6.依頼の内容
「ほんとにこれを見ても気付かなかったの? セリちゃん、鈍いなぁ」
力が抜けて椅子にへたりと座り込むセリを、エリオットが暢気に笑う。そんなエリオットをセリは顔を真っ赤にして睨みつけた。
「だ、だって本物の王族なんて見た事ないもの! それに硬貨では黒髪も瞳も色も分からないし! ああもう、恥ずかしい! 大体、どうして王子殿下がこんな所に……いらっしゃるので、ございましょうか。名前……お名前だって……」
「そんなに畏まらなくてもいいよ。君が今頭に思い浮かべているのは第一王子のクリストフだろう? 私は彼の双子の弟で第二王子のアレクシスだ。訳あって宮殿に住んでいるわけでもない。気楽にしてくれ」
「第二王子!? だって第二王子は、生まれてすぐに亡くなったんでしょう? あの……ほら、双子王子の片方は短命だっていう伝説が……」
「いいや、生きているよ。面倒だから世間の噂は放置していたんだ。その方が都合も良かったしね。それで今はそれが真実のように語られているけれど」
隣に座るエリオットに肩をポンポンと叩かれている張本人は、死人扱いされているにも関わらず涼しげな表情で紅茶のお代わりに口をつけた。
「そんな……生きているのに、その噂を放っておくだなんて。居ない事にしてしまうだなんて……」
幼い頃両親を亡くしたセリには信じられないような話だ。生きていてくれれば――テオの存在があっても、それでも両親を恋しく思った事はある。死んだ事として共に暮らす事もないなど、セリには信じられない。
「セリちゃんは、きっとこんなやり方を非難するだろうね。でもね、陛下もとても心を砕かれたんだよ。本当は『王子は最初から一人っ子だった』と発表する事も出来たんだ。実際、何代か前の国王陛下はそうなさったらしい。でも陛下は生まれた事を全国民に知って祝って欲しいとお思いになり、双子誕生を発表なさった。それは昔からの、双子王子は国を分裂させる忌むべき存在だという伝説を考えると、少し危険な決断だった。それに付け入ろうとする輩も居るし、双子が生まれたと発表する事で今の国王夫妻に不安を覚える国民がいるかもしれない。どんなちいさなきっかけも王族にとっては危険の種だった。でも、陛下は発表なさった。それに、実は『弟王子は死んだ』とは発表なさってはいない。お披露目の式でクリストフ様だけが姿を現した。それを人々が勝手に想像しただけさ。代々、王家に双子の王子の誕生は多いんだ。でも片方は表舞台に出る事は無かった。だから世間では伝説の通り弟王子は亡くなったと信じられているだけだよ。真実は、もっと複雑だ」
アレクシスはエリオットの手から銀貨を奪い取ると、セリの小さな手に握らせた。
「えっ」
「どうぞ」
「えっ? くれるの!?」
驚いてアレクシスの顔を見ると、アレクシスはにっこりと微笑んだ。
セリは改めて手の平の銀貨を見詰める。クルリとひっくり返して見ると、顔の右側と左側という違いはあれど、殆ど同じに見える。
両面が王子の肖像……きっと片側はアレクシスなのだろう。だが、それを知る人物は少ないに違いない。だが、セリはこうして何気ない会話の中で知らされてしまった。
まるで、今朝は寒かったね。今夜も雪が降るだろうか――そんな気軽さで。
それはあまりにも自然な流れで、遅ればせながらセリの中で疑念が湧いた。が、その時には疑問が口をついて出ていた。
「真実って…………?」
聞いてはいけない。これ以上踏み込んではいけない。頭の中でそう警告する何かがいる。でもセリはつい口に出してしまった。
慌てて口を噤むが、時既に遅し――。
「弟王子は、国王や国を脅かす存在を調べる役割を担う。国家の密偵といったところかな。だから表舞台に出る事は無い。警官隊などの組織は、どこぞの貴族――もしくは他国の息がかかっているとも限らない。その為、《幽霊王子》が必要だという事だ」
自嘲気味に口を歪ませたアレクシスを、セリは複雑な思いで見ていた。
「この国は大きな国だろう? 国王の座、もしくはそれに順ずる座を狙う者は多い。実は、双子王子の伝説は弟王子が密偵として動けるようにする為に作られた伝説だという話もあるんだ」
エリオットはそう言うと肩を竦ませた。
(裕福だからって、必ずしも幸福では無いのね……)
そこまで考えて、セリはふと、ある事に気が付いた。
「あの……そこまで話した上で、あたしにラングドンへの道案内を依頼するという事は……」
「うん。国家機密に関わっちゃったって事かな?」
エリオットがにこやかに微笑みながら、しれっと物騒な言葉を口にした。
「あ、あたしまだこの依頼、請けてませんからね!」
「そう? でも《ことり》の主人がこの仕事が請けたら行かなきゃいけないだろう? 君にも特別報酬があるかもしれないし、悪い話じゃないと思うよ」
「特別報酬だなんて……そんなの、あった事ないわ」
今回の指名で一件分の指名料金はもらえるだろうが、特別賞与はこれが縁で貴族の顧客が増えなければ無理だろう。だが、依頼内容がこれでは、他の貴族への口添えは期待できない。つまりは給金はそのままという事だ。完全なる貧乏クジである。
それなのにもう逃げ出せない位深く深く巻き込まれているように感じ、セリは大きな溜息をついた。
「セリ、君はもう受け取っているよ?」
「えっ!?」
そう言われてセリはハッとした。先程渡された銀貨――まさか――しっかりと握り締めたままポケットに突っ込んでいた手がじっとりと汗ばむ。
『手にした金はすぐ仕舞え』マリアの口調までも思い出す。
でも、これは罠だ――。
「これ、くれるって握らせてくれたんじゃないの? だって、さっきどうぞって……」
セリが泣きそうな顔で見上げた先で、アレクシスはにっこりと笑みを深めた。
「勿論、そうだよ。ラングドン行きの特別報酬だ」
観念したセリの目の前に、《世界堂》の地図が置かれた。その地図は先日の物とは違う、ラングドンも含まれたグランフェルト王国全体の地図だった。
セリは静かにページをめくった。めくる毎にセリの頭の中にはその場所の情景が浮かんでくる。
「どこに、案内したらいいんですか?」
その言葉を承諾と受け取ったエリオットは静かに話しだした。
「今回の依頼は、南の地方都市クウォールのフィリップ・ベシエール公爵からでね。海に面したクウォールの名産品でもある塩が最近売れないらしいんだ。その原因が、とある闇市に出回っている塩らしい。どうやらこれはクウォール産の物ではなくてね……粗悪品なら、いくら闇市でも買い手はつかないんだが、その塩はクウォール産の物よりも上質だそうだ。セリちゃんも知ってると思うけど、この国では他の地方都市は海に面していない為、塩は採取できないんだよ」
エリオットの話を聞きながら、セリは手元と頭の中の地図を照らし合わせてしばし考え、そしてしっかりと頷いた。確かに王国の中央にある王都は勿論、王都をぐるりと囲んでいる東西南北、四つの地方都市で海に面しているのは南のクウォールだけだ。
「でも……どうして西のラングドンが怪しいと思うんです?」
「その闇市で塩を卸している男が、クロード・セドラン男爵に似ているという報告が上がってきた。それで君に王都の邸宅を聞いたんだ。分かりにくい場所にわざわざ邸宅を構えたのは、人目につかずに塩を運び入れ、隠す為と考えられる」
アレクシスが身を乗り出して、地図上に長く美しい指先を置いた。その指先がラングドンから真っ直ぐ王都ロウズヴィルに移動する。
「クロード・セドラン男爵は、自分の代で爵位を買った男だ。巧みに過去を隠してはいるが、元々その闇市で仕事をし、荒稼ぎしていたらしい。そのクロード・セドラン男爵の身元保証人を辿っていくと、繋がるのが西の公……オクラヴィアン・バシュレ公爵だ」
成る程。つまり塩で荒稼ぎしたその金はオクタヴィアン・バシュレ公に流れているという事か……セリはうんうん、と頷くと、ラングドンのありとあらゆる場所を思い返した。
どこか怪しい場所はないか――海の都クウォールに対し、ラングドンは森の都だ。その、どこか――。
「――あ」
ふとセリの頭にひとつの場所が思い浮かんだ。思わず髪に挿し込んだペンに手が伸びる。
その様子に、二人は顔を上げてセリを見詰めた。
「何!? どこか分かる?」
「……はい。怪しいって程度なので、言って確かめたいけど、心当たりのある場所が一箇所だけあります」
「――そこに、私達を案内してくれるかい?」
その言葉に、セリは一瞬迷ってそれから小さく頷いた。