も、これから勉強しなくちゃいけないってことだ。
「なんにせよ修業が必要なんですね」
「存在の根本から変化が起こっているのだ。肉体自体のあり方が違うのだから、慣れるまではむしろ上手く力を引き出せぬ可能性もある」
いきなりすごいことを言われた気がする。
「この身体ってもう人間じゃないんですか?」
「見た目も働きも人と変わらぬが、素材が変わっているようなものだな。透明なガラスで出来た瓶が、透明な氷で出来た瓶になったようなものだ」
それってすごい違いなのでは。
「今は無意識に人の子のあり様を維持しているが、より自由であることに気付いたときが厄介なのだ」
だから、不安定だって話なのか。
「他のなりたての精霊はどうしてるんでしょう?」
「基本的に、鏡の間に立ち合った精霊がしばらく面倒を見ることになる」
なるほど、付き添いにはそういう意味もあるのか。
「じゃあ、王様がわたしの面倒みてくれるんですね!」
「当然だな」
ちょっとふざけた調子で言ってみたけど、猫の王様の返しはごくごく真面目な口調だった。
「しばらくはここに通うがいい。その代わり、ここ以外では魔力を使わぬようにな」
「もしかして、今度こそわたし、王様の後継者になったりします?」
さらに冗談みたいなことを言ってみると、美人が目を細めてこちらを見詰めた。
「カナエはどうしたいのだ」
「え、わたし、ですか?」
そうか。
あらためて考えてみると、これはありうる話だった。
今までは人間だからあり得ないって言われてただけで、これが精霊だったら後継者の資格はあるんだろう。
「そもそも、精霊のこともまだよくわからないんですから、どうしたいとかピンときませんよ」
正直なところを告げると、王様がわたしの顔を覗き込むようにしてきた。
顔が良すぎて迫力がすごいんですけど。
「我としては、何をするのもそなたの自由だと思っている。このまま人間として生きてもいい。それが望みならば構わない」
王様はわたしの頭に軽く手を載せ、ゆっくりと撫でる。
「だが、人ならぬ身であればいずれ限界も来よう。その時は、ここに戻ってくるがいい。我の居城はもう、お前の家でもある」
目の前の豪奢なドレスを着た美女は口元だけで軽く微笑んだ。
あまりに美人なのでまったく母性とかは感じないけど、なぜかもういなくなったお母さんのことを思い出した。
「ありがとうございます。王様」
なんだかくすぐったい気持ちになって、思わず口から笑い声がこぼれた。
おまけのお話です。
が、直につながるエピローグ的な話なので、くくりとして2話にしました。