森のなかの出会い
「どうして帰った方がいいんですか?」
女の子は突然現れたきれいな女の人にそう訊きました。
この辺りでは見たおぼえのない人物だったので、会話をしながらどんな人なのか見極めようと相手をじっと観察します。
その美女はこぎれいな身なりでしたが、小さめの荷物を背負っていて、どうみても旅装といったおもむきです。
どんな理由でこんな何もない村にやってきたのか疑問の残るところでした。
「なんとなく、かな」
そう言って美女は口元だけで笑いました。
何かごまかされたような感じがして、女の子はちょっとむっとしました。
「じゃあ帰らなくてもいいですか?」
「無理強いはしないよ」
女の人は軽く頷きました。
これ以上は話すこともないと思い、女の子は美女に向かって目礼すると、前を向いてその場を離れました。
最初はすぐに帰るつもりでしたが、今戻ると先程の女の人ともう一度会うかもしれない。
そう思ってしまうとなかなか帰る気にならず、きっかけがつかめぬまま先に進んでしまいました。
子鹿の方は時折あたりを見回しながら、女の子にずっと付いてきています。
しばらくそうして進むと、いきなり子鹿が足を止めました。
もしかして親鹿があらわれたのかもと思って辺りに視線をやると、どこかで見たような木が生えています。
それはあの夜に女の子が恐怖に駆られて登った木のようでした。
つまり、ここは魔物と親鹿が戦った場所だということです。
女の子はなにかの跡が残っていないかと思って辺りを歩き回りましたが、何も見つかりません。
あの日からずいぶん時間が経っていますから、それも当然のことのように思えました。
そろそろこの場を離れようと子鹿をさがすと、なにやら木の下に頭を突っ込んでいるようでした。
「どうしたの、そろそろ帰ろうよ」
妙に胸騒ぎがしましたがそれを押し殺して子鹿に近寄ります。
鹿の鼻先には棒のようなものが転がっていました。
よく見るとそれは枝ではなく、鹿の角の先っぽのようでした。
もしかしたら、親鹿の角かもしれない。
そう考えた瞬間、女の子の背中にぞっと冷たい感触が走りました。
でも角の先だけだし、と女の子は考え直しました。
戦いの中で折れただけかもしれない。
親鹿は生きているかもしれない。
そう考えたとき、女の子はあまりに自分が考えなしだったことに気付きました。
もし、ここで親鹿の骨が見つかっていたら。
そんなことになったら子鹿はひどく悲しんだだろう。
自分は子鹿を悲しませるために森に入ったわけじゃない。
いままで考えもしなかったけど、このままだと良くないことが起こるかもしれない。
女の子はそう思いました。
「もう帰ろう」
小さな声で子鹿に声を掛けたその時、木々の向こうから不気味なうなり声が聞こえてきました。
子鹿がぱっと頭を上げて、耳をそばだてます。
そうだった。
この場所に来たということは、あの魔物が出る場所に来たということでもあったんだ。
女の子は遅まきながらやっとそのことに気付きました。
「はやく、こっち!」
子鹿の背中に手を掛け、元来た道を引き返そうとしたところで、目の前に大きな影が現れました。
毛むくじゃらの熊のような姿。
鼻を突く異臭。
ただ片手だけが人間で、そこには大きな斧が握られています。
「ううーっ!」
女の子は反射的に口に手をやって叫び声を飲み込みました。
そんなことをしても、もう魔物には見つかってしまっているのですが、ここで叫んだが最後、もう正気を保てなくなるような気がしたのでした。
考えたのは、子鹿のことでした。
この妹のような存在をなんとか守らないと。
女の子は短い両手をいっぱいに広げました。
「早く逃げて!」
背後で子鹿がビクリと震える気配がしました。
「わたしもすぐ行くから! あんたは先に逃げなさい!」
女の子が叫ぶのと同時に、魔物が大きな身体をゆらりと揺らしましながら前に出てきました。