23.未来へ
急いでビコロール商会に戻ったセリを待っていたのは、グレゴワールの提案だった。
そこには既にテオの姿は無く、生々しい血痕だけが残っていた。二人に付き添って来ていたコニーの姿も見えない。
「私は君を養子に迎えたいと思っているんだ。聞けばセリーヌ。君は王宮学院を目指していると言うじゃないか。今から手続きすれば間に合う。すぐ入学の手続きをしよう」
「あたし、テオ……ううん。アンリおじさんと暮らしたいです」
その言葉にグレゴワールは傷ついたような表情を見せた。
「あの男は……妹を守れなかっただけじゃなく、主人である私を裏切って君を誘拐したんだよ? 到底赦せる行為ではない!」
「それは、違うと思うんです。おじさんはあたしを愛してくれました。あたしもおじさんを愛してます。きっと、大事だから自分の手で守ろうとしてくれたんだと思うんです!」
思い切ってそう話すと、自分によく似た金色の瞳がじっと見詰めるのを、セリは視線を逸らす事なく受け止めた。
「……困ったね。君は、頑固なところもミレーヌにそっくりだ。無理にこちらの話を押し通したらミレーヌのように逃げてしまうだろうか……。――さて、姉上……いかが致しましょう」
「え?」
吹き抜けになった二階のバルコニーの暗がりから豪華なドレスを着た女性が現れた。
明るい茶色の髪は複雑に編み上げされ、真っ赤な宝石が散りばめられている。その色にあった赤いドレスはレースがふんだんに使われており、髪飾りと同じように宝石で飾られており見るからに重そうだ。
肌は陶器のように滑らかで白い。アレクシスのエスコートで階段を降りる姿は優雅で、セリはその美しさと存在感に圧倒され、口をぽかんとさせた。
「母上、こちらの少女が行方不明になっておりました、セリーヌ・シュバリエ嬢でございます」
(アレクが母上と呼ぶって事は……この方が王妃様!?)
足音も立てず、流れるような動きでセリの目の前までやって来るのを、セリはただただ呆けたように見詰めていた。
「セリーヌ……。会いたかったわ! まぁ、ミレーヌの幼い頃にそっくり!」
「え? あ、あの……」
「私、あなたの伯母よ。クローディーヌ伯母様と呼んでちょうだい?」
やはり金色の瞳を持つ王妃はその瞳を涙で潤ませ、セリの手を包んできた。
「でも、あの……」
「あなたがアンリの愛情をたっぷり受けて育てられたのは分かったわ。でもね? 私達はあなたの本当の家族なのよ? 私達はあなたを育て、成長を見守るという当然の権利となによりの楽しみを突然奪われてとても苦しんだの……そんな残された家族の思いは理解してはもらえないかしら?」
「いえ……あの、とても有難いです……けど」
セリは困ってしまった。なんだか話は厄介な方に向かっているような気がする。
なにしろ、セリは昨日まで家族はテオ……もとい、アンリだけだと思っていたのだ。そこに突然沢山の親族が現れるなど、誰が想像するだろうか。
どう反応したらいいのか戸惑い、王妃の横に立つアレクシスに視線を向けるが、セリの視線に気付いているはずなのに、アレクシスは知らん振りを貫くつもりらしい。
「まぁ、分かってくださる? では、養子とまではいかずとも、せめてミレーヌの娘としてシュヴァリエ家の姓を名乗ってくださらない? それなら私、グレゴワールにも後見人になる事で我慢するよう責任持って説得致しますわ。それとも……本当の母の名など、今のセリーヌには要らないものかしら……」
髪飾りとおそろいの赤い宝石の指輪が輝く、傷一つない白く滑らかな手が両手をぎゅっと強く包み込む。涙ながらに訴えられ、セリは「い、要らなくないです……」と思い切り首を横に振るしかなかった。
母の押しの強さと人を手玉に取る手腕にアレクシスはセリに心から同情した。
結果、テオ改めアンリと一緒に住む事は許されたが、名前を本名のセリーヌ・シュヴァリエに戻し、住まいをビコロール商会の隣にあるシュヴァリエ家に移す事、後見人をグレゴワール・デュアイン公爵が務め、アンリはあくまでもセリの世話人兼用心棒となる事が決まったようだ。
満足気に微笑み、最後にセリを思い切り抱き締めて出て行ったクローディーヌ王妃とグレゴワール公爵を見送ると、セリは力が抜けたように近くの椅子に座り込んだ。
そこにすぐに温かな紅茶が運ばれてきた。
すぐ隣に腰掛けたエリオットが、セリの手に慎重にカップを持たせる。
「さ、まずは飲んで落ち着こう?」
セリはその言葉にコクリと素直に頷くと、ふわんと鼻腔をくすぐる花の香りがする紅茶に口をつけた。蜂蜜が入れられたほのかに甘い紅茶はとろん、とセリの喉を通り、凝り固まった肩からふにゃりと力が抜けるのを感じる。
「ふぅ……」
「落ち着いた?」
「……うん……。少し」
随分と喉が渇いていたらしい。セリは再びカップに口をつけ、こくり、こくりとゆっくり琥珀色の液体を喉に流し込んだ。アレクシスとエリオットはそれをじっと見守っている。
「父上がアンリに厳しい対応をしたけれど……ごめんね? でも、父上の気持ちも分かって欲しいんだ」
実行犯は捕まえられたが、黒幕はおろかアドリエンヌにすら辿り着けなかった。王妃である姉を守る事は出来たが、大切な妹を犠牲にしてしまった。
二大公爵と言われていた自分が妹一人守る事が出来ず、オクタヴィアンの尻尾を捕まえる事も出来ないなど、あるはずが無かった。心身ともにボロボロの状態で邸に戻ったグレゴワールを待っていたのは、信頼していた部下のアンリが小さな小さなセリーヌを攫って行方をくらましたという最悪の報せだった――。
グレゴワールは自分を酷く責めたという。自分の力を過信し多くのものを失った。全て自分の責任だと自分を追い詰めていった。そんなグレゴワールを支えたのはある別の報せだった。
「実はアンリは東のフォーリッジの伯爵家の三男でね。あぁ、そんなに驚かないで。既に彼の長兄が後を継いでいるんだけれど、現当主は領地を離れる事は少ないんだ。だけどあちこちの門で伯爵家の紋章を使って王都を出入りしている人間が居る事が分かってね。もしかしたらアンリがまだ王都に居て、彼なりに何かを調べているかもしれないと父上の方に報告があったんだ。それで、アンリの事も調べていた。まさか……塩の事件がきっかけでアンリもセリーヌも見つかるとは思わなかったけれど」
「おじさんはどこ? あんなに酷い傷を負ったのに、どこに行ったの?」
ビコロール商会に戻ってきてからというもの、姿を見ないアンリが心配だ。セリは不安げに聞いた。
「彼は大丈夫。公爵も最初は許すつもりは無かっただろうが……君に嫌われるのも嫌だろうしね。別室で応急手当をしていたんだよ。今は公爵が連れ帰っただろう。まずは空白の十五年を彼らなりに埋めたいだろうしね。君の事も、落ち着いたら公爵家に連れ帰るように言われている」
「こ、公爵家に!? どうして?」
「シュヴァリエ家は長く主が居なくて随分と荒れてしまったからね。補修が必要なんだ。それまでは公爵家に滞在して欲しい。アンリも居るし、公爵が後見についたと世間に広まると、今のあの家では警備が甘すぎて危険だ」
先程王妃と話した事も頭では理解しているつもりでも、めまぐるしく変化する環境にセリ自身ついていけなかった。
「今までと……随分変わってしまうの? コニーさんにマリア、ドイルおじさんのパンとか――。あ、配達屋も出来なくなっちゃう?」
セリの焦りようにアレクシスは苦笑を洩らした。
「普通、セリ位の年頃の女の子は働かずに楽したいと考えると思うんだけどね」
「なぜ? 楽しいのに。それに働かないって、思ったより早く学院の試験を受けられるのは嬉しいけど、受かったとして通えるのは来年になってからだわ。それまで何をしてろって言うの?」
「大抵の子は……そうだね。流行のデザインのドレスを新調したり、それに似合う宝石を作ったり、ダンスを習ったり、茶会を開いたり……それなりに忙しくしているみたいだけど?」
エリオットはさも当然のように言うが、セリにしてみれば鳥肌の立つ思いだった。
「やだ! 消費するだけ? 貯蓄は?」
微妙に噛み合わない二人のやり取りを聞いてアレクシスは肩を震わせて笑っていた。
「貴方がこんな風に笑うのも珍しいですね」
つられてエリオットも笑う。
ここ数日でセリの人生はガラリと変わってしまった。辛く、悲しい事実もあったが、得たものも大きかった。
自分によく似た金色の瞳を持つ伯父さんと、伯母さん。そして――。
まだ笑いあっている二人を見て、セリの心はほんの少し温かくなった。
(従兄、なんだ……。ビコロール商会はお隣だし、また会えるって事よね?)
住まいは変わるがおじさんと暮らせる。学院に入るまでは《ことり》で働かせてもらおう……自分に言い聞かせるようにしてセリは、うんうん。と頷いた。




