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Law of the West  作者: 恋詩亭 穂笑夢
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後編

ドアの先の細い廊下を抜けると、階段になっており、地下室へと続いていた。そこにはいくつかの部屋があった。それらはどの部屋も、良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な場所だった。部屋にあるのは最低限の生活空間と食料、そして銃。


「ようこそ、っていう言い方は変やな。まあでも、ようこそ。」

杉本と名乗ったその初老の男性は、矢田を歓迎した。いつの間にか、二人の若者を従えている。

一方の矢田は、全く状況が呑み込めておらず、息をすることも忘れていた。


「さっきのは……一体……。」

何とかそれだけ絞り出すと、細く長く息を吐きだした。こうするだけで、幾分か気持ちが鎮まる。


「さっきのは、『ケイサツ』や」

「『ケイサツ』って……、警察ですか?」

「せや。その警察や。」


余計に混乱した矢田を見て、杉本は若者の一人に小声で何かを指示した。若者は黙ってうなずくと、部屋の一つに消えていった。


「なぜ僕が警察に追いかけられるんです?しかも銃を持っていた。」

「それは、君が『罪』を犯したからや。」

「『罪』?そんな、何のことですか?」

「君、ダジャレを言ったやろ。」


ダジャレ、という言葉を矢田は反芻する。それが、あの拾った紙に書かれていた文章のことだと気づくのに、かなりの時間を要した。


「そんな、ダジャレぐらいで。しかも僕はあの紙を読んだだけです!」

「それが、ここでは『罪』なんや。ダジャレを口にすること、それ自体がな。拾った包丁を振り回せば、それは立派な罪や。せやろ?」

説明されても矢田は納得できない。納得できるはずもない。


先ほどの若者が部屋から出てきた。手には二つの紙束らしきものを持っている。杉本はそのうちの一つを受け取ると、矢田に手渡した。


「この世に現存する最後の一冊や。丁寧に扱ってな。」


受け取った紙束は、一枚一枚丁寧に真空パック処理されている。最初の一枚目には、薄い文字で【政府通知】とだけ書かれていた。二枚目をめくると、そこにはびっしりと文章が現れた。一枚目と同様、文字は薄い。


「『文化的言語保護法に係る通知』……?」

矢田はその一行目を口にし、杉本を見た。杉本は真剣な表情で頷くと、続きを読むように目で促した。


数ページからなる資料には、次のようなことが書かれていた。


『言葉とは、先祖代々伝わる一種の文化遺産である。ところが、無形であることをいいことに、言葉が弄ばれている。その最たる例が、ダジャレである。

ダジャレとは、遺産として受け継がれていた言葉を破壊する行為である。

政府は文化的な言葉の保護を目的として、ダジャレを禁止する。みだりにダジャレを口から発したものは、即座に逮捕し、重罪に処す。

なお、本通知について口外することは、政府に対する反逆行為であり、同様に重罪に処す。口外とは、口頭、文章、インターネットを問わない。』


最後まで読んだ矢田は、また呼吸を忘れていたことに気づき、細い息を吐いた。息が吐ききられるのを待って、杉本は話し出した。


「それが三年前に関西の住人全員に配られた。突然な。」

「こんなもの、僕は知りません。」

「そうや。それは関西だけにしか配られてない。それに、そこに書いてるように、口外することは禁止されとる。東京から来た君が知らんのは無理もないことや。」


当時配布された通知は空気に触れると、何の痕跡もなく消滅した。現物としての通知は、人々に刷り込まれた瞬間に消え去った。矢田が手にしている最後の一冊は、偶然読む前のものが残っており、それを空気に触れないように加工したからだ。だがそれももはや消えかけている。


最初は疑い、まさか何も起こらないだろうとダジャレを言った者も多くいた。彼らは一人残らず連行された。

何とかこの現状を外に発信しようとした者もいた。だがそれはどれも成功しなかった。

郵便は検閲を受けた。口頭で説明しようとすると、話が終わらぬうちに連行された。

掲示板、SNS、メール、インターネットは監視も簡単だ。すぐに送信規制や削除で対応できるため、一度や二度では動くことはなかったが、何度も繰り返せば、通知に従って連行された。

政府の本気を感じ取った人々は、言葉を発するのを控えるようになった。ともすれば言ってしまいそうになるダジャレを抑え、怯えながら暮らした。

いつしかこの状況に閉塞感と不公平を覚えた一部の者たちが、行動を起こした。杉本たちのように、密かに地下に潜ってレジスタンス活動を行う者。彼らとは対照的に、鬱憤を晴らすべく、悪意を持った行動を始める者もいた。どこまでがダジャレと認識されるか、周囲を巻き込んでチキンレース染みた遊びを始める者。紙に書いたダジャレを読ませ、誰かを陥れる者。

矢田をハメたのは後者だ、と杉本は説明した。


でも、と矢田は言う。

「やっぱり、それだけじゃ納得できません。たかがダジャレじゃないですか!」


食ってかかる矢田に、杉本はもう一冊の紙束を手渡した。

「君の言う通り、言語の保護なんていうのは嘘っぱちや。ほんまの目的は別にある。答えは、その論文の中や。」


論文は、今から四年前、通知がなされる一年前に発行されたものだった。タイトルには【複数単語の突発的連結による新型エネルギーに関する証明】とある。論文の執筆者は、矢田の知らない人物だった。


『カテゴリの異なる二つ以上の単語を組み合わせて構成される文章は、ある種の加速度を要因とするエネルギーを持つ。特にその文章が、突発的に選択された単語の連結によって構成される場合、その加速度は著しく増大し、それに比例して発生する該エネルギーも増大する。本論文では、該エネルギーを定量的に算出する公式を証明するとともに、該エネルギーを抽出する方法を示し、昨今のエネルギー問題を解決することを目的とする。』


そのような序論から始まる論文には、いくつもの複雑な計算式が並んでいた。そのほとんどが矢田には理解できなかった。それに、こんな論文が正しいとも思えなかった。


「まあ、証明方法はどうでもええ。問題は、その論文が『正しい』ということや。」


この論文について、矢田の反応と同じように、学会でも誰もまともに取り合おうとはしなかった。しかし、偶然その場に居合わせた奇特な学者が再現実験をしたところ、本当にエネルギーが発生してしまった。そこに政府が目を付けた。


そこまで聞いて、矢田は気が付いた。

「論文にあった『文章』って、もしかしてそれがダジャレですか?」

「その通りや。ダジャレこそが、新エネルギーの触媒や。」


ところが、政府が目指したのは、エネルギー問題の解決ではなかった。ダジャレという、事実上無限に存在する触媒から湧き出るエネルギーを、彼らはおよそ平和的とは言えない手段に用いることにした。

一方で、そのエネルギーの存在が外に漏れないように、政府通知を出した。ダジャレが生まれるのはほとんど関西だ。ダジャレが飛び交う現状をそのままにしていたのでは、いつか別の誰かがそのエネルギーのことに気付いてしまうかもしれない。だからダジャレそのものを禁止した。そして、ダジャレを禁止していることが知られるのを恐れ、口外するのも禁止した。


「だけど、世の中には掛詞とか、なぞかけとか、言葉遊びはたくさんあるのに、どうしてダジャレだけ?」

「そいつらは論理的な計算の上に成立してるからや。さっきの論文にあった通り、エネルギーの発生には突発的な選択が必要や。計算された言葉遊びには、加速が生じへん。ダジャレやないとあかんねや。君を追ってきたケチなシェリフどもが全員銃を持ってたんを見たやろ?重罪だけに銃や。しょうもないやろ。」


矢田はこれまで経験したことのないほどの怒りを覚えていた。かつての憧れだった警察への失望も含まれていた。


「杉本さん、僕にできることはないですか?」

「できればこのことを世間に公表してほしい。でもそれを君に押し付けることは出来ん。これは俺らが始めた戦いや。」

「いえ、僕にも手伝わせてください。」

決意に満ちた矢田の顔を見て杉本は驚いたが、すぐに首を横に振った。


「君がもし無事に東京に帰れても、公表には証拠が必要や。確かにその証拠はここにある。でもそれを安全に運ぶ手段がない。俺らもこれを失うわけにはいかんのや。」

「だったらなおさら、それは僕にしかできない。」


そういうと、矢田は持っていた箱のようなものを杉本に見せた。それは、彼が東京からプレゼンのために持参した、情報セキュリティに関する製品だった。


「これは、僕の会社が開発した最新のケースです。中に入れたものは、外部からの干渉を一切受けません。それに、あらゆる物理的な衝撃にも耐えられます。プロトタイプだから、一度中に入れてロックしてしまえば、僕か、僕の会社の開発者しか解除することは出来ません。絶対安全ですよ。」


矢田の言葉に杉本は揺れた。


そのとき、悲鳴が聞こえた。


「何事や!」

「杉本さん、大変です!奴らにここがバレた!」

「なんやて!」


怒号と銃声が聞こえる。杉本の後ろにいた若者二人はすぐに向かった。矢田も向かおうとしたが、杉本に止められた。


「あかん!君は行くな!」

「どうして!杉本さん!」


なおも向かおうとする矢田に、杉本は政府通知を握らせた。

「ほとんど見ず知らずの君に頼むんは、ほんまは嫌や。でも、論文とこの通知、届けてくれるか。」

「……!任せてください!でもその前に加勢しないと!」

「いや、ええ。あいつらは俺らがここで足止めする。君は裏口から抜けて、逃げ切ってくれ。」

「そんな!」

「裏口を抜けて、バーッと行ってガーッと曲がって、ザーッと進んだら海に出る。そこなら警察の目も届いてないはずや。」

「杉本さん……!」

「道案内、下手ですまんな。」


血が出るほど唇を噛みしめ、矢田はゆっくりと頷いた。自分も戦いたいが、それが最善の選択でないことを理解していた。振り返り、裏口を目指す。


「ありがとうな。俺らの未来を、頼むで。」

杉本の言葉を背中に受け、矢田は走った。

「よっしゃお前ら、全員銃を持ったか!?ガンガン行くで!!銃だけに!」


遠ざかる銃声を耳にしながら、矢田はひたすら海を目指した。もうどうやって走ったのか覚えていない。バーッと行ってガーッと曲がって、ザーッと進んだらいつの間にか海に出ていた。銃声はもう聞こえなくなっていた。


矢田零士は正義感の強い男だ。

一人になった矢田は、手にしたケースを見ながら、必ずこの使命を成し遂げると誓った。

目の前には海が広がっている。


「僕は関西(かんさい)を救うのを、完遂(かんすい)して見せる。」

波だけが矢田の言葉を聞いていた。



おわり

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