海の園
雌鹿亭で食事を終えて、出て行こうとすると、営業時間外なのに扉が叩かれた。
店長が扉を開けると、最初に誘拐の交渉に来た男だった。
「無事、ミオ姫を連れ出したようですね。では、これが報奨金です」
テーブルの上に袋に入った金貨が置かれた。あきらかに全額の値段だった。
「どういうことだ」
「王后様の誠心です」
「……俺が裏切らないと思っているのか」
「裏切るのですか」
男は雌鹿亭を去ると、ミオが脇腹を突いてきた。
「裏切るのか?」
「さすがに裏切れないな。カレラは俺のことを良くわかっている。おい、これ、預かっておいてくれ」
店長に金貨を渡すと、むすっとした怒りの表情を浮かべた。
「戻ってくる予定はあるのか?」
「さあね。だけど、金は使う予定のある人が持っていたほうがいいだろ」
「相変わらず、金に執着が無いね」
「盗むことには執着があるけどな」
あの日、村が燃えたときに、俺の心は燃え上がった。
悪が心の底で灯っている。
雌鹿亭を去って、自宅へ行くと、ミオが口を開いた。
「あれは昔の女?」
「ああ? あの女店長か。あいつは昔の仕事仲間だよ。ずいぶんと長い間一緒に働いていたからな、そんな関係にもならなかったな」
「へー、カレラに対して一途だったんだ」
「そんな訳あるか。俺は女にモテモテだった……」
「へー。例えば」
……な、なんだ。この強烈な圧力は。台風前の不穏な雰囲気のように心が陰鬱な気分となった。目線を合わせると、眼が怒気で光っているように見えた。
「例えば?」
「一緒に仕事をした女……とか」
怒りが見える。髪の毛が赤く染まったようになびき、心の中が穏やかではないのがはっきりと分かった。
まずい。凄い怖い。
だが……。
「何をそんなに怒っている」
「いーや。怒っていないよ。ただ、相手の女を教えてくれないか。あと、数週間の時間をいただきたい」
「いや、お前それ殺す気だよね。やめてよ。家庭築いている女もいるからね。幸せに孫が出来る日を待っている女もいるからね」
「まさか、怒っていないよ。私が手に入れられなかったものを、別の女が手に入れていると考えると、いてもたってもいられなくてさ、うふふ、殺そう」
忘れていた。この女は悪霊だった。
カレラの娘だから、村にいたときのミオとは違うと思っていたが、まぎれもなく悪霊の方のミオだった。
燃え上がる嫉妬の炎は美しすぎて、俺の自宅を燃えつくしそうなほどの狂気に満ちていた。
「大丈夫、落ち着いているから、大丈夫、落ち着いているから」
「落ち着きなさい」
「火照るなぁ。ホテルと火照るって似ているなぁ」
なんか訳の分からないことを言っているが、突如上着を脱いで、色香を放ち始めた。天然の魅了を持つ悪霊はうずきだしたようで、少女とは思えない妖艶な雰囲気を持ち始めた。
「なあ、冷ましてくれないか」
別の男なら悪霊の魅力にとり憑かれて、肉体の悪魔の虜になっただろう。だが、俺には止まることができた。
初恋の女カレラの実の娘ということだ。
俺の覚えている最初の唇はカレラの物で、それを忘れられない心が色香を弾いた。
「やめろ」
額を押して遠ざけた。
「傷付くなぁ」
「傷付くのは、こっちもだ」
旅装を整えて、街を歩いた。
湿った匂い、カビとコケを乗り越えて、小さな船着場に辿り着いた。
少人数用の漁船だ。怪盗と船員の二足のわらじを履いているが、魚釣りをしたいときには小船を使うことが良くある。
「これで、街の外へ出るの?」
「隣町まではね。そこからは陸路だ」
「いやーん。しばらく二人っきりだね。いつでも待っているよ」
「やっぱ陸路にしようかな。おそわれたくないから」
「いけずっ!」
帆船を操って、一気に遠海へ出て、街を振り返ると美しかった。
小さな帆船に慣れていないミオには横揺れが激しいようで、船にしがみ付くようにしていた。ミオは最初邪険にされていると思い、俺を頼ろうとしなかった。
「ゆ、揺れる」
「来るか」
俺はあぐらをかき、両手で帆船の紐を操っていたので、ミオに膝の上に来るか尋ねた。
「ほう……今まで邪険にしていたのは、そう言う事か」
「やっぱ来るな。きもい」
優しさは禁物だったようだ。
「嫌だ! 膝の上に乗せて」
体格差がかなりあったが、後ろから抱くように座らせた。
「どうやって操るの?」
波が弱くなってきたので、手に手を取り操ってあげると、操作どおりに動いてミオは歓声をあげた。
「楽しいね」
「そんなに楽しいもんでも無いけど」
「だったらもっと楽しいことをしてやろうか」
「やめろ。色情魔!」
「な、なに! 色情魔は言いすぎだろ!」
「降りろ。膝の上から降りろ。不清純派!」
「やーだよ。おりないもーん」
俺は初恋の女の娘に弄ばれていた。
最初っから前途多難だ。




