鹿と少女
わたしが部屋に入ると、ミカヅキとロクサイがにらみ合っているところだった。
「だから、もう少し休んでなって!」
「ムイッ」
思ったよりロクサイの体調よさそうだったので、わたしはちょっとほっとした。
「どうしたんですか、一体」
「ロクサイが大人しくしてくれなくて」
そう言って、ミカヅキがそっとベッドの方に引っ張って行こうとするけど、ロクサイはその場で足を突っ張って言うことを聞こうとしない。
「ロクサイ、ご主人様は君のことを思って言ってるんだからね」
わたしが頭を撫でると、ロクサイが気持ちよさそうにすぅっと目を細めた。
「病み上がりの割には元気ありそうですね」
「全然言うことを聞かないんだよ」
ミカヅキがそう言ってため息をつく。
目をこらしてロクサイを見ると、毛並みの色艶は良さそうだけど、頭の上の光の輪は前よりも小さくなっていた。
これだと、もう普通の動物とあまり変わらない。
ミカヅキの方も、光の輪の輝きは弱まっている。
「まあ、言うこと聞かないんじゃなくて、言ってることがわからないんだけどさ」
ぽつりと、ミカヅキが言う。
「それって、いつからですか?」
「ロクサイが目覚めてからだよ。地下の迷宮を出た時からそんな予感はしてたけど」
もしかして、ロクサイとの使い魔としての繋がりが消えてしまったのか。
魔法をかけたたそがれの魔女、というか卵の魔物が消滅したから、魔法も効力を失ったのかもしれない。
二人とも魔力が落ちてるのもそういうことだろう。
「ムイッ」
ロクサイが頭をこすりつけながら短く鳴くと、ミカヅキは腰を屈めてやさしく抱きしめた。
「なんだか、懐かしいよ。小さい頃はいつもこんな感じだった」
「意思が通じなくなったのは、先生が消えてしまったからだと思います」
ここで話さなくてもいずれは知れることだから、わたしから説明しておきたかった。
「先生が、消えた?」
「ハンゲツさんが気になるって言い出して、三人で部屋まで行ったんですけど、もぬけの殻でした」
ミカヅキはロクサイを離すと、椅子を引き寄せて座った。
「それってどういうこと?」
「はっきりとしたことはわかりません。でも、先生の力も、掛けた魔法も消えてしまったみたいですね」
ミカヅキは何かを掴もうとするように、手を開いては閉じるのを繰り返した。
「だから、使い魔の魔法もなくなったのか……」
「突然消えたわけですから、予測不能な事態が起こったんだと思います。つまり、もう戻ってこないかも知れません」
わたしがそういうと、ミカヅキはパッと顔を上げてこちらの方を見た。
「もしかして、先生は死んだと思ってるの?」
「ありていにいえばそうです」
ミカヅキは目を瞑ってふるふると首を振った。
「ありえない。先生は、たそがれの魔女だよ」
「もしかしたら、そうじゃなかったのかもしれません」
怪訝な表情でミカヅキがこちらをにらむ。
「何を言ってるの?」
「なにものかが入れ替わっていた可能性があります。それこそ何十年も前から」
「ムイッ」
二人だけで話していたから寂しくなったのか、ロクサイがわたしとミカヅキの間にぬっと顔を突っ込んできた。
「何か根拠があるのかもしれないけど、わたしたちには関係ないな」
そう言って、ミカヅキはロクサイの首を優しく撫でた。
「あの時、死にそうになったロクサイを助けてくれたのは、その先生だよ。わたしは先生が世界で一番の魔法使いだと思ってる。それは変わらない」
「クルッ」
突然、イナリがわたしの肩から降りてきて、ロクサイの顔に鼻先を寄せた。
「ムイッ」
ロクサイの方もゆっくりと鼻を近づける。
あらためて挨拶してるような、そんな感じの雰囲気だった。
「そうだ。わたしの師匠にロクサイのこと相談してみましょうか?」
考えてみれば、身近にすごい人がいたんだった。
猫の王様だったらなんとかしてくれるかもしれない。
「あんたの師匠って、精霊だっていう、あの?」
「とても力のある精霊ですから、ロクサイと意思が通じるようになる方法を知ってるかも知れませんし、魔力を元に戻せるかもしれません」
ただの動物に戻ってしまったらしきロクサイも、もしかしたら白狼達みたいに精霊に近い存在になれるかも知れない。
そうすれば魔力も増えるし、寿命も延びるだろう。
「いや、それはこちらでなんとかする」
ミカヅキはきっぱりと言った。
「わたしはたそがれの魔女の弟子だからね。研究して、自分の力でもう一度ロクサイを使い魔にするよ」