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幽霊王子のお抱え案内人(ガイド)  作者: 雪夏ミエル(Miel)
幽霊王子と配達屋の少女
21/34

21.記憶の箱

 テオが屈まずとも通れる大きなドアをノックすると、静かにドアは開かれた。初めて見るふくよかな体型の中年の女性だが、テオを知っているのだろう。ほんの一瞬、見上げた視線をテオに留めると、静かに奥へと三人を案内した。

 重厚なドアが閉められると、窓の無い一階は一気に暗くなり、一瞬セリの視界がぼんやりした。

 コツン、と音がして、そちらに視線を向けると、窓際にある灯石のゆらゆら揺れ動く灯りに照らされ、影が浮かび上がった。

 隣でテオがヒュッと鋭く息を飲んだのが聞こえたと思ったら、テオは即座にその場に跪いた。

「セリーヌ……」

 どこか甘さのある低音のアレクシスでもなく、少年ぽさが残るエリオットでも、ましてや少ししわがれたセドリックの声でも無い。

 存在感のある渋い声が発した言葉に、セリは首を傾げた。セリーヌとは、誰だろう……でも、いつかどこかで聞いたような、そんな懐かしい響きだった。

 コツン。静かな室内に、まだ硬質の音が響いた。

 それが目の前の男性が持つステッキが、磨き上げられた床を打つ音だと気付いた時には室内の暗さにも慣れ、声の主の容貌がはっきりと見て取れた。

 自分とよく似た榛色の瞳が、灯石の灯りで金色に揺れながらセリをじっと見詰めている。

 その金の瞳とうっすらと涙を浮かべた温かな眼差しに、セリは懐かしさが込み上げ、奥底に押しやられていた記憶の箱が開いた気がした。

 そこから何かが飛び出して体中を駆け巡る。指先の冷たさとは対照的に、喉がキュウッと熱くなり、ぶわり。と涙が浮かんだ。

(何? だ、誰?)

「おいで……セリーヌ。私だ。君の“本当の”伯父さんだよ」

 その言葉が記憶の箱の中身を少し鮮明にする。

 いつか見た景色――暖かな部屋――ふわふわのクッション――バターが香る焼き菓子――差し出される大きなプレゼント――箱を持つのは、濃い茶色の豊かな髪を後ろに撫で付けた金色の目を持つ優しい伯父さん……。

 断片的な絵が次々頭の中で繋がる。

「おじ、さ……ま?」

 知らず声に出していた言葉に、目の前の“伯父さん”は一層笑みを深めた。

「そうだ。グレゴワール伯父さんと呼んでおくれ。セリーヌ、お前が昨晩聞いた話はひどくお前を混乱させたろう……すまない」

 すぐ傍に来ていたグレゴワールにそっと頬を撫でられ、いつの間にか流れ出していた涙をそっと拭き取る。その指は優しく、温かい。

 涙は次から次へと溢れ出す。悲しいのか、嬉しいのか、その涙の理由は自分でも分からなかった。

「セリーヌ……って、誰? あたしの事?」

「そうだよ。君の名前はセリーヌだ。私の実の妹、ミレーヌがつけた名前だ。――昨日アレクシス殿下とエリオットは全てを話せなかったそうだね。私が全てを話そう」


 昨晩聞いた話だけでもセリの頭を混乱させるには充分だったが、グレゴワールの話はセリに更なる衝撃を与えた。

 セリの母親であるミレーヌは、デュアイン公爵家の末娘で貴族の婚約者が居た。だが、王宮学院在学中にセリの父である王宮学院教授のユリウス・シュヴァリエと恋に落ち、当時既に当主となっていた兄グレゴワールの反対を押し切って駆け落ちし、平民になっていた。

 シュヴァリエ家の邸は、なんと今ビコロール商会がある建物を囲むように建っている一際大きな古い煉瓦造りの、あの邸だった。

 ミレーヌの婚約は当然解消となり、勘当同然だったミレーヌだったが、元より家族全員の愛情を一身に受けていたミレーヌだ。いつまでも締め出しておくはずもなく、公爵家はシュヴァリエ家に娘のセリーヌが生まれた頃にミレーヌとユリウスの婚姻を認めている。その為、セリ自身も幼い頃に従兄にあたるアレクシスやエリオットとは既に会っていたというのだ。

 それからの数年は穏やかに過ぎていった。

 平民ながらも父親は安定した職を持ち、時折伯父も従兄も訊ねてきてくれ大層セリを甘やかしたのだという。

 それが崩れたのが十五年前だ――セリはまだ三歳になっておらず、エリオットは四歳……アレクシスはまもなく五歳になろうとしていた。

 王宮で王妃殺害未遂事件が起こり、悩んだ国王陛下はふと、ある事を思い出し口にする。「王妃には、とてもよく似た妹が居たな」と……。

 毒見係のカップにほんの少し残っていた異国の紅茶から、毒は特定されていた。あとは誰がその毒を所持しているか……毒見係が立て続けに二人も毒に倒れた今、犯人も強硬手段には出ないだろうと思われた。

 身代わりとしてミレーヌが王宮にやって来たが、よく似ているとはいえそれでも違いはある。少し低い背丈、王妃よりも短い髪、短い爪、幾分ほっそりした顔……それらを誤魔化すために、王妃は心労の為ベッドに伏せている、とされた。

 ベッドに居れば身長も、いつもと少し違う雰囲気も誤魔化せる。なにより、王妃として人前に出ずに済む。だからミレーヌ自身にも危険は無い。寝室に運ばれる物も出入りする人間も、全て徹底的に調べる。そう国王は約束した。それなら、と王妃はしぶしぶ頷き、ミレーヌと入れ替わったのだった。

 だが、事件は起こってしまった。


 セリの記憶の箱の蓋がまた少しずれて中身がするり、と出てきて形を作る。

 時折遊びに来る綺麗な従兄達――。

 ある日を境に、突然優しい従兄達は遊びに来なくなった。従兄だけではない。伯父も、そして母も家に戻らなくなってしまった。

 母が帰らない代わりに、母によく似た女性がやって来た。だが、その女性は何人もの大人に囲まれ甘える事が出来ない。母と同じ笑顔でセリを気遣う素振りは見せるが、他の大人は二人が接するのをあまり許してはくれなかった。

 そこから突然頭の中で映像が変わる。

 母とよく似た女性が泣いている。父はセリを部屋に閉じ込めて出て行った。外から沢山物音がする。セリは大好きな人形を抱き締めて父と母の帰りを待った。

 だが、やって来たのは、伯父さんと一緒にやって来ては時々遊んでくれた体の大きな男の人だった。――テオだ。

 いつも見せてくれた穏やかな笑顔は無く、顔は青く汗でべっとりと濡れている。

 テオがセリに手を伸ばし、何か言おうと口を開いた。だが、そこから言葉は出てこない。代わりにゴポリ、と出てきたのは、真っ赤な血だった――。


 グレゴワールの話が引き金となり、セリの中に眠っていた記憶も断片的ではあるが甦ってきていた。

「おじさん……どうして……」

 跪いたままのテオに問いかける。が、その言葉を遮ったのはグレゴワールだった。

「セリーヌ! その男は私達からお前を奪ったんだ! 私達はあの後、血眼になってお前を捜したよ。愛する妹、ミレーヌが遺した大事な大事な宝物だ。ミレーヌの最期の言葉もお前を案じるものだった。それを……それを、アンリが奪ったのだ!!」

 すると、勢いよくテオの前に回り込み、その勢いのままにグレゴワールはステッキをテオに振り下ろした。

「きゃっ!」

 掠めるように顔を打ったステッキは、テオの頬の肉を抉り、床に血がポタポタと流れ落ちた。

「おじさん!」

 思わず駆け寄ろうとするセリを、グレゴワールが強い言葉で制した。

「セリーヌ! お前から本当の家族を奪った男だぞ!」

 その言葉に、セリの足が止まった。

 今までテオを唯一の家族だと思って疑わなかった。テオと一緒に暮らす為なら、貧乏でも働きづめになるのも厭わなかった。

 それが、全て作り物だったというのか――。

 視線の先で、右頬を血だらけにしたテオがセリを見上げている。

 セリは混乱した。まだテオを信じたい気持ちと、でも思い出してしまった断片的な記憶……よく似た二人の女性。同じ金の目を持つ伯父。セリを攫うように強く手を引いた鬼のような形相のテオ……それらが交錯する。

 強烈に渦巻く感情に押しつぶされそうになり、全てから逃れたくてセリは外に飛び出した。

「セリ!」

 部屋の片隅でやり取りを見守っていたアレクシスとエリオットが慌ててセリを追うが、誰よりも道に詳しいセリだ。その姿はあっという間に細い路地の先に消えた――。

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