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本を開いて、卵の殻を割る

「たったひと晩でずいぶんと意見が変わりましたね」


 ハンゲツが焼き菓子をつまみながら言った。


「昨日の説明があまりにも不出来でしたから、いろいろ考えたんです」

「逆に出来がそこそこ良かったら、ここまでたどり着かなかったかもしれませんね。失敗こそが成功への糧となったわけです」

「クルッ」


 無意識にお菓子に手を伸ばすと、肩の上のイナリが鼻先をわたしの頬に擦りつけてくる。


「さっきも食べたんだから、ちょっと少なめにね」

「クルッ」


 心持ち小さく割った焼き菓子を差し出すと、今回は手から直接かじった。


「どんな流れで正解にたどり着いたか、教えてもらえますか?」

「別に特別なやりかたとかじゃないですよ」


 そうひとつ前置きして、自分の考えを整理しながら話し始める。


「昨日お話ししたように、小さな頃のミカヅキさんとロクサイを先生は救いました。その時に用いられた特殊な使い魔を作り出す卵の魔法は、魔物が使う魔法であるようでした。ご存じだと思いますが、人間が魔物の魔法を使うことは難しい。というか、ほぼ不可能でしょう。だから、わたしは卵の魔物を特殊な使い魔にすることで、魔物の魔法を手に入れたのかと考えましたが、そうすると前後がおかしくなります」

「その話は、昨日も話題に上がりましたね」


 あの時はうやむやで済ませちゃったけどね。


「ええ。では、どうすれば前後の筋が通るのか。答えはごくシンプルです。魔物の魔法は、魔物が使った。つまり、卵の魔物が特殊な使い魔を作る魔法を使ったんです。相手は当然先生、たそがれの魔女ということになります」

「そうすると、どうなるんでしょう?」


 答えを知っているのか知らないのか、ハンゲツが話の流れを進めてくれる。


「幼い頃のミカヅキさんが森で会った女性に、もしかしてあなたは魔法使いなの? と尋ねました」


 ハンゲツが昨日の話を思い出したのか、かるく頷く。


「答えは、そうかもしれない、です。つまり、その女性は魔法使いかもしれないし、そうでないかもしれない存在なんです」

「うーん、つまりどういう事でしょう?」


 先生から話を聞いてるっていうんだから、ハンゲツもわかってるんだとは思うけど。


「つまり、先生と卵の魔物は入れ替わったんです。やり方はわかりません。たぶん、使い魔になり、強いつながりが出来たことで可能になったんでしょう。思うに、体は先生で精神は魔物、という形になっていたのではないでしょうか?」

「卵の魔物が先生に化けていた、とかではなく?」


 そのパターンも考えたけど。


「地下の迷宮にいたのは、卵の魔物だったんです。つまり、地下に閉じ込められていたのは、卵の魔物の体に入っていた先生だったんじゃないでしょうか」


 ハンゲツがぬぅっと顔をこちらに近づけてくる。


「カナエさんは十歳ですよね。どうしてそこまで深く考えられるんですか。ほんとに十歳ですか? 歳ごまかしてませんよね?」

「最近の十歳は早熟なんですよ」


 わたしの答えを聞いて、ハンゲツは天井を見上げながら大きな溜息を吐いた。


「普通の十歳は自分のこと早熟とかいいませんよ」

「まあ、それは置いておくとして、先生の体に入った卵の魔物は、正体を偽って色々活動していたんでしょう。内容はわかりません。卵を渡した鳥の魔物の王様が絡んでいるのかもしれないですね。そして、七年前に大きな事件が起こりました」

「クルッ」


 イナリが空気を読まずにおかわりをくれくれし始めたけど、指先でほっぺたをぷにぷにして止めさせた。

 そのぷにぷにが楽しかったのか、小さな前足でわたしの指にしがみついてくる。


「事件っていうのは、先生が力を落とし、あのような姿になった出来事のことですね」

「何が起こったのかは、みなさん知らないんですよね?」

「そうです。全く青天の霹靂でした」


 たそがれの魔女に入り込んでいた魔物が弱体化したとして。

 誰がやったのか。

 そんなの、ひとりしかいないだろう。


「あの事件は先生が、つまりたそがれの魔女がやったことなんでしょう」

「たしかに、それぐらいのことはやりそうな人です」


 ハンゲツはちょっと面白そうに口元を緩めた。


「具体的には、あの本の魔法なんじゃないかと思っています」

「本の魔法、ですか」


 地下室にあった巨大な扉サイズの本。

 迷宮はあの本によって作り出されていた。


「卵の魔物は地下に先生を閉じ込めた。たぶん強力な結界のようなものでだと思います。そして、先生は時間を掛けて結界を書き換えた。本の魔法は言葉の魔法です。それは純粋な人間の魔法で、だから魔物には手が出せない」


 あの本の中でたそがれの魔女は語っていた。

 人の魔法で大切なのは呪文。

 言葉によって人は世界を理解する。


「本の魔法で卵の魔物の本体を閉じ込めたら、あんなふうになったってことですか?」

「卵の魔物の結界は、単に体を拘束するものだったけど、本の魔法は繋がりを遮断するものだったんでしょう。つまり、特殊な使い魔の魔法の、使い魔と主人の繋がりを断ち切ったんじゃないかと」

「それでああなりますか?」


 そう疑問を呈しながら、ハンゲツは小さく割った焼き菓子をイナリに差し出した。

 イナリは今回も受け取らずに、わたしの首の周りをぐるりと回ると、マフラー状態になって一休みする姿勢に入ってしまった。


「使い魔が死んだら、主人も力を落とす。主人が死んだら使い魔も死ぬ。そういう魔法だったんですから、つながりが絶たれたことは、死んだことにとても近かったんじゃないでしょうか」

「でも、あのような姿とはいえ、生きていたわけですよね」


 人形の体に鳥かごの頭。

 かごの中には鸚鵡が一羽。


「卵の魔物は生まれていないことが力の源だったんじゃないかって、そう思うんです。つまり可能性の魔法ですね。そして、先生はたそがれの魔女ですから。死を引き延ばし永遠に生きる力を持っています。その能力をあわせて、かろうじて生き延びていたんでしょう」

「なるほど」

「そして、本の結界の内側がどうなっているのか、その様子を探らせるため、地下迷宮に挑む試練を考え出したんだと思います。と、いうか、ハンゲツさんはそれをわかってたから参加しなかったんですよね?」


 ハンゲツがイナリの鼻先でお菓子をゆらゆらさせる。


「まあ、そこまではっきりとは理解してませんでしたけど」

「だから試練の目的は迷宮の最奥にたどり着くことだった。でも、先生はそれを逆手にとって、弟子達が卵の魔物を倒すように仕向けた」

「倒すとどうなるんでしょう」


 イナリの視線はお菓子を追いかけて右に行ったり左に行ったりしてたけど、それでも食べる気はなさそうだった。


「魔物の本体が死んでしまえば、精神の方も消滅するしかないでしょう。卵から雛が生まれ、可能性の魔法を失い、そして実体すら失ってしまったわけですから」


 本にはかならす、始まりとともに終わりがある。

 あれはそういう魔法だった。


「先生は一緒に消えてしまったんでしょうか?」

「どうでしょうね。ハンゲツさんは知っているんじゃないですか?」


 わたしがそう言うと、ちょっと困ったような顔で、口元だけで笑う。

 特に答えはなかった。

 たそがれの魔女は死を引き延ばす魔女だ。

 ある意味、既に死んでいるとも言える。

 だから、本質的に死ぬこと自体が難しいのだろう。

 弟子達を使って卵を倒させた理由もそこにあるんじゃないだろうか。


「本の世界の中で、つまり迷宮の奥でわたしたちが卵の魔物に出会った時、もうそこには先生の精神はなかったんじゃないかって、そう思うんです。あの魔物にはいまいち意思を感じなかったし、先生が中にいるんだったら、なにかしてくれただろうなとも思うし」


 中身がたそがれの魔女なら、戦いにはならなかっただろう。

 雛の魔物の動きには、動物の本能みたいなものしか感じなかった。


「いつからいなくなっていたと思います?」

「考えられるのは、七年前。本の魔法を使ったときです。そして、それからしばらくは時間を稼いでいたんじゃないでしょうか」

「時間、ですか」


 ハンゲツはちょっと驚いたみたいに動きを止めた。


「先生の精神がどこかに逃げ出したとして、ある程度力を取り戻すまで、じっと隠れていたんじゃないかと」

「魔物が力を落としたのと同時に、先生も力を失ったんでしょうね。ということは、卵の魔物はその間、地下の結界の中に先生がいると思い込んでいた?」


 軽く目を伏せて、ハンゲツが考えながらそう言う。


「たぶんそうなんでしょう」


 でもどうだろうな。

 可能性として、迷宮の外にも捜索の目を向けていたかもしれない。

 たとえば、鳥の魔物たちを使って。


「魔物も消えたわけですし、先生はここに戻ってくるんでしょうか?」


 そう言ったハンゲツの表情は、それほどうれしそうな感じでもなかった。


「どうでしょうね。そればっかりは先生に聞いてみないとわからないでしょう」

「では、カナエさんが先生にお会いすることがあったら、聞いておいていただけますか?」


 その顔を見て、やっぱりハンゲツはたそがれの魔女の行方を知っているんじゃないかと思った。

 七年前。

 地下の結界から抜け出した精神はどこに行ったのか。

 いや、どこにだったら行けたのか、と考えるべきだろう。

 実はあんまり考えたくはないんだけど。


「クルッ」


 ハンゲツが手を引っ込めたので、イナリがまたおかしくれくれポースをし始めた。


「今日はこれで最後だからね」


 そう言って、小さな欠片をひとつ差し出す。

 うれしそうに、イナリがお菓子をかじり始めた。

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