精霊の王からのおさそい
「精霊になるって、つまり人間をやめるってことですか!?」
わたしは、思わず階段から飛び降りてしまった。
いきなり話が大事になってきた。
「まあ、そうだな。精霊はいやか?」
「いやじゃないですけど。わたしが出会った精霊の人たちはみんな大好きだし。でも、ずっと人間をやってきたので……」
思わずちょっと口ごもると、猫の王様がすっと目を細めた。
「我の見たところ、それも多少あやしいのだが」
「いや、わたし人間ですよね」
「動物たちも長く生きると精霊に近づくことがあるが、それと同じように、その方も精霊に近づいていると思われる」
たしかに魔力は強いみたいだけど、そういうものなの?
「でも、まだ十歳ですけど」
「鏡の間を訪れたことがあるからかもしれん」
そういえば、さっきそんな話をしてたね。
「それに、このままだとそなたの身体が保たぬ可能性がある」
「どういうことですか?」
「その方の魔力の強さに、人間の身体が耐えられなくなるということだ」
なんだか怖い話になってきた。
「もしかして、人間の魔法を学べって言ってきたのって……」
「保持する魔力の巨大さはどうにもならんが、使い方を変えれば、多少なりとも負担は減るだろうと思ったのだ」
王様はわたしのこと心配してくれてたんだ。
そう思うと、なんだかすごくうれしい。
「しかし、カナエ。そなたには人間の魔法は向いておらぬようだからな」
なんか、人間に向いてない、みたいなこと言われた。
「精霊になったら、どうなるんでしょう? 耳とか尻尾とか生えます?」
「もう耳はあるではないか」
軽くため息をつかれてしまった。
まあ、そうなんだけど。
「人間の精霊なのだから、姿は人間のままだ」
「動物に変化したりとか」
王様は呆れたように軽く首を振った。
「変化は人の姿をとる術だからな。人間が人間になるだけだ」
「そうですか……」
なんとなく肩落としたわたしを、王様は真面目な顔で見詰めた。
「ただし、身体能力や魔力は強くなるだろう。それから、寿命はかなり延びる。大人になるまでは人と同じように成長し、そこから先は姿が変わらなくなるだろう」
「それはなかなかおおごとですね」
「とはいえ、魔法に長じた者ならば、人でも同じように若い姿を保つ輩はいる」
たしかに、たそがれの魔女とか、ハンゲツなんかはそうだった。
そうやって考えると、実はそれほど今までと変わらない?
「どうしても嫌だというならそれでも良いが」
王様はそう言ってくれたけど、わたしを精霊にしたいって気持ちは強そうだ。
心配してもらえてるのは素直にうれしい。
このままだと身体に限界が来るかもって話だし、猫の王様に精霊の魔法を習いたかったし、それにこれから先、もっと力が必要になるんじゃないかって、そんな予感がするんだよね。
わたしだけのためじゃなくて、まわりの大切な人たちのために。
「決めました。わたし、精霊になります。いや、なれるのかな。どうなんでしょう?」
高らかに宣言したものの、だんだん声が小さくなっていく。
「なんというか、どうにもしまらないやつだな。まあいい。とにかく試してみるか」
「えっと、どうやって、何を試すんですか?」
「精霊の鏡を使う。ついてきなさい」
そう言って、猫の王様はすたすたと歩き始める。
「イナリ、行こう」
「クルッ」
階段を小走りに駆けてきたイナリが、わたしの肩に飛び移った。
そのまま足早に進み、王様の横に並ぶ。
「それで、精霊の鏡ってどんなものなんですか?」
「ここに古くから存在する、強い力を持つ鏡だ」
まあ鏡の間っていうくらいだから、鏡があるとは思ってたけど、もうちょっと具体的な説明が欲しかった。
精霊の秘宝みたいなものなら、なにか不思議な力があるんだろうけど。
木々の間を縫ってしばらく進むと、また別の開けた場所に出た。
「あれが精霊の鏡ですか?」
中央に一本だけ大きな木が生えていて、太い幹の真ん中に、たしかに大きな鏡みたいなものがはめ込まれている。
地面の高さから始まって人の背を越えるくらいまでのサイズで、普通の姿見より大きいだろう。
でも、平らな鏡面は一面黒い色をしている。
「鏡って言う割には、何も映ってませんけど」
「この鏡は精霊しか映さない」
近寄って鏡を覗き込む。
やはり表面は艶のない暗い色のままだ。
「イナリも映ってませんよ」
「まだ鏡の力を発現させていないからな」
そう言って、王様が鏡の前に出ると、頭の上の光の輪を強く廻した。
「よく見ているように」
大きな猫の身体に魔力が行き渡り、全身がぼんやりと光る。
王様は光る鼻先を精霊の鏡に押し当てた。
すると、黒い板みたいに見えた鏡が、うっすらと光り始める。
その光は白黒の砂嵐みたいに見えた。
いや、これって、もしかしてTVモニターなのでは。
「クルッ」
イナリが何かに気付いて鳴くのとほぼ同時に、砂嵐の中から猫の王様の姿が浮かび上がってくる。
その奥には白い木々が見える。
でもなんか、ちょっと変だ。
「これ、鏡なのかな?」
王様の後ろから覗き込むと、いきなり空中にイナリの姿が現れる。
話に聞いていた通り、人間であるわたしの姿は映らない。
いや、それよりも、イナリの姿が現れたのは、わたしが立っている方とは反対側だった。
やっぱり、これ鏡じゃない。
映る姿が現実とは反対になってない。
鏡は左右が逆になるというか、前後が逆になるんだけど、これはちがう。
カメラで撮った映像がモニターにというか、精霊の鏡に映し出されてるんだ。
たぶん、カメラの役割を果たしている物は、鏡の向こう側にあるんだろう。
そういうところは、魔法の道具みたいな感じがする。
「では、始めるぞ。カナエ」
猫の王様が重々しい声で言った。