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1.使用人の苦労

 それはセリが学院の生徒になって一ヶ月が過ぎた、二月のあるとても寒い休日の事だった。

 セリ付きのメイドであるリリア・ドバリーがセリの部屋の前に立ち、軽くノックした。

「お嬢さま、間もなく昼食のお時間でございます。本日はグレゴワール様もお越しでございますので、お着替えをお手伝い致します」

 グレゴワールが訊ねてきた時の食事はとても豪勢なメニューになる為、リリアの声もついつい弾んだものになる。

 平民とはいえ、公爵家が後見についている家だ。使用人が食事に同席する事はないが、使用人の食事の豪華度も主人の食事が反映されるのである。

 数人のメイドと料理人、執事を雇える家だ。しかも雇い主である公爵は姪のセリーヌをとても可愛がっており、文字通り『金に糸目はつけない』の勢いそのままに、一流の料理人をシュヴァリエ家に派遣した。

 その彼は、今や日々を泣いて過ごしているのではないかという落ち込みようである。

 なにせ新しい主人、セリーヌ・シュヴァリエは恐ろしい程の少食でドケチなのだ。

 リリアも中流階級の平民出身で、奇跡的にデュアイン公爵家に見習いメイドとして雇われた身の上。贅沢などは無縁であった為、ケチにも少食にもそれなりに耐性はあった。

 だが今の主人は酷すぎる。朝食で出されたオムレツと、数種類の焼きたてパン、スープに厚切りハムに瑞々しいサラダ、生ジュースを一日分の食事だと思い、いそいそと取り分け始めたのである。

「あの……お嬢さま、一体何をしておいでなのです……?」

 シェフのエヴラール・ブロンデルは自身の手で皿に盛り付けた芸術的な朝食をテキパキ解体し、取り分けていく姿に驚き、ついつい口をはさんでしまった。まだ一口も主人の口に入っていないのである。主人の行動を疑問に思うのは仕方が無い。

「え? お昼の分と、夜の分に分けているの」

 当然のようにそう答えるセリーヌの言葉にエヴラールは驚き、悲鳴をあげた。全てが今食べる分だと言うと今度はセリーヌが驚いた。

「これ? 全部!?」

 テーブルの上に広げられた豪華な朝食を信じられない思いで見つめる。

「……何人分?」

「お嬢さまお一人の分でございます」

 エヴラールを可哀相に思ったのか、執事のダミアン・オジェが助け舟を出したが、セリは納得がいかないようだった。

「全部、あたしの朝ごはん?」

「左様で御座います。昼食の分も夕食の分も、別に材料が御座います。食べきれぬ物は残していただいて結構ですので、取り分けるのはやめてどうぞお食べください」

 シュヴァリエ家が補修工事中、公爵邸に滞在していたセリは、勿論毎日毎食の豪華な食事を目の当たりにしてきた。だが、それはあくまでも名門の公爵家だからこそ。グレゴワールという主人が居てこその光景だと思っていた。自分のような未成年の少女に仕えるというのも受け入れがたかったのに、お姫様のような朝食まで……なんて……なんて勿体無い!

 ダミアンとエヴラールの説得で、やっと二つのパンとオムレツを半分、サラダを少しと生ジュースを飲んだのだが、セリは残りの朝食はお昼に食べるから新しく作らなくて良いと言った。

 小国だが外国の宮殿で王族相手に料理の腕を振るってきたエヴラールは半泣き状態である。大国グランフェルトの公爵に誘われ、グランフェルトに夢を持ってやってきたというのに、新しい主人はシンプルな朝食ですら充分一日分の食事になると言うのだ。これでは腕のふるいようが無い。

 以降も、新たに出された焼きたての柔らかなパンに驚き、昨晩の残りはどうしたと青ざめて聞く。紅茶の茶葉を捨てると涙を浮かべて抗議する。絞りたての果実ジュースに感涙したと思えば、次の瞬間果物の皮をもらいたいと懇願するのだ。怪訝な顔をしながらもエヴラールが皮を渡すと、セリーヌは嬉々としてそれを切り刻み、使い古された綿の布きれに集めてぎゅうっと絞り――靴を磨き始めた。

「汚れも取れるし、艶が戻るのよ! 果物屋でも滅多にもらえなかったの。捨てるなんてあり得ないわ!」

 そう力説するセリーヌに、リリアも、さすがのダミアンも戸惑った。

 そしてシュヴァリエ家の食卓はすっかり地味になってしまったのである。それには皆、肩を落とした。主人より良い料理が使用人に出されるはずもなく……楽しいはずの食事の席が虚しいものになってしまったのだ。

 アンリがセリーヌを説得して、オムレツとサラダをつける事に同意はしてくれたものの……それでも公爵家時代の使用人の食事には遠く及ばない。しかもそれではいくら一流の料理人、エヴラールであっても、そうそうメニューに工夫が出来ないではないか。完全の宝の持ち腐れである。

 だが、今日は違う! 後見人である大金持ちのグレゴワール・デュアイン公爵がやって来るのだ! それをダミアンが使用人一同に告げた時、皆の顔が笑顔になった。普段は厳しいメイド頭のエレオノール・ダントンも、清掃担当のメイド、クラリス・ファロもだ。中でもエヴラールなどは泣いて喜んだ。それをアンリが苦笑しながら見ている。

「では、その日は子羊の肉を仕入れても宜しいのですか? ああ、それとも牛肉に致しましょうか? トリュフソースもご用意したいですね……。ダシを取るためだけに鍋いっぱいに野菜を使ってもお嬢さまは嫌な顔をなさいませんよね? そうだ、デザートのご用意も! 珍しい果物も取り寄せましょう!」

 興奮気味にまくしたてるエヴラールに、いつもなら「冷静に」と指導するダミアンもこの日ばかりは小言を言う事無く、喜色満面に頷いた。

 使用人一同、喉がゴクリと鳴った。それもダミアンは知らぬ振りをした。食べる事が大好きなダミアンの太鼓腹は、シュヴァリエ家に来てからというもの寂しく萎んでしまったのである。ブカブカになってしまったズボンをサスペンダーで下がらないように調節しているが、その姿はなんとも物悲しい。

 とにかくグレゴワールがやって来るという事はそれ程、この邸では重要な事なのだ。

 主人のセリーヌも、グレゴワールが来る日に使用人が異様に張り切るのは知っている。セリーヌはセリーヌで普段から使用人に世話をしてもらうのが苦手な分、グレゴワールの来訪を有難いと思っているようだ。

 だが、わざわざその為に着替える必要があるのか、という点には納得がいかないらしい。

 今日のグレゴワール来訪の用事は、昼食の後に仕立て屋を呼び新しいドレスを作らせるのが目的だった。それを知ったらセリーヌは苦い顔をするだろう……なにせ公爵邸でセリーヌは嫌という程様々なタイプ、様々な色合いのドレスを作られ、仕立て人を見るだけで溜息をつくようになってしまったのだ。

 今日も溜息をつくかしら……そう思いながら、再び部屋をノックしたリリアは辛抱強く返事を待った。

「お嬢さま?」

 二度目のノックにも反応が無い。リリアは真っ青になり、ドアを開けた。

 案の定、部屋の中には誰もいない。続き部屋になっている寝室にもノックなしで突進するも、やはりそこにもセリーヌの姿は無い。室内を見渡したリリアの目に、セリーヌが午前中まで来ていた濃紺のドレスが脱ぎ捨てられているのが目に入り、リリアは慌てて部屋を飛び出し駆け出した。

「お嬢さまが! どうしよう……ダミアンさん! ダミアンさーん! またお嬢さまが脱走しました!」

 その声がダミアンの耳に届くと、ダミアンは「またですか……」と深い溜息をついた。

 新しい主人は最近よく邸を抜け出す。リリアを始めエレオノールとクラリスにも気をつけるよう言ってはいるのだが、セリーヌはどこからかするりと抜け出してしまうのだ。

 アンリは、セリーヌを捕まえておく事は無理だと言う。長年セリーヌと一緒だったアンリが言う事だ。ダミアンは胸ポケットの懐中時計を確認すると、グレゴワールとの昼食に間に合うよう祈った。


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