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幽霊王子のお抱え案内人(ガイド)  作者: 雪夏ミエル(Miel)
幽霊王子と配達屋の少女
22/34

22.マリアの想い

 その頃、マリアは《ことり》の中の隠し部屋で小さな袋を手にほくそ笑んでいた。

 隠し部屋にはマリアの好きな物が詰め込まれている。高価な家具に高価な絵画、ちびちび飲んでいる果実酒。そんな中でも、庶民には手が出せない高級菓子をこっそりこの隠し部屋で、好きな物に囲まれながら食べるのがマリアの至福のひと時だった。

 大きな手を袋に突っ込むと、中から大切そうに小さな焼き菓子を取り出す。

 上流階級御用達の菓子屋は、たとえマリアの商売が軌道に乗っているとはいえなかなか口に出来るものではない。

 宝石のようなその小さな焼き菓子を口に運ぶその瞬間に、マリアはたまらない高揚感を得る。夢の世界へと誘うその最初の一口目が何よりが大切なのだ。

 ややもったいぶった仕草で焼き菓子をつまんだ手を口元まで上げ、大きく口を開けたその時――。

「マリア!!」

「ぎゃっ!!」

 突然ドアがバタンと大きな音を立てて開き、マリアは飛び上がらんばかりに驚いた。手にしていた焼き菓子は驚いた衝撃で指で破壊し、無残に割れたそれは小さな欠片となりパラパラと床に散らばった。

「ぎゃー!! 夢のお菓子が!! なんて事! あのねぇ、セリ!! あんたって子は!!」

 セリに特大の雷を落とすべく振り返ったマリアは、ドアに立ち尽くすセリの形相に勢いを削がれてしまった。その異様な様子に、足元に落ちた大切な焼き菓子の存在も忘れ、慌ててドスドスと駆け寄る。

「ちょ、ちょっと! どうしたんだい!? あぁ、もう! 無くか鼻水垂らすかどっちかにおし! 顔がぐしゃぐしゃじゃないか! ほら!」

 マリアは身に着けていた前掛けでセリの顔を乱暴な手付きで拭うと、そのまま鼻をかませて無理矢理椅子に座らせた。

「セリ、一体どうしたんだい? テオと何かあったのかい?」

 すると、引っ込んだばかりの涙がまた溢れてくる。マリアはまた前掛けで拭うと、言葉を詰まらせながら話すセリの話を根気強く聞いた。

 全てを話して、ふぅっと大きく息を吐いたセリを、マリアは思い切り笑い飛ばした。

「バカだねぇ、あんた」

「ま、マリア、笑い事じゃないんだけど……」

「テオの気持ちだなんて、あんた、そんな事も分かんないのかい。テオが家族からあんたを奪ったって? テオにとっちゃ、あんただけが家族であんただけが宝物なんだよ。本当とか嘘とか、そんな事は知らないけどね。今までテオから受けた愛情を疑うのはよしな。それとも何かい。テオは喋れないから分からないとでも言うのかい?」

「う……それは……」

 言葉が返せなくて唇を噛み締めたセリを、マリアはぎゅっと抱き締めた。

「あんたは三歳になったっていうのに、寝る時なかなかおしめが取れなくてね。お尻がかぶれただけで夜中にうちのドアを蹴破って助けを求めに来たよ。あんたが初めて文字を書いた日は嬉しそうに上着の内ポケットに入れてしょっちゅう見せびらかしてたね。あれ、まだ持ってるんじゃないかい? ああ、そうそう。あんたに初潮がきた時なんてさ、泣きながら栄養のつくスープの作り方を聞きに来たよ。あんたに必要だった家族が、そのお貴族様なのかテオなのか、あたしには分からないさ。でも、あんたはテオじゃ嫌だったかい?」

 マリアの豊かな胸に顔を埋めながら、セリは一生懸命首を横に振った。

 決して嫌では無かった。セリはテオが笑顔で頭を撫でてくれるのが嬉しくて勉強も頑張れたのだ。

「……テオがさ、何であんたを攫ったか本当のところは分からない。でもね、テオはあんたの母さんを心から愛してた。そして勿論、あんたの事もね。それは本当だ。間違いないよ」

「うん……ありがと……」

 マリアがゆっくり腕を解くと、セリはまだしゃくりあげていたが、その目には力が戻っていた。

「大事なのはさ、こんな話を知ってもセリがまだテオを好きかどうかじゃないのかい? これっきりで離れてしまって、テオと会えなくなってもいいのかい?」

 マリアの言葉にセリは弾かれたように顔を上げた。

「嫌っ! 嫌だ……」

「なら、すぐにテオの所に戻りな。テオを救えるのはあんただけだろう。あんたが逃げたままだと、テオは公爵の姪を攫った誘拐犯になっちまう」

「嫌だ!!」

「じゃあ、行きな」

 その言葉に力強く頷き、部屋を出ようとしたセリがドアのところで振り返った。

「あたし、今のマリアの方がうんと綺麗だと思うわ」

 照れくさそうに笑うと、セリは来た時の勢いそのまま大きな音を立ててドアを閉めた。

 そのはずみで隅の棚から古ぼけた箱が落ちた。

 落ちた勢いで蓋が外れコロコロと床を転がる。

 その中から、一見して高級だと分かる金髪の男の子の人形がコロンと出てきた。くるくるとカールした金色の髪に青く大きなガラス玉の目を持つ男の子は桜色の唇の口角を上げてこちらを見ている。滑らかなシルクのシャツに、袖には高級なレース。皮製の編み上げのブーツという出で立ちは人形にさせるには勿体無い程の服装だ。

 マリアは、よっこいしょ。と呟くと人形を手に取った。そっと抱き締め、背中を撫でると、滑らかなはずのシルクの感触とは違う、かさついた手触りを手の平に感じる。人形の背中には一面、黒ずんだ汚れがついていた。そのまま指を移動させ、ブーツの底を撫でる。靴裏には見事な金糸で刺繍が施されていた。それは、幻の鳥リューシスが大きく羽根を広げた名門貴族の紋章だった。

 それを見て、マリアの脳裏にはあの日の出来事が鮮明に甦った。

 雨の中、店の前で雨宿りしていた男を追い出そうとして外に出て行ったのがテオとセリとの出会いだった。

 胸に抱いた小さな女の子と、その女の子が大事そうに抱えていた人形は血まみれだった。驚いて問いただすと、話そうとする男の口からは次から次へと血が出てくる。

 必死だった。

 売れっ子娼婦だったマリアにとって、それまで男は利用するものだったが、テオは初めて助けたいと思った存在だった。

 それからの行動は早かった。オーナーの留守をいい事に店の浴室に押し込み、雨で濡れた体を温めると空き部屋に押し込んで馴染みの医者を呼んだ。診察中に、一階の住人を捜していた昔馴染みのコニーに事情を説明し、仕事の世話を頼んだ。

 その後、二人の様子が気になったマリアは拘束時間の長い娼婦の世界から足を洗い、猛勉強して王宮学院に通った。そのストレスからよく食べるようになり身体はぶくぶく太って、寄って来る男は居なくなったがかえって清々した。それよりもテオとセリが笑うようになった事が嬉しかった。

 これが恋なのだとコニーから指摘され、何度もテオに想いを伝えようとした。だが、テオのマントのポケットから高価なペンと小さく折りたたまれた母娘の肖像画のデッサンを見て、彼がセリの母親を愛しているのだと知り、それからは二人を支える事だけを考えて生きてきた。

 その時はセリがどうして母親から引き離されたのかを知る事は無かったが――あの日、二人に出会ったあの日に殺されてしまったのか……傍に居ても助ける事が出来ず、テオは絶望した事だろう。そんな絶望の深い闇の中、彼が見つけた唯一の光がセリだったに違いない。その時の彼にしてみれば、主人ですら愛する人を危険に陥れた敵に思えたのかもしれない。彼は、セリを攫ったのではない。セリを、守りたかったのだ。彼なりのやり方で……。推測でしか無いが、マリアには分かる気がした。

 マリアは部屋の壁の大部分を占めている絵画を眺めた。

 好きな物に囲まれた隠し部屋の中でも一際目を引くのが壁に掛けられた大きな肖像画だ。

 描かれている美女の絵。モデルは昔のマリアだ。魅惑的な丸い胸に細くくびれた腰、ドレスの上からでも女性的なラインが分かるお尻。蠱惑的な笑みを浮かべる真っ赤な唇と自信たっぷりの視線――。

「あたしも先に進まなきゃ駄目だね。うちの《ことり》も巣立つ覚悟が出来たようだしね……」

 マリアは人形を箱に戻し、しっかりと蓋をすると、手に取ったペーパーナイフで一気に絵を切り裂いた。

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