鏡の中のたくさんのいきものたち
猫の王様が魔力をさらに注ぐと、精霊の鏡の画像が歪み始めた。
「何が始まるんですか?」
「選別の儀式だ。ここに手を触れさせなさい」
言われたとおりに鏡に手を当てると、広角レンズがとらえた映像のように、鏡の中央に向かって像がさらに流れ、寄り集まっていく。
すると、鏡の縁に今まで映っていなかった周囲の映像が流れ込んできた。
世界がどんどん広くなり、中央にいる王様とイナリの姿は小さくなっていく。
「なに、これ?」
さらに映像が歪み縮んでゆき、精霊の鏡の、TVモニターみたいな画面の外縁部に暗い枠が現れた。
ここから先に世界はない。
そう言うかのような、認識の淵みたいな、底の見えない暗さだ。
「精霊は他者によって存在を認められなくてはならない。我らは己だけでは存在を保てない」
猫の王様の、その言葉も歪んで聞こえる。
「だからこの儀式には年を経た精霊が付き添う。その方が成功しやすくなるからだ。ただ、この場に我がいたからといって必ずしも儀式は成功しない」
視界が歪み、声だけが遠くから響いた。
「己の鏡を見付けよ。カナエ。そなたなら出来るであろう」
そして、気が付くとわたしは暗やみの中にいた。
さっきまでぼんやりと白く光っていた地面も見えない。
なにもない中、手を前に出し、ゆっくりと歩き出す。
「たぶん、これが儀式なんだろうけど。何をどうすればいいんだろう」
一瞬、返ってくるはず相槌を待って、肩の上にイナリがいないことに気付く。
ひとり。
さっき王様は、精霊は自分だけだと存在を維持できないって言ってた。
人はひとりでは生きられないとかよくいうけど、たぶんそういうのとは違う。
どんな理窟なのかはよくわからないけど、これは心構えとかそういう話じゃなくて、精霊という存在の根本に関わる仕組みなんじゃないだろうか。
精霊になるためには、誰かがわたしを精霊だと認めてくれる必要があるのかもしれない。
「なんだろう」
なにかがひっかかる。
たぶん、前世にまつわる何か。
わたしが死んでしまうよりも前の、何かだ。
「うーん、もやもやする」
何かのヒントになるかもしれないのに。
でもまあ、思いつかないものはしょうがない。
「あれ? 何か光ってる?」
遠くに、ぼんやりとした明かりが見える。
駆け足で近寄ると、それは精霊の鏡だった。
覗き込むと、イノシシらしき動物の姿が映っている。
周りの樹木と比較すると、かなりの大きさだ。
ワンボックスカーくらいのサイズに見える。
もしかしたら精霊かもしれない。
「やっぱり鏡じゃなくて、モニターだよね」
どうやってもわたしの顔は映らない。
もしかしたら、これはさっきの精霊の鏡じゃなくて、別のモニターなのかもしれない。
「だったら、まだ他にもあるかも」
わたしは鏡から離れて再び歩き始める。
すると、思った通りまたぼんやりとした輝きが見えてきた。
近寄るとこちらも、どこかの精霊らしき姿が映っている。
「カルガモ?」
うちの周りでは見かけない鳥の姿だ。
鏡のような水面の上を滑らかに進んでいる。
どこか遠くに棲んでいる精霊だろうか。
再び鏡から離れる。
次に見つけたのは子狐。
建物の軒下で丸まって眠っていて、時折ピクピクと片耳だけ動かしている。
コナユキよりも小さい。
もしかしたら、あの里にいた幼い狐たちのひとりなのかもしれない。
「精霊の子供は最初から精霊なんだよね?」
精霊になるにはふたつの方法がある。
動物が歳を経て強い力を持つか、精霊の子供に産まれるかだ。
この場所で試練を受けた精霊は前者、コナユキたちは後者だ。
つまり、わたしも前者になるってことだろう。
唐突にお母さんのことを思い出す。
冬の日の庭園のことを思い出す。
まだリンドウは生まれてなくて、病弱だったけど、お母さんは時折わたしを連れて広い庭に出た。
春になれば庭園に咲くだろう花の名前を教えてくれて、木々の間から顔を出す動物たちの名前を教えてくれた。
わたしが人間でなくなったら、お母さんは悲しむだろうか。
次の鏡には細長栗鼠が映っていた。
イナリとは違う、黒い毛色の細長栗鼠だ。
もっと見ていけば、イナリや王様が映っている鏡もあるだろうか。
そうやってわたしは、つぎつぎと精霊の鏡を見つけていった。
どの鏡にも精霊の姿が映っている。
「やっぱり、どこかにわたしの姿が映っている鏡があるんだよね」
己の鏡を見付けろって言ってたし、それで間違いない気がする。
どうやったら見付かるのか、何のアイデアも出てこない。
とにかく歩いて探すしかない。
そして、まったくなにも映っていない鏡を見付けた。
薄ぼんやりとした砂嵐が画面を満たしている。
目を凝らす。
しばらくそうしていると、砂嵐の中に何かがみえる、そんな気がした。
「誰かの、顔?」
思わず手を触れると、像がはっきりとしてきた。
懐かしい。
見知った顔がこちらを覗き込んでいる。
その横には、赤茶の毛をした細長栗鼠の姿もある。
いや、そうじゃなくて、フェレットだっけ?
ノイズの向こうに、うっすらと声が聞こえる。
「かなえちゃん!」
久しぶりに聞く幼なじみの声。
「クルッ」
その横でフェレットが鳴く。
「んー、お嬢さん、残念だった!」
わざとらしい、テレビショウのホストの声が響いた。
どこからともなく聞こえる、たくさんのマダム達の溜息。
「残念じゃない! リカはどうでもいいから! 代わりにかなえちゃんを助けてよ!」
「ルールはルールだからね」
「だからわたしの代わりに……」
「彼女には旅立の時が待っている。さあ、君も拍手で見送ってあげよう!」
そうか。
これはあの時の、前世で死んで神様のゲームに挑戦した時の光景。
意識がもうろうとして、ほとんど何も感じ取れなくなっていた時の出来事だ。
「そんなの認めない!」
リカの言葉に、ホストがジェントルマン面で片眉を上げる。
「しかし、彼女には旅立ちの時が……」
「だったらわたし、かなえちゃんのところに行く!」
悲痛な叫びには、間違えようもない本気の響きがあった。
黄金色のメダルを咥えたフェレットが、リカの顔を見上げた。
「ルールはルール……」
司会者が伸ばした手をリカが反射的にはねのける。
「絶対に、リカが、かなえちゃんを助けに行くから!」
そう叫んだ瞬間。
「キュッ!」
突然フェレットがジャンプして、リカの腕に体当たりした。
それは、神様のメダルを持っていた方の手で、ポロリと金色の輝きがこぼれ落ちる。
同時にフェレットの口からも、もう一つのメダルが弾き飛ばされた。
ふたつのメダルはぶつかって、跳ねて、円を描きながら地面を転がる。
「おっと、これはいけない!」
ちょっと慌てたような番組ホストの声が聞こえる。
そのメダルの行方を、思わず皆が目で追って、誰の足も動かぬまま。
ふたつほぼ同時に、パタリと音を立てて倒れた。
メダルの片方は表。
もうひとつは、裏が上になっていた。
これで第二話は終了です。
ラストのパートが思ったより長かった。
どうしてこれを一回で終われると思ったのか謎。
次はおまけのお話ですかね。
エピローグ的な内容になるか、カナエが不在の間のお屋敷の話になるか、まだ決めてませんけど、だいたい書く直前の思いつきで決まる模様。