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始まりの日

 雌鹿亭に現れた依頼人は、数日後の舞踏会の場にて詳細な説明をすると言い残した。


 王宮の中は舞踏会で浮ついている。


 春の陽気が蛍の群れのように輝いていた。


 俺は事前に貴族の家に入り、夜会服と香水をくすねていた。


 全身を清めて、貴族のフリをして舞踏会にまぎれた。


 仮面着用なのは幸運だった。


 何度か美しい貴族と踊ったが、こちらが気がないのを知られて、いつのまにか誘われることも無くなった。


 誰も俺に話しかけようとしなかった。


 酒に舌鼓をうち、しばらくの間待っていた。


 舞踏会に王后が入ってきたのに気付いたのは、俺以外にいただろうか。


 小さな村で産まれた恋だ。


 時と共に消えうせたかがり火だ。


 大海のように広い場所に来てからは、カレラより美しい女性とは何人も出会った。だけど、初恋の人なのは変わらなかった。


 カレラは何人かの男と踊り、俺の前に来た。


「お暇ですか?」


 あの時の声で、俺に話しかけてきた。俺は多少の踊りの作法を知っているが、王后は踊りの巧手のようで、俺が稚拙なのを笑いながら許してくれた。


「娘を――ミオをさらいに来たのですね」


 何故それを。


「本当の依頼人は私です」


 俺たちは夜風が優しいベランダへ来た。


「ミオはオズが知っているミオよ。私が妊娠した時に、彼女は私の子どもになってしまった。だけど、悪霊たるミオと人間のミオの二重人格なのは変わらないわ」


「何故、誘拐させる」


「ミオは再び、傾城の美で王宮内を蝕もうとしている。ただ、それはミオの意思ではなく、本能のなせる技です。ミオ自身が……再び封印されることを望んでいます。ここより遥か北に数百年前に悪霊を封印した祠が残っています。そこの地までミオを運んでもらいたいのです」


「……なぜ、ミオが封印されることを望んだ」


 悪霊の本能で周囲を魅せるなら、悪霊の臨むところなのではないのか。


「私にとり憑いている時に愛した夫を、娘になると誘惑してしまう。それは苦しいとは思いませんか。こうなることは分かりきっていたことですが……」


「俺が運ぶより、兵士に運ばせたほうが安全だろう」


 姫様をさらえば、金をいくらでもふんだくれるだろう。


「もう一つ、偽装として兵士たちを動かします。これには偽者を連れて行きますので、あなたがたは気付かれない限り安全に行けると思いますよ」


「たしかにそうですが」


 小骨のように引っかかる何かがあった。


「ミオが最後はあなたと一緒に過ごしたいと言ったのよ。それに……あなたが怪盗なのは、もう分かっているのです。あなたを探している時に、私たちは怪盗だと知ってしまった」


 なるほど、選択の余地は無い、ここで誘拐を止めても、俺には捕縛の手が伸びるだろう。


 それにカレラが言うように、ミオが俺に執着しているのも知っていた。


 違和感はあるが、カレラの言葉を信じる他ないだろう。


「ミオは城の裏側で待っています。ミオを、彼女をよろしくお願いします」


 城の裏側は森と峻厳な山の天然の要塞だった。ミオは裏口の扉の前で立っていた。ミオはカレラの少女の時に似ているが、産まれながらの高貴さを持っていた。


「久し振りだな。オズ」言葉と共に抱きついてきた。「会いたかったぞ」


「……俺の知っているミオなのか?」


「ああ……カレラの娘たるミオは眠っている。彼女には荷が重過ぎるからな、ずっと眠って貰うことにした。封印の祠へ着くまで彼女は現れることはない」


 俺はミオの手を持ち、山を抜けることにした。狼の遠吠えが聞こえたが、長年鍛え上げた短刀の実力なら相手にならない、だがミオはびくっと体を震わせた。


「すまないな。私の勝手につき合わせて」


「いいよ。どうせ、俺が怪盗なのは知られてしまったんだろう。だったら、こういう結果でも街から去ることが出来て良かった。ただ、荷物を整理していないから、一度街へ行かなければならないな」


 天然の要塞を越えて、雌鹿亭まで来ることが出来た。早朝の寒さが肌に痛いほど突き刺さり、扉を叩いて開くと、ねぼけまなこの店長が現れた。


「手紙は不要だったな」


「あら、これはこれはお姫様ですか」


 店長が食事を用意してくれた。


「残念だけど、夜の残りしかありませんが」


「良い。久し振りに庶民的な味が食いたいでの」


 イカスミパスタが出されて、ミオは美味そうに食べた。無味の炭酸水と一緒に歯を汚さないように丁寧かつ気品のある食べ方だった。


「美味いなぁ。オズの毎日持ってきた料理も美味しかったけど、こういうのも良いな」


 死んだ母さんが作ってくれた料理だ。何度か再現しようと試みているが、あと一歩のところで味に届かなかった


「お母さんは元気?」


「死んだよ。あの時の炎で」


「……そうか。すまないな」


 責めても仕方が無いのだろう。


 美を振りまき、人心を乱す悪霊が選んだのは、再び自分を封じることだった。


 こうして、悪霊を封印するための旅路が始まった。

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