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7.アンナの行方

 セリにとってはこの一晩がこれまでで一番長く感じられるものだった。

 リリアが起こしに来る随分前にベッドを抜け出すと、桶を持ち中庭へと出た。

 外に出ると、ひんやりとした空気が全身を包み込む。

 セリが出た中庭は凹型の形をしたシュヴァリエ家のちょうど窪みにあたる場所に小さく存在する。

 小さな中庭はうっすらと雪化粧を施しており、吐く息も白い。

 セリは屋敷の傍に備えられている手押しポンプの脇に桶を置くと、手で雪をはらって庭のベンチに腰掛けた。

 視線の先には窓の無いのっぺりとした外壁がある。ビコロール商会が入っているそこを見上げ、セリは昨晩のアレクシスとエリオットの言葉を思い出していた。

 アンナの事を思うと、セリの心が逸る。手をギュッと握り締めてアンナの救出を誓ったセリだったが、簡単には動けない事は昨日の一件でも分かっていた。

 今だってセリは見張られている。

 チラリと視線を屋敷に向けると、そこには長身の影があった。

 アンリはセリの視線を受けても姿を隠そうとはしない。見張っているから無茶な事はするな、と態度で示しているのだ。

 セリは小さく溜息をつくと、キュコッキュコッとポンプで水を出し、桶の水で顔を洗った。



 * * *



 アレクシスとエリオットは、いつもよりも早く学院に到着した。

 今日、

 とある貴族の名で配達の依頼が入るようになったのは、セリが配達屋に復帰して少ししてからだった。

 不思議な事に、学院が休みの日に限ってその手紙は『ことり』に持ち込まれる。

 配達先は様々だったが、中流階級の街から上流階級の街の商店等、地域は限られていた。

 指名制度を知らないのか、手紙はただ預けられるだけで、セリが配達する日もあれば、アンナや他の配達員の時もある。

 だが、貴族からの依頼ともあってかベテランの配達員――セリが任される事が多かった。

 セリの配達はグレゴワール公爵の命令により、サジが隠れて警護していた。その為か、セリが危ない目に遭う事は無かった。

 セリはまだ気付いていないようだが、セリが目印にしていた青い布も赤い布も、数を減らしている。アレクシスが下層階級の街を確認して整備が必要だと判断してグレゴワールに話した時に、布の存在が空き家の目印である事も一緒に話したのだ。

 セリが教えてくれた布の存在は、確かにアレクシスとエリオットが危ない時助けてくれた有難い存在だったが、逆に利用される事も考えると非常に危険なものでもあった。セリが今まで危険に巻き込まれなかったのは奇跡と言ってもいい。

 そして今回、それをまんまと利用されてしまった。セリに街の整備について詳しく話しておかなかった事が悔やまれた。

 それにしても、敵はどこで目印の布の存在を知ったのだろうか。  

 昨日、学校は休みだったが、以前より約束していたマナーのレッスンがあった為、セリは配達屋の仕事を休んでいた。

 それをマリアに伝えたのは、先週の配達の時だったという。

 特に人の目は気にしていなかったが、同僚達の噂などもあり余り耳に居れない方が良いだろうとのアンナの助言があってマリアしか居ない時に話したそうだが……。

 サジの存在に手を出せず、焦れた敵が焦ったか――? アンナという少女を二人は知らないが、セリとは年が同じで仲が良かったという。

 当日のアンナの配達状況から言って、攫われたのはその日の配達がほぼ終わった頃だった。

 あの日、配達されなかったのはたった二通。

 一通は、例の貴族からの手紙だった。もう一通は薄暗い路地に落ちていた。その近くに、布がかけられたドアは“一枚も”無かった。



 * * *



 教室の中に、ひとり、またひとりと生徒が入ってくる。

 早くから教室に居たアレクシスとエリオットに、皆驚いたようにしているが最初とは違ってだいぶ気軽に挨拶をしてくるようになった。

 二人ともそれに挨拶を返し、ドアを見詰めた。

 生徒の殆どがそれぞれ席に着いた。

 すり鉢型の教室は席が決まっていない。それぞれが好きな席に着くのだが、学院に慣れてきたこの頃には大体席が定着してきていた。

 目的の人物はまだ来ない。

 そして、セリとサジも。

 クリストフがこの数日、公務の為に北のディヴィングに行っているのは都合が良かった。

 まもなくして入って来た三人に、教室の空気が少し変わった。

 それまでアレクシスやエリオットも含め、気さくに雑談していた面々が皆会話を止める。

 先頭のアナベルは教室全体を見渡すと、アレクシスとエリオットの間の空席に目を留めた。

 


 その頃、セリはサジに捉まっていた。


「ねえ、サジ……もう講義始まっちゃうよ?」

「悪ぃな。ええっと……この辺だったかなぁ……」


 親の用事で朝届け物をしなければならないが場所が分からないと、出がけにサジがセリを訊ねて来たのだ。昨日の件もあり、アンリも反対するかと思いきや、用事が終わったらセリと共に学院に行く事を条件に了承したのだ。

 ところが、サジの記憶が曖昧すぎて正確な場所を探し出すのに苦労し、日がどんどん高くなってくるというのに目的地に辿り着けず、セリは焦っていた。


「パン屋の奥の路地だったはずなんだ」

「だから……一体何てパン屋の路地よ……せめてパン屋のご主人の名前とか分からない? 王都に一体どれ位の数パン屋があると思ってるの?」

「……だよなぁ?」


 普段しっかり者のサジが意外なところで抜けているものだ。セリは呆れながらもサジのお使いに最後まで付き合う事にした。

 今から学院に向かっても、最初の講義に間に合う気はしなかった。

 セリは溜息をつくと、もう一度サジから目的地の特徴を聞いて歩き出した。


 結局、セリとサジが学院に戻ったのは最初の講義が終わってからだった。


「酷いわ、サジ。講義には間に合うって言ってたのに……」

「悪い悪い! でも助かったよ」


 講義が既に終わっている事は分かっていたが、セリは急いで学院の門をくぐった。


「あら? アレク。それにエリも……」


 学院に入り教室に向かっていると、二人が廊下でセリを待ち構えていた。


「どうしたの?」

「それはこっちの台詞。そっちこそどうしたのさ。一緒に遅刻?」


 セリはサジの正体を知らない。サジの動きは計画通りだったが、エリオットはわざと驚いたように大げさに聞いた。


「違うわよ! ちょっとサジの用事に付き合っていたの。ちゃんとおじさんの許可は取ったわよ? 本当はこんなに遅れるつもりなかったんだけど――」


 ガチャン!


 その時、教室の方から大きな物音が聞こえ、セリは驚いてそちらに目をやった。

 そこにはサロメ・ラシュレーが青い顔で立って居た。

 持っていた物を落としたのだろうか、足元には物が散乱している。

 教科書にペン。それにインクが入った小瓶が割れて、飛び散ったインクがサロメが履いている革の美しい編み上げのブーツと、淡いオレンジの綺麗なドレスに真っ黒な染みを作っていた。

 だが、サロメはそんな事には気付いていない様子でセリを凝視している。

 その様子は尋常では無く、セリはつい声をかけた。


「ええっと……サロメ? 顔色が悪いけど……大丈夫?」

「――るの?」


 散乱した物を拾おうとしたセリの肩を、サロメが突然強い力で掴んだ。


「イタッ! 何?」

「……貴方、どうして此処に居るの!? どうやって逃げたの!?」

「サロメ? 何言って……?」

「サロメ・ラシュレー嬢。その話、詳しく聞かせてはもらえないかな?」


 その言葉で、ハッとしたようにサロメがセリから視線を外す。

 いつの間にかアレクシスとエリオットが傍に居り、セリの肩からサロメの手を外した。

 サロメは一層顔を青くして震えだした。


 サロメを連れて三人が向かったのは、図書館の片隅にある閲覧室だった。

 扉をしっかりと閉めると、震えるサロメを奥の椅子に座らせる。

 閉じられたドアの向こう側では、サジが周囲を観察していた。


「どういう事? 今の話……まさか?」


 セリは何がどうなっているのか、サロメが何故こんなにも怯えているのか分からない。

 だが、先程のサロメの言葉から、どうやらアンナが攫われた事件にサロメが関係しているらしい事が分かった。


「セリ、君が今思った事は大体当たっているよ。君の同僚のアンナを攫った犯人はサロメだ」


 アレクシスの静かな言葉に、サロメは大げさなまでに身体を強張らせた。


「厳密に言えば、命令したのがサロメ、だね。実行犯はきっと今もアンナと一緒だろう」

「えっ! じゃあ……アンナが危ないって事?」

「いや。彼らはアンナを君だと思っている。サロメがこうしてセリの姿を見て驚いているのが確かな証拠だ」

「どういう事?」

「あのね、セリちゃん。サロメは君の特徴と『ことり』で配達員をしていると話して攫わせたけど、まだ自分の目では確認していなかったんだよ。だから、今日君を見て驚いた。そうだよね? 実行犯からは『成功した』と聞かされていたはずだ。そうだろう?」

「し、知りませんわ」


 サロメはこの期に及んで知らない振りをしたが、顔色は依然として青いままだ。動揺しているのが丸分かりだった。


「そうかい? ――デュアイン公爵に、知られたいかい? 今ならまだ、動くのは私達だけだ。デュアイン公爵は、可愛い姪っ子の為ならば何をするか分からないよ?」

「――そんな!」


 それは、暗に父であるラシュレー侯爵への風当たりが強くなると言っているも同然だった。

 サロメは諦めたように静かに場所を告げた。


「中流階級の街に……以前出入りしていた商人の倉庫があって……そこは夏しか使わないって聞いてたから……」

「そこに連れて行くよう命令したんだね?」


 サロメが小さくカクカクと頷くのを見ると、三人は閲覧室を飛び出した。

 図書館に居た生徒が驚いて振り返るが、脇目もふらずに学院を後にした。


 だが、サロメが話したその倉庫には、傷を負った男が二人縛られて倒れているだけで、肝心のアンナの姿は既にどこにも無かった。

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