5.依頼人の正体
9月4日、教えていただいた誤字を訂正しました。ありがとうございましたm(__)m
老紳士の視線はセリをしっかりと捕えている。ただ配達に来たセリはそれをポカンと口を開けて見ていた。
「あ、あの……?」
「代表の署名が必要でございましょう? でしたら、それは私ではございません。そのまま中へどうぞ」
「えっ? あの、代筆でもいいんです! ここにちゃんと届けましたっていう署名なので! だから……あのっ、受け取って頂いたらそれでいいので!」
セリは戸惑ったが、この邸の持ち主が気にならないわけではない。中は薄暗く、ドアが開けられた為に注がれる日の光でほんの少し先が見えるだけだ。
(確か一階には窓が無かったばず……だから暗いっていうのは分かってはいるんだけど……。どうしよう。ここの抜け道のドアは二階だし、万一の時は逃げられるかな……知らない人の誘いには乗るなっておじさんに言われてるし……)
恐る恐る中を覗きこむと、部屋の中の暖かな空気が頬を撫でた。続いてほんのりと赤い炎が見え、パチパチと火の爆ぜる音が聞こえる。
「セドリック、それじゃセリちゃんが怯えるだろう」
身を縮こまらせて中の様子を窺っていたセリの目が、奥から出てきた青年の姿を見て驚きに大きく見開いた。
「あ、あなた!! あなたが《ビコロール商会》の代表なの!?」
セリの目の前に立っているのは、リタの頼みで道案内したあの金髪の青年――エリオットだった。
「僕が代表? それは違うよ。あの時一緒だった黒髪の方。さ、入って」
セリの頭は混乱した。
(ええと、知らない人の誘いに乗っちゃいけない……彼は知らない人? あれ?)
すると、持ったままだった書簡をするっと抜き取られた。
「あっ!」
「受け取りの署名でしょ? アレクシスなら奥にいるから。どうぞ? それとも今日はすぐに戻らなきゃ駄目?」
「いえっ。じゃあ、失礼します」
するとエリオットは満足気ににっこりと笑った。
「良かった。今からお茶にしようと思っていたんだ。セドリック、彼女にもお茶を」
あれよあれよという間に、セリは署名をもらうどころかお茶にまでお呼ばれされてしまったらしい。いつの間にか部屋の奥の大きな椅子に座らされていた。
傍らには炎が赤々と燃え上がる暖かな暖炉と、ランプの灯りで心地良い空間を作っている。
「あのう……署名さえ頂ければいいんですけど……」
目の前で優雅にお茶を飲むアレクシスに思い切って言葉を投げかけると、アレクシスは器用に片眉だけを上げて紫の瞳をセリに向けた。
書簡はテーブルの上に置かれたままで、まだ署名するつもりもないらしい。
「どうして? 今日はもう配達は無いのでしょう? それに君には聞きたい事がいくつかあるんだ」
「聞きたい事、ですか?」
「その前にお礼を言わなくちゃ。セリちゃんのおかげで良い場所が見つかったんだし」
遅れてアレクシスの隣に腰掛けたエリオットが、大げさな手振りで室内を指した。
「どうしてですか? ここは一際大きな一軒のお邸がこの建物の三方を取り囲んでいて、路地からは全く見てない上に大通りからも離れてるのに……商売をするには向かないと思います」
「ここは元々どんなお邸だったんだい?」
セリの問いには答えず、反対にアレクシスが静かにセリに問いかけた。
表情をくるくる変え、身振り手振りも多いエリオットに対して、アレクシスはゆったりと椅子に腰掛けているだけだ。だが、その存在感は圧倒的だった。言葉ひとつでその場の視線を自分の物にしてしまう。
「ここは……以前、大きな盗賊のアジトだったの。随分前だけど、大きな盗賊団が捕まったんでしょう? 捕まった時、盗みに入ったのが貴族の邸宅だったというのもあってその場で処刑されてアジトが特定できなかったって」
「ああ、それなら知ってる! この国最大の盗賊団だった。上層部が処刑されてしまって、アジトも今まで盗んだ宝も分からず仕舞いだったそうだね。そいつらのアジトだったの? 道理で分かり辛い場所なはずだよ。一階には窓も無い。ドアは異様に大きいし抜け道は二階にあるし、それに各階に隠し部屋もある。しかも、きっとお隣は増築を繰り返したんだろうね。すっぽりこの建物を囲い込んでいて、これじゃ見つけられなくても仕方が無いね」
エリオットが感心したように言うと、アレクシスが僅かに眉を寄せた。
「盗賊団が解散となってしまって、残された下っ端がお宝を持って逃げるように消えてしまったらしいの。アジトはずっと知られていなくて、街の皆も不思議に思っていたのよ。それをあたしがたまたま配達途中に見つけたってわけ」
「……成る程ね。ありがとう。《世界堂》の地図にも載っていなかったよ。君はとても優秀な配達屋なんだな」
「ありがとう! これからもご贔屓に!」
輝くような明るい笑顔を見せたセリに、アレクシスは初めて笑顔を見せた。
「早速だけれど、その腕を見込んで仕事を依頼したいんだ。王都の外も同じように詳しいのかい?」
「外? ええ……時々王都の外にも配達はあるから、知ってるけど……泊まりになるから高いですよ?」
「という事は、君はちゃんと雇われているという事?」
「失礼ね! あたしはこれでも来年成人よ! 配達屋は子供の頃から手伝っているけど、ちゃんと就労が認められる十五歳で正式に雇われたわ!」
小枝のように細い手足を持ち、小さな顔に大きな目のセリは十七にしては幼く見られたが、それでも正式雇用が認められている十五歳にも満たないと思われていたとは心外だ。断って出て行こうと立ち上がると、その細い腕を押さえられた。
決して強く捻り上げられたわけではないが、アレクシスのその指はあまりにもひんやりと冷たくて、セリは肩をふるりと震わせた。
「すまない。だが、頼みたい仕事は少々厄介でね。きちんと確認したかったんだ。座ってくれないか?」
そう言われて逡巡したが、セリは大人しく椅子に座りなおした。それはアレクシスの冷たい手から逃れたかったのが一番大きな理由だった。
「では、改めて依頼するとしよう。案内して欲しいのは、西の地方都市ラングドンなんだ」
「ラングドン? ええ、何度も言った事があるわ。でも、案内して欲しいってどういう事? 配達じゃないの?」
「いいや。私達を案内して欲しい」
「それは……」
今まで様々な事情の配達があったが、配達員が人を案内するなど聞いた事が無い。戸惑い、返事を躊躇っているとアレクシスが目の前で少し微笑んだ。まるで、セリが断るはずなど無いと思っているようだった。
「――でも、すぐには返事できないわ。ラングドンのどこに行きたいの? 場所によっては何泊も必要よ? あなた達がどんな人が分からないし――」
そこまで言うと、エリオットは紅茶を吹き、アレクシスに紅茶のお代わりを淹れていたセドリックでさえ一瞬手を奮わせた。紅茶がテーブルに飛び散らなかったのが奇跡だ。
「セリちゃん……ごめんね? 確かにちゃんと自己紹介しなかったのは申し訳なかったけれど……これだけ近くで見ているんだから、さすがに気付いていると思っていたよ」
「え? 何がですか?」
セリは益々訳が分からず、思わず眉間に皺を寄せた。
「これ」
エリオットは、ベストのポケットからキラキラ輝く何かを取り出し、仰々しい手付きでセリの目の前に突き出した。
「!! 銀貨!!」
思わずセリはそれに飛びついた。
王子が今年十八歳で成人を迎えた記念に新しく作られた銀貨は、今までの硬貨のデザインとは少し違っているとセリは噂で聞いていた。だが、銀貨に縁の無い生活をしていたセリは今まで新しい銀貨を見た事が無かったのだ。
二種類ある銅貨は、価値の低い方には真ん中に穴が開き裏表共にぐるりと国名が刻まれている。その十倍の価値のある穴の無い銅貨には表には宮殿が、裏にはグランフェルト王国の刻印がある。更に十倍の価値があるのがこの銀貨で、もっとも価値のある金貨は銀貨の更に十倍価値があり、表が国王夫妻で裏はやはり国名が刻まれている。だが、セリが目にしている新しい銀貨は表も裏も王子の横顔で、その顔を取り囲むように国名が記されていた。
「両面王子殿下なんですね」
「まだ分からない?」
苦笑したエリオットは、アレクシスの顔の横に銀貨を掲げた。
耳が隠れる程の長めの真っ直ぐな髪、鋭い切れ長の目、すっと通った鼻筋、薄い唇――それらは銀貨の中の横顔を一緒……。それが示す事にようやく気が付いたセリは、思わず立ち上がった。
「え!? あなた、王子様なの!?」