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2.迷い人

 まんまと邸を抜け出したセリは着慣れた冬用綿のワンピースを着て古ぼけたマントを翻し、下り坂を軽やかに駆けていた。

 肩にはくたびれた布のショルダーバッグ。靴も履きなれた配達屋時代の物で、今朝降り積もった雪の上でもものともしない。今年は暖冬と言われ、雪は降ってもうっすらと絹のようにうすく石畳を彩るだけで、時間が経つと消えてしまう。それが二月になり、やっと昨晩まとまった雪が降ったのである。

 久しぶりに踏みしめる雪の感触が嬉しい。セリには雪の日の楽しみがあった。

 その理由をダミアンに言ったらいい顔をしないだろう。ましてやエヴラールは泣いてしまうかもしれない。

(リリアは……まぁいいや。すぐに戻れば問題ないよね?)

 目的地に行くには、グレゴワールが用意してくれた服では目立つ。だがこの格好ではダミアンが邸から出してくれないだろう。ならば……。

 大体、働き者だったセリに邸で大人しく世話をされていろというのが間違いなのだ。セリは最近、あれこれと理由をつけては邸を抜け出すようになった。

 抜け道や隠れ部屋を見つけるのが上手だったセリは、シュヴァリエ家の中にも秘密の通路や隠し部屋を見つけていた。傷み方からして、補修作業中にも見つからなかったと思われる場所もあり、セリはそれらを上手に使い抜け出していたのだ。

「あ! あった!」

 広場につき、セリは露店を見渡して目的の店を見つけると嬉しそうに声を上げた。

 その露店は周りとは一風変わった店構えで、屋根の下のカウンターには雪が敷き詰められている。

 カウンターに立つ中年の女性の後ろには火が焚かれ、その上には琥珀色の液体が入った片手鍋が置かれていた。

 この日一番人気のこの露店には、老若男女問わずに沢山の人が群がっている。皆これを楽しみにしていたのだ。

 注文の列に並ぶと、セリは穴開き銅貨を一枚つまみ出して順番を待った。甘い香りが鼻腔をくすぐり、自然と笑顔になる。

 ようやくセリの順番になり、セリは店の女性に銅貨を渡した。

 銅貨を前掛けのポケットに仕舞いこんだ女性は、後ろの鍋を持ち上げ、カウンターに敷き詰めた雪の上に中の液体を流し入れた。熱い液体は雪で冷やされみるみるうちに固まっていく。女性は固まる寸前に綺麗に磨かれた木枝をそれに乗せると、小枝をクルクル回転させて琥珀色の物体を巻きつけた。

「はいよ」

「ありがとう!」

 小枝を大切そうに受け取ると、セリは列を離れて噴水の縁に座り込んだ。雪の今日、さすがに噴水の水は止められている。

 セリは小枝に巻きつけられた物に嬉しそうに口をつけた。

 タフィーと呼ばれるそのお菓子は、下級層地区での冬一番人気のお菓子だ。

 サトウカエデの樹液を煮詰めたものを、雪で固めるこのお菓子は雪がふんだんにないと食べる事が出来ない。セリはこの冬なかなかまとまった雪が降らないのでやきもきしながら待っていたのだ。

「おいしいーっ」

 先程まで火で熱せられていたサトウカエデの樹液は、表面は雪で冷やされているものの、中はまだ少し温かい。それは舌の上でとろけ、口の中いっぱいに甘さが広がる。

「あー、雪が降って本当に良かった」

 周りにも嬉しそうにタフィーを頬張る人が沢山いた。皆がこの雪を待ちわびていたのだろう。

 配達屋に居た頃、よく休憩をしたこの広場には今も見知った顔が沢山ある。懐かしいはずなのに、少し離れていただけでなぜか遠く感じるのは何故だろう。

 タフィーを食べ終え、小枝を露店に返しに行く。小枝はバケツの水で洗われ、またタフィーに使われるのだ。

 すると隣の露店から揚げ物のいい匂いがしてきた。

「あ、ここ……アンナが好きな揚げパンの露店だわ」

 配達員仲間だったアンナが美味しそうに食べていた事を思い出すと、セリのおなかがギュルっと鳴った。

「ええと……穴開き銅貨三枚か……どうしよう」

 グレゴワールは定期的に執事のダミアンにかなりのお金を渡しているようだ。学院に入学して一ヶ月が過ぎた。学院に必要な物は、全てその都度そこから支払われる。ドレスの仕立ても、毎日の食事も、新しいペンにノート、教科書――今まででは考えられない程贅沢な生活だ。だが、その世界にもどうしても慣れない。かといって、今までと同じでいられないのも分かっている。どちらの世界にいても違和感を感じてしまうのは、そんな思いからなのかもしれない。

「うん、食べてみよう!」

 思い切って揚げパン屋の行列に並んでみた。いきなりフルコースに慣れるなど無理だが、これ位なら許されるのではないか……ぐうぐうと空腹を主張するおなかを擦りながらそう言い訳して、セリは穴開き銅貨三枚と引き換えに、アンナお薦めの肉が少し入った豆の煮物の揚げパンを手に入れた。

 噴水に戻って揚げパンをはふはふ頬張っていると、懐かしい声が聞こえた。

「セリ! セリじゃない?」

 振り返ると、そこには同じ揚げパンを持ったアンナが居た。

「わぁ! アンナ! アンナは配達中?」

 アンナの肩には、愛用の皮のバッグがあり、配達用の手紙が詰まっている。

 楽しかった配達屋時代を思い出すと、自分の軽いショルダーバッグがなんだか寂しい。だが、セリのそんな気持ちを知らないアンナは大きな溜息をついた。

「そうなんだけど……正直、セリが辞めてから厳しいわ。今日も分からない場所が多くて、ひとまず後回しにしてお昼休憩に来たの」

 その言葉にセリがピクンと反応する。

「分からない場所?」

「そう。ええとね……こことか、こことか……ほら、ここも。これだって分からないわ」

 アンナのバッグからは沢山の手紙が出てきた。

「急ぎの手紙もあるの。今日中にってマリアに言われたんだけど、この辺りって自信がないのよ……」

 セリがうずうずしているのをアンナは気付いたようで、チラチラと視線を送ってくる。

「あ、アンナ? あたし、手伝おうか?」

「本当!? ありがとう!」

 セリも久しぶりの配達業にウキウキと気持ちが高鳴る。アンナが自信が無いと行っていた地域は中流階級でも入り組んだ地域だ。これは腕が鳴るというものだ。

 二人は急いで揚げパンを食べると、広場を後にした。


「ほら、ここよ。上に街灯があるのが目印よ。この路地を入ると、突き当たり右側にあるの」

「なるほど……街灯が目印なのね。気付かなかったわ。ありがとう! ほんと助かったわ。セリ本当に道に詳しいんだもの!」

「こんな風に、路地の入り口に特徴を見つけると簡単よ」

「セリのお邸も特徴があるの?」

「シュヴァリエ家は……そうね……あそこも分かり辛いものね……」

 アンナが苦手だという地域は、中流階級地域の一角なのだが、大きな邸と比較的小さな邸が混在している。更に増築で道が極端に入り組んでおり、路地の入り口も似通っていて覚えにくいのだ。そしてそれはシュヴァリエ家も同じだ。

 残りは一人でなんとかなるからと言うアンナと別れ、そろそろ邸に戻ろうとしたセリに、二人のやり取りを見ていた男が声を掛けた。

「もし、お嬢さん。道にとても詳しそうですね」

「え? ええ……まぁ。地元の人間ですから、たまたまですよ」

 以前道を教えてとんでもない事に巻き込まれたセリは、慎重に答える。

 だが、身綺麗にも関わらず、くたびれたマント姿のセリに向かって丁寧に帽子を脱いで挨拶する男の姿に、セリは早々に警戒心を解いた。

「友人が引越しましてね。この度招待を受けて訊ねてきたんですが、場所が分からないんです。ここなんですが……」

 男は住所が書かれた紙をセリに見せた。今居る場所から遠くは無い。男を案内してからでもそんなに遅くはならなさそうだ。

「分かり辛いですけど、すぐ近くですよ。案内します」

 その言葉に、男は安心したように微笑み、丁寧にお礼を言った。

 


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