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4.配達員セリのプライド

 教室の片隅で教科書を丁寧に鞄に入れながら、セリは小さく溜息をついた。

 入学のお祝いにとグレゴワールから贈られた沢山の品物の中には、肩から提げられる革の大きな鞄が入っていた。よくなめされたら革の鞄は柔らかくてとても丈夫なのだが、傷がつきやすい。

(使い慣れた布の鞄がいいんだけど……)

 だが、講義によっては分厚い教科書も必要な事も考えると、布の鞄では耐久性に問題がありそうだ。ならば背中に背負うリュックタイプの物もあるのだが……これまたグレゴワールに贈られた服に目を落とし、諦めた。

 貴族のご令嬢であるアナベルやサロメ、ロクサーヌ等に較べたらとても質素なその作りは、グレゴワールが折れてくれた服だ。本当ならば彼女達のようないかにも良家の子女といったような服を着せたかったのだろう。その姿を見てとても残念そうにしていたが、それでも柔らかな肌触りと、しっかりとした縫製、華美な装飾は無いがセリの身体のラインに合わせて作られた高級品だ。とても動きやすいがその肌触りにはまだ慣れない。少し机に擦れただけでも気になるのに、その背に鞄を背負うなんてとてもではないが出来ない。

 だが、溜息の原因は使い慣れない鞄でも、着慣れない服でもない。

 斜め後ろに視線をやると、そこにはまだ自分をじっと見詰めているグレーの瞳があった。

「……なあに? レオナール。私に何か用?」

 経営学の講義にアレクシスやクリストフは出ていない。エリオットも当然二人と一緒に行動しているため、必然的に経営学はセリ一人で受講する事になる。

 この時間、三人は貴族の子息や令嬢だけが受講することができる講義を受けているはずだ。所謂帝王学のようなものらしいが、セリは説明だけではよく分からなかった。貴族は家督を継承したり、騎士や政治、神職の道を目指す者が多い。稀に起業する者も居るが、彼らは全員がその特別講義を受けている。

 という事は、『世界堂』を営むボラン家は由緒正しい家ではあるが、貴族では無いという事か。

 しぶしぶ振り返ったセリに、レオナールがまた先日の地図を突き出した。

「まだ持ち歩いてるの……」

 レオナールのその執念とも思える感情に、セリは少々うんざりした。

「まだとは何だ!」

 このセリが一人になるこの講義でレオナールは決まってセリの近くに座ってこうして絡んでくるのだ。

「君はあの時、君が書き足した線が実際に行って確かめてみろと言っただろう!」

「言ったわよ。間違ってなかったでしょう?」

 すると、レオナールがニヤリと薄く笑った。

「そうだな。合っていたよ。ただ、一箇所を除いては」

「えっ!?」

 セリは大きな声を上げて地図に飛びついた。

 その様子を少し離れた所からサジが見ている。きっと何か揉めているのではないかと気にかけているのだろう。他の生徒は、面倒な事には巻き込まれたくないと言わんばかりに足早に教室を出て行った。

「どこ!?」

「ここだ。よく見てみろ」

 レオナールが指差した場所は、セリがよく配達で訪れていた場所だ。そこに大きくバツがつけられている。

「うそ!」

 セリは驚いて地図に飛びついた。

「嘘じゃない。君の線ではここは通り抜け出来るようになっているが、実際行ってみるとここは行き止まりだった」

「え……」

 この場所は中流階級が多く住む場所だ。建物の増築が頻繁に行われている事はセリ自身がよく分かっている事だ。それなのに、配達屋時代の記憶が正しいと思って疑わなかった。

「確かに、君の書いた物はよく出来ていたが、完璧では無かったよ。我が『世界堂』でも地図職人を派遣して徹底的に調べさせている。すぐに、君の知識なんて足元にも及ばないような完璧な地図が出来上がるさ」

 セリはその言葉に大きなショックを受けた。

 『世界堂』が持っている知識と技術、優秀な人材があればすぐに正確な地図が作られるだろう。それにセリが言った事がきっかけになったとはいえ、実際に足を向けて見れば頻繁に街の様子が変わる場所だという事も分かるはずだ。そうなれば、『世界堂』は度々人を派遣して地図を作りなおすだろう。セリが自分の足でひとつひとつ地道に得てきた知識など、すぐに凌駕する程完璧な地図を――。

「君は地図屋になりたいようだが、それは無駄だと早めに知っておいた方がいいと思ってね。だが、礼は言っておくよ。君の言葉で調査に乗り出したわけだからね」

 そう言ってセリが手にしたままだった地図を取り上げると、さっさと鞄に入れて教室を出て行ってしまった。

 セリはそんなレオナールの姿を見る事が出来ずに呆然とその場に佇んでいる。その様子に、とうとうサジが焦れて傍にやって来た。サジはセリの学院での護衛をグレゴワールに命じられているが、セリはサジの素性を知らない。まだ“門番だったサジ”しか知らないのだ。ゆえに、あまり近寄らず一定の距離を保つようにしていたのだが、さすがにセリの様子が気になった。

「セリ、何かあったのか? レオナールに何か言われたのか?」

 心配そうに訊ねてくるサジの言葉にハッと気付いたセリは、とんでもない事を言い出してサジを驚かせた。

「サジ、あたし、配達屋に戻るわ!」

「はあ!? 学院はどうするんだよ?」

「学院がお休みの日に手伝うのよ! 地図屋になる為には学院を卒業しなくちゃいけないけど、だからといってこのままじゃ街並みを忘れちゃう! レオナールの言う通りになっちゃうわ!」

 自分の記憶と実際の道がたとえ一箇所でも違っていたというのは、セリにとっては大きな問題だった。

 だが、グレゴワールがそれを許すだろうか……自分の息子よりも優先して姪であるセリの護衛を命じたグレゴワールを思い出し、サジは顔をしかめた。

「だけど、お前あの……グレゴワール・デュアイン公爵閣下が後見についたんだろう? 許可が下りると思っているのか?」

「どうして? そりゃ伯父様は大貴族かもしれないけど、あたしは違うし、そもそも地図屋になりたいと思ったきっかけだって配達屋をしていたからだもの」

 問題にもならないとばかりに言うセリに、サジの眉間の皺は益々深くなる。

「いや……お妃候補とか、なってる……んだろ?」

 出来る限り一般の噂レベルで話そうとサジは言葉を選びながら話した。これは何としても阻止しなければと思ったのだが、公爵の関係者だと疑われてはならない。だがセリは軽く笑って一蹴した。

「ああ。あれ? そんなの無いわよ! 第一、あたし平民だもの! クリストフ殿下のお相手は貴族の中でも公爵令嬢や公爵令嬢……? あと外国の王族なんかじゃないと釣りあわないんでしょう?」

 サジは驚いた。なぜセリがそんなに詳しく知っているのだろうか……一般的にも高位の貴族が相手に選ばれるというイメージはあるようだが、具体的に階級が出るのは不思議だった。

「――誰かに何か言われたな?」

 途端にセリの視線が泳ぎ出した。サジと違ってセリは誤魔化すのが下手だ。すぐに顔に出る。

 セリから目を離さないようにしてきたつもりだが、サジはその年齢と人柄からクラスのまとめ役になっていた。その為教授に呼び出される事もあり、ずっとセリを見張る事は難しい。学院で過ごす時間の殆どを両殿下、そしてエリオットと過ごしているから大丈夫だと思っていたのだが……。

「誰に言われたんだ?」

 先程よりも語尾を強めて訊ねると、セリは少し肩をすくめて諦めたように話し出した。

「……サロメよ。わざわざ一人でお手洗いに行った時を狙って待ち伏せしてたの」

 サロメ・ラシュレー嬢……ラングドンの有力貴族――つまりはアナベルの恋敵でありながら手下のような存在の少女か……サジは頭の中でサロメを思い浮かべながら内心舌打ちをした。

(自らが起こした行動か、それともアナベルにけしかけられたか……どちらにしても余計な事を――)

「何を言われたにしろ気にする事は無い。バシュレ公爵閣下の周りがどうであれ、クリストフ殿下は家柄だとかそんな事に囚われるお方ではない」

 元気付けようと励ましたつもりだったが、セリはきょとんと目を丸くしてサジを見た。

「やだ。あたしが本当にお妃様の座を期待してるように言わないで! そんな大それた事考えてないから! それに、貴族とか平民とか……曖昧な場所に居るようになって実感したのよ。あまり、貴族側の慣習に慣れたくないわ」

 だからこその配達屋復活よ! そう力強く宣言すると、セリは小さく拳を握った。どうやらサジの話は説得するどころか、逆に決意させてしまったようだ。

(まあ、グレゴワール様がお認めにはならないだろう)

 そう考え、それ以上追求する事はなかったのだが、姪に甘いグレゴワールだ。セリの目論見は成功し、行儀見習いを学ぶという条件で、学院が休みの日だけとはいえセリの配達屋復活が決まったのである。

 そしてそのセリの決断は、配達屋『ことり』に前代未聞の大事件を引き起こす事になるのである。



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