3.抜け道の先で見つけたもの
「――セリ・エストレ……リューシスと同じ金の目を持つ娘、か」
「リューシス? 幻の鳥の?」
エリオットの問いかけに、アレクシスはセリが差し出した紙切れを指差した。
「尾羽が長い。リューシスの幼鳥だ」
セリが直接描いたであろうその鳥の絵は上手とは言えなかったが、特徴をよく捉えていた。
「風に乗り、どんな鳥よりも速く飛ぶリューシス。あまりに速くて人の目には金の尾羽が黄金の流星のようにも見え、その後には黄金が降り注ぐと言う。伝説では産み落とす卵も金色である為、富と繁栄の象徴と言われている。それを配達屋のシンボルにするとは上手いじゃないですか」
暢気に笑うエリオットを呆れたように見やると、アレクシスはエリオットの左胸を拳で軽く小突いた。
「リューシスにはもう一つ大きな意味がある。それは、貴族で一番大きな力を持つデュアイン公爵家の紋章に使われているという事だ」
「成鳥はね。成鳥を勝手にシンボルに使ったら問題でしょうけれど……。あぁ、それで《ことり》なのかな? やっぱり上手い」
やはり暢気に笑顔を見せるエリオットに、アレクシスはそっと嘆息した。
「……とにかく、先を急ごう」
アレクシスの声でエリオットは慌てて地図を開き、二人はその場を後にした。
「ここか……」
「彼女の言う通り、確かに貴族の邸にしてはあまり立地は良くないが……分かり辛い場所にしているのも考えがあっての事なのかもしれないな」
「ではそれは……」
その時、二人が居る路地に長い影が伸びた。
「!?」
アレクシスとエリオットはとっさに窪みに身体を滑り込ませた。
見えたのは、ずんぐりした影と、細長い影――。
影は路地に入っては戻り、頻繁に左右を確認していて何かを探っているのは明らかだった。
「――場所は特定できた。長居は危険だ。戻るぞ」
「はい」
影が去った隙に、また素早く別の路地に入る。来た道を戻ろうとしているだけなのに、それすらも難しい程に似通った建物、似通った路地が続いていた。
「エリオット。こっちで間違いないのか? あっちの路地じゃないのか?」
「ええと……」
アレクシスが、地図を片手に迷うエリオットの手元を覗いた瞬間、狭い路地に大きな声が響き渡った。
「いましたぜ! 兄貴、こっちです!」
その声に振り返ると、先程の影の持ち主だろう。背の高い男と、その後ろからずんぐりした体型の男が駆けてくる。
「チッ! 逃げるぞ、エリオット。どうやらあいつらの目的は私達らしい」
すぐに身を翻して別の路地に入るが、傾いた日差しが二人の影をも時折石畳に映し出してなかなか追っ手を巻く事が出来なかった。
その時、アレクシスの目に青い布が結ばれたドアノッカーが目に入った。
「エリオット、入るぞ!」
「アレクシス、あの娘を信じるのですか!?」
「捕まるよりマシだ。あいつらが我々よりもこの通りに慣れているかもしれないだろう。それに、あの娘の書いた地図は間違っていなかった」
ガチャリ――
ドアは何の抵抗も無く開いた。室内は静まり返り、家具は使い古されたみすぼらしいテーブルと、脚が折れ倒れている椅子が一脚あるだけ。それも随分と埃を被っている。セリの言う通り空き家である事は間違いないようだった。
アレクシスは素早く閉じたドアから離れ、光が差し込まない場所に移動すると物音を立てないよう息を潜め外の様子に意識を集中させた。
すると、少ししてからバタバタと走る足音が聞こえた。
――ひとり、……ふたり。
さっきの男達だろうか。まだ油断は出来ない。それは少し離れた場所で壁に耳を押し当てて様子を窺っているエリオットも同じ考えのようだった。
「クソッ! どこ行きやがった! 戻って奥を捜せ!」
一人分の足音が戻ってきて、また遠ざかる。そうしてやっと静寂が訪れた。
「……やつらは二手に分かれたようですね」
追っ手の気配は感じないが、エリオットは自然と声を潜めてアレクシスに話し掛けた。
「そうだな……このまま外に出ては見つかる確率が高いだろう。だが収穫もあった」
「収穫? なんです?」
「この建物の前を通り過ぎる足音に躊躇が無かった。という事は、彼女が教えてくれた抜け道を、あいつらは知らないと言う事だ」
「……なるほど。彼女に助けられましたね。ここは青い布が結ばれていた。という事は、別の路地に抜けるドアが他にあるという事――」
エリオットはキョロキョロと辺りを見回した。
さほど広くない家で、もう一つのドアはすぐに見つかった。
「追っ手があいつらだけとも限らない。あの娘が教えてくれた抜け道を使わせてもらおう」
外の様子に耳を澄ませドアを開けると別の路地……そして路地を挟んで向かいに並ぶ集合住宅のドアの一つにも青い布が結ばれていた。
二人は通り抜けが出来る青い布を目指して路地から路地へと渡り歩いた。
中には一階から入り、二階のドアから別の通りに出る事もあった。だがそのお陰で外を歩いていても追っ手の気配を感じなくなっていた。
何度抜け道を通り抜けたのか、もう分からなくなった時に二人は赤い布と青い布が結ばれている一際大きく、重厚なドアの前に立っていた――。
* * *
その日、セリは機嫌が良かった。今夜はテオおじさんが帰って来る。それを考えると、セリの顔は自然と緩んだ。
セリの母親の兄であるテオはセリの両親が流行り病で亡くなってからというもの、セリの父親代わりとなり育ててくれた。
だがテオは雇われ兵士をしている為に留守がちで、小さな頃セリはマリアに預けられていたのだが、十五歳になり働けるようになってからは一人で留守を守っていた。
そのテオが久しぶりに帰って来る。
《ことり》に帰宅を知らせる手紙が届いてからというもの、セリは大切に上着の内ポケットに仕舞い込み、休憩中に何度も読み返した。
『セリへ
セリ、元気かい? ちゃんと食事をしているか? マリアは君をこき使ってないだろうな? 今回の仕事は良い金になった。帰ったら新しい服を買おう。セリも少しは大きくなっているだろうからね』
何度も何度も読んで、もう文面は覚えてしまった。
「セリ! なんだか嬉しそうね」
「アンナ! アンナも休憩? こんな時に会うなんて珍しいわね」
同僚のアンナがセリの隣に腰掛けた。アンナは今年から配達員の仕事を始めた新人だが、セリとは年が一緒という事もありすぐに打ち解けた。
配達の仕事では皆が皆それぞれ配達途中で休憩を取る。その日担当した配達が終業時間までに終わるのであれば、休憩はこまめに取る事も可能だ。だが、マリアはそんなに甘くない。配達員の力量を知り尽くしているマリアは少し無理をしなければ終わらない、絶妙な量を渡すのだ。
休憩はお昼に取るのがやっと。それも配達の道すがら軽食屋か屋台で済ませる事が多い。同僚達とは朝の出勤時しか会わない事が多かった。
「そうよ。今日はたまたま市場の配達があって、そこで配達先の人に会って一気に四通配達出来たんだ。おかげで少しだけゆっくり出来そう」
アンナは薄くそばかすが散った顔をほころばせ、嬉しそうに笑った。手にはこの広場で売られている人気の大きな揚げパンを持っている。数種類あるが、特にアンナは甘辛く味付けされた豆の煮物に少量の肉が入った揚げパンに目がないのだ。
「セリはまた残り物のパンなの?」
セリの手には硬いバケッドが握られている。
「揚げパン、美味しいわよ。一度食べてみたらいいのに」
はふはふと熱そうに頬張りながらアンナが揚げパンの屋台を指差した。広場には屋台がいくつも出ているが、昼時に一番人気なのはやはり揚げパン屋で、今も沢山の人が群がっている。セリはそれを見てゴクリと喉を鳴らした。
休憩時にはよく広場の噴水に腰掛けて昼食を取るが、揚げパンを買った事は無かった。売れ残りのパンを安く分けてもらっているので、いつもそれを切り分けて持ち歩いているのだ。
「いいわ。ドイルおじさんのパンは硬くなってからでも美味しいもん。……あ、でも今日は焼きたてのパンを買わなきゃ!」
「テオおじさんが帰って来るの? その手紙、おじさんから? だから嬉しそうだったのね」
アンナの目がセリの手元に落ちた。そこには流れるような美しい文字が綴られている。
「セリのおじさん、字がとても上手なのね! 私、こんなに綺麗な文字を書く男の人知らないわ!」
アンナは元々中流家庭の娘としてそれなりの教育を受けている。父親の事業の失敗でこうして働く事にはなったが、そんなアンナがテオの字を褒めるのだからセリは自分が褒められたようなくすぐったい気持ちになった。
テオの手は大きくて分厚い。そして剣を使う為タコが出来ておりゴツゴツしていた。だが、その手が綴る文字は滑らかで美しい。
テオは、セリの両親が亡くなったのと同じ病で声を失った。それからは文字がテオの意思表示の全てだ。そんなテオと話しをしたいが為にセリは一生懸命読み書きを覚えた。
下層階級の人間の中で読み書きが出来る者は少ない。そのお陰でセリはこうして早くから仕事に就く事も出来た。テオは、セリの全てだった。
(今夜は柔らかなパンと……そうだ。寒くなったし、温かな野菜スープも用意しよう!)
セリはアンナよりも一足早く食事を終えると、「さてと」と立ち上がった。