鹿の使い魔といくつかの条件
「君の望みはわかった」
そう言って、魔法使いらしき女の人は背負った荷物から薄い麻布を取り出して、子鹿にかぶせました。
すると、布の下からぼんやりと光が漏れだしてきます。
なにか不思議な力がはたらいている。
小さな女の子はそう思いました。
「この子鹿を助けるためには、いくつか条件がある」
「えっと、何かお礼をしなくちゃいけないってこと?」
「そうじゃない」
お金を払うどころか、なにも差し出すものを持っていなかったので、女の子は少しほっとしました。
「じゃあ、なんなの?」
「この魔法は君と子鹿の運命を繋げるんだ。そうすることで、魔法使いとその使い魔のような関係を結ぶことになる」
美女は淡々とした口調でよくわからないことを言います。
「使い魔?」
「子鹿は君を主として行動するようになる。もしかしたら、今までとあまり変わらないかもしれないけど、それだけじゃない。お互い考えていることがわかるようになるし、修業をすれば特殊な力が使えるようになったりする」
それはとてもすごいことのように思えました。
「しかし、問題もある。子鹿は君が死ぬと命を維持できなくなる」
「そんな……」
「とはいえ君が死なない限り、子鹿も寿命では死なない。人間よりも鹿の寿命は短いから、君が気をつけて生きれば普通の鹿よりも遙かに長生きできるだろうね」
女の子はこっくりと頷きました。
「普通の鹿よりも力があり、丈夫にもなる。ただし、子鹿も大きな怪我をすれば死んでしまう。そうなると、君の力も落ちる。生命力も魔力も弱まってしまう」
それはなんだかわかったようなわからないような話でした。
「本来、魔法使いはいくつか使い魔を持てるが、君は生涯この鹿だけしか使い魔にすることが出来ない」
女の子は別に魔法使いではなかったので、子鹿さえ一緒にいてくれればそれで構わないと思いました。
「どうだろう。問題ないだろうか?」
ふたたびこくりと頷くと、美女が口元だけで微笑みました。
彼女がゆっくりと麻布を外すと、子鹿がいたはずの場所には大きな白い玉が転がっていました。
「いくつか質問しよう。これが君には何に見える?」
平坦な口調でそう問われ、女の子はちょっと考え込みました。
「おおきな白い玉みたいに見えるけど」
話をしているうちに、自分の身体が少し熱を帯びてきたことに気付きました。
「他には何に見える?」
「えっと、白い石? あ、たまごとか!」
さらに、身体の輪郭が厚くなっていくような、不思議な感じがします。
「君は卵を食べるかい?」
「食べるけど。うちで鶏を飼ってるし」
全身の皮膚が少しずつ堅く厚くなり、身体を動かすのがおっくうになってゆきます。
「鶏は卵かい?」
「え、いま、なんて言ったの?」
だんだん視界がぼんやりとしてきて、世界が白く曇ってきました。
「卵からは何が出来ると思う?」
「うちの鶏がうむたまごからはひよこがうまれるけど。あとはたまご料理とか」
言葉が自動的に口からこぼれ落ちるような、妙な感覚。
「鶏は卵料理かい?」
「えっと、なんだろ……」
ぼんやりとしてきた頭で、なんとか質問の意味を考えようとします。
そしていつのまにか、自分の身体も子鹿と同じように白くて丸いものになっていることに気付きました。
これは大きな卵かもしれない。
女の子はそう思いました。
「もしかして、このたまごからもういちど生まれるのかな」
「そんな必要がどこにあるだろう」
真っ白い世界の中で、魔法使いらしき女の人の声だけが聞こえてきます。
「だって、たまごだし」
「いままでの出来事を、君は思い出せる?」
女の子は家で待つ両親のことを、子鹿と過ごした楽しい日々のことを思い出しました。
「大きくなって大人になったら、君はどうなると思う?」
自然と思い浮かぶのは、子鹿と一緒に大人になって、家の畑仕事を手伝っている自分の姿でした。
それは自分が出来たはずのことであり、もう出来ないことでもあるのでした。
「そこには全てがあるのに、どうして外に出る必要があるんだい?」
女の人の声はだんだん遠くなっていきます。
なにか言おうとして、言葉に詰まり、ふと気付くとなにも見えず何も聞こえなくなっていました。
それからどれほどの時間が経ったでしょう。
どこからともなく、なにかがこすれるような、妙な音が聞こえてきました。
音はつよくなり、再び弱くなり、そうやって何度も繰り返されるうちに、輪郭が見えてきます。
それは、声のようでした。
なんども語りかけるような声。
「おい、どうかしたのか?」
アカツキがいぶかしげな表情でそう言った。
いや、そうじゃないんだ。
もうちょっと先まで読ませて欲しい。
たぶんすぐ、その後どうなったのかがわかるはず。
なんとか意識の焦点を合わせようとする。
「クルッ」
わたしはびっくりして顔を上げた。
いつの間にか立ち止まっていたわたしの前にはアカツキが立っていて、肩の上ではイナリが心配そうに鼻先を頬にこすりつけていた。