6.依頼人
「え!? アンナがどうして!?」
セリは驚き、大きな声をあげた。
アンナはとても熱心な配達屋で、セリ程ではないにしろ、この街の事をよく知っているはずだ。
まさか迷ったのだろうか……そこまで考えて、セリはある事に気がついた。
“どうして、それを知らせにマリアはここまでやって来たのだろう?”
「マリア……どうして、うちに来たの? アンナは、単なる迷子じゃないのね?」
するとマリアが震える手で上着のポケットからクシャクシャになった紙を取り出した。
「これが……これが戸口に挟まってたんだ。アンナの帰りを店で待ってたんだが、なかなか戻らない。さすがにおかしいと思って、外に様子を見に行こうとしたら、この紙がある事に気付いたんだよ」
「見せて!」
セリは急いでそれに飛びつくと、紙を広げた。
“店の看板娘は預かった。返して欲しければあの娘を退学させろ”
様子を窺っていたアンリも上から覗き込んでいる。
「退学? 何の事?」
「アンナは……セリ、あんたと間違われた可能性が高い」
「えっ!?」
マリアの言葉に驚いて顔を上げると、難しい顔をしたアンリと目が合った。アンリが頷く。
「どうして? そんな事が……」
相手は、セリが王宮学院を退学する事を望んでいる。
だが、間違えてアンナを攫うあたり、セリ本人を知らないようだ。
では、なぜアンナをセリと間違えたのだろう? なぜ、学院に入って時間が経った今なのだろう……セリはひとつの可能性に辿り着いた。
「もしかして……でも、そんな……どうしよう……」
セリが呟く言葉をアンリは聞き逃さなかった。肩に手を置き、きちんと話すように促す。
セリは、空き家に印をつけ抜け道にしていた事、そしてそれを最近アンナに教えた事を話した。
「あんたって子はなんて事を……。それがどんなに危険な事か、分かっているのかい? 空き家は悪党にとっても格好の隠れ場所だ。今までそんな目に遭わなかったのは奇跡と言えるよ!」
「ごめんなさい。あたし……まさかこんな事になるなんて……」
マリアの言葉に、セリの顔は青くなります。もしも自分が教えた方法で入った空き家で、誰かに待ち伏せされていたのなら……セリはとんでもない事をしてしまったと気付き、泣きそうになりました。
「どうしよう! おじさん、どうしよう! あたし、アンナを探しに行く!」
こうなってしまったのは自分の責任です。セリは居ても立ってもいられません。ですが、廊下に飛び出そうとしたセリをアンリが止めました。
「おじさん! 放して! あたしのせいでアンナが……!」
アンリは首を振り、掴んだセリの腕を放しません。
「セリ、あんたが行けば敵の思う壺だ。あっちももうそろそろ攫ったのが本人じゃないと気付くだろう。そこにあんたがアンナを探しに外に出たらどうなる?」
「でも……!」
「駄目だよ。あたしはあんたに探しに行って欲しいと思って知らせたわけじゃない」
「どういう事!?」
「――あんたはそろそろ自分の立場というものを自覚した方がいい。このことは、公爵様に伝えるためさ。まあ……忙しさに負けてあんたに配達の手伝いをさせたあたしも悪いがね」
セリはもどかしくてたまらなかった。自由に動けないなんて、大好きなアンナが大変な目にあっているのに動けないなんて……もどかしくて、悔しくて仕方がない。同時に、アンナを危険な目に合わせたのが自分だという事実が苦しかった。
『犯人からの手紙は預かる。マリアはここに居てセリが探しに行かないよう見張っていてくれ』
アンリはそう走り書きをすると、クシャクシャの手紙を受け取って上着を引っつかみ外に出て行った。
「ごめんなさい。ごめんなさい、マリア。あたし、役に立ちたかったの。沢山道を覚えて、早く一人前になりたくて……」
肩を落とすセリをマリアは抱き締めた。
「起こっちまった事は仕方ない。今は公爵様のお力を借りるのが最善だ」
マリアは一度ぎゅうっと力強く抱き締めた後に、身体を離してセリの顔を覗き込んだ。
「セリ。よくお聞き。あんたはその辺の大人よりしっかりしたよく出来た子だよ。そう成らざるを得なかったんだけどね……でもね。あんたはまだまだ子供なんだよ。まだまだ知らない事も、あんたの考えの及ばないような悪人だって居るのさ」
マリアとは長い付き合いだ。セリは、マリアが言葉を選びながら諭してくれているのが分かった。
かえって辛かった。
自分が、優れた配達員だという自負があった。だがそれはとても傲慢な考えだった。
そう気付いた時にはもう遅い。大切な友達を危険な目に合わせてしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。しかも捜索を人に任せなければいけないとは……。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
「――セリ……」
勝気なセリが涙を浮かべて肩を落とす。マリアはたまらずにセリを抱き締めた。
アンリが帰ってきたのは深夜になってからだった。
セリはマリアと共にじっと待っていた。たった数時間のことだったが、一日にも感じられる程だった。
アンリが戻って来たのを物音で気付いたセリが廊下に飛び出すと、アンリのほかにも人影があった。
「あっ……アレクに、エリ!」
セリに名前を呼ばれると長身の影がマントのフードをはずし、振り向いた。
「セリ。アンリから聞いた。詳しく話を聞かせてもらえるかい?」
アレクシスも、いつもヘラヘラと笑っているエリオットも顔が強張っている。
「この件にもしかしたらバシュレ公が絡んでいるかもしれないからね。僕達も話を聞かせてもらっていたんだよ」
エリオットの言葉にセリが息を飲む。
相手がバシュレ公ならば、毒を使って恐ろしい計画を立てた男だ。アンナの事を思うと、気が気ではない。
「どうして……!? どうしてあたしが学院を退学する事を望むの?」
「デュアイン公爵が後見についた事で、君の存在は貴族間でも知らない者はいない。それに、噂でお妃候補とも言われているし、孫娘をないがしろにされたようで面白くないという感情もあるだろう」
セリの脳裏に、バシュレ公の孫娘であるアナベル・バシュレが浮かんだ。
「とにかく、話を聞かせてもらえないか。今父上が人を使って探させているけれど、情報は多いに越した事はないよ。それに――人違いと気付いたら……」
セリの背筋がゾクリをした。
「エリ、今はその話をすべき時ではない。だが、急がなければいけない。分かるね?」
「う、うん」
アレクシスはエリオットの発言に、嗜めはしたが否定はしなかった。
つまり、本当にバシュレ公が関わっていてセリ本人では無いと知ったなら、アンナの命が危険に晒されるという事だ。
「マリアさん。アンナのご家族はこの事を?」
「いや。すぐにここに向かったからね。だが心配はしているだろうよ。今日は泊りがけの遠出仕事じゃない事は知っているはずだからね」
「では、申し訳ありませんがアンナのご家族には、急な配達の仕事が入り、王都を出ていると説明してはもらえませんか」
「わ、分かった。セリ、くれぐれも無理するんじゃないよ。いいね?」
マリアはセリにそう言い聞かせると、バタバタと騒がしく屋敷を出て行った。
急に静まり返った部屋で、セリは自分のドクドクと大きく打つ心臓の音だけが聞こえる。
すぐに駆けて行きたかったが、無闇に捜したところでうまくいくとは思えない。もどかしくて仕方がなかった。
「どうしよう! あたし、どうしたらいい!?」
焦るセリに言われた言葉は、意外なものだった。
「セリ、君は普段通り学院に行くんだ」
「えっ!? そんな……そんな事出来るわけないじゃない!」
「落ち着いて! セリちゃん。父上の部下が総動員で捜してる。警邏隊にも圧力をかけて怪しい建物は全て確認させるそうだ。セリちゃん。アンナは必ず助け出すよ」
「あたしも捜す! じっとなんてしてられないよ!」
「気持ちは分かるけど、駄目だ。相手は君をよく知らずに間違えてアンナを攫った。おそらく公爵が絡んでいるとしても、かなり下っ端の連中の仕業だと思われる。連中は作戦が成功したと思っているだろう。なのに、君は普段どおり学院に行っている。相手は動揺する。攫った女の子は誰なのか? どちらにしても何かしら動きは出る。その時が救出の格好の機会なんだ」
アレクシスの説明に少し落ち着きを取り戻したセリだったが、不安気な表情のままだ。
「それって、危ないんじゃない? 」
「それまでにアジトの目星はつけるよ。約束する。だから君は明日普段通り学院に行くんだ。いいね?」
セリはまだ迷う素振りを見せたが、結局頷くしかなかった。
「アンリ、セリの事は頼んだよ。決して無理はさせないように」
その言葉にアンリは力強く頷いた。
セリに言い聞かせてシュヴァリエ家を出たアレクシスとエリオットはぐるりと辺りを見渡す。
すると、ほど近い路地から一人の男が音も無く現れた。
「サジ。どうだ? 何か分かったか?」
「バシュレ公には目立った動きはありません」
「ちぇー。なかなか隙は見せないかぁー」
悔しそうに呟くエリオットだったが、アレクシスはサジに視線を向けたままだ。
「それで? 何か分かったんだな?」
するとサジがニヤリと笑った。
「さすがでございます。殿下。バシュレ公には目立った動きはありません。というか、無さすぎるのです」
「やはりバシュレ公では無いか……」
その言葉に驚いたのはエリオットだった。
「えっ!? どういう事? アレク何か知ってるの?」
「いや。知ってるわけではないが、バシュレ公が指示してにしてはやり方が乱暴だし、確実ではない。現にセリの事をよく知らない人物が実行犯に選ばれている。その時点でバシュレ公本人が関わっていないだろうと考えた」
深く頷くサジにエリオットは面白くない。
「サジ! 酷いよ。それならそう言ってくれないと!」
「まあまあ。――と、なると……攫われた状況から言って、セリの配達方法を知っている人物だ。最近『ことり』周辺を嗅ぎ回る人物はいなかったか?」
「は。おりました。最近あの店を利用する貴族がチラホラ出ております。が、大抵はビコロール商会関連の配達……ただ、それ以外に一人だけ頻繁に利用している貴族がおります」
そう言ってサジはスッと一通の書類を差し出した。そこには、とある人物が『ことり』に依頼した配達内容が纏められていた。
「……ふむ。ならば、やはりセリには明日も普通に学院に行ってもらわないとな」
馬車が到着した時、サジは既に姿を消していた。




