17.消えた荷馬車
小さな村では馬を三頭調達するのも至難の業だった。しかも返しに来れない為南門に預けると言うと、店主達は一様にいい顔を見せなかった。
それでもなんとか二頭の馬を借りる事が出来、どちらに乗ろうかとセリが一瞬躊躇すると、当然のようにアレクシスから手が差し伸べられた。
「えっ……」
「早く手を。道案内を頼む」
「セリちゃん。荷物は僕が背負うよ」
急いで荷物を背中から下ろすと、荷物はすぐにエリオットが手に取った。そのまま馬に軽やかに乗ったエリオットを見てセリはアレクシスに手を伸ばすと、一気に引き上げられてあっという間にセリはアレクシスの腕の中に収まった。
(うう……昨日からなんでこんなに密着すんの……)
背中にアレクシスのぬくもりを否応無しに感じ、セリは頬が熱くなるのが分かったが、無理矢理思考を現実に戻した。
が、その努力をしらないアレクシスはセリにとんでもない爆弾を落としてくる。
「痩せすぎじゃないか?」
「え?」
頭上から降り注ぐ柔らかな低音と、その度に耳をくすぐる吐息にすぐに意識はアレクシスに向いてしまう。
「昨日も思ったんだが、痩せすぎじゃないか? でもまぁ……抱き心地は悪くない」
「げふっ! ゴホッ!」
思わずセリは咳き込み、苦しそうに胸を叩いた。
「どうした?」
「い、いえ……。何でも無いデス……」
馬の走る速度が上がり、冬の近さを感じさせる冷たい風がどんどん火照っていくセリの頬を優しく撫でていった。
* * *
「くそ……。見失ったか」
「バレないように、街道を避けたのがいけなかったでしょうか……」
あの後、目撃情報を頼りに南門に向かったが、一泊目の宿屋を出たところでその足取りは途絶えてしまった。街道は一本しか無く、セリ達は追跡がばれないように細くうねる森の中の道を選んで進んでいたのだが、それが裏目に出たようだった。
「仕方ない。見つかってしまっては元も子もないからな。元々、塩の出処とアジトを特定するだけの調査だ。欲張っては失敗する」
「でもあの量の荷物だもの。荷馬車もそんなに速くは走れないはずよ」
「あの馬車のままならね。村の道は細いからあんなに小さな荷馬車だったけど、街道に出て乗り換えたとしたら、馬車を特定するのは難しいかもしれないね」
「……そうね。あの大柄な男が乗っていたら乗り換えていても目立つと思うんだけど……」
翌日には進む道を街道に戻し、食堂などで居合わせた商人に聞いても不思議と荷馬車も、大柄な男も見ていないと言われ、三人は肩を落とした。
南門に着いた時、既にあたりは夕暮の赤い光に照らされていた。
馬を近くの貸し馬屋に預け、「なるべく早くね! 今日間に合うなら今日にでもね!」と、情けなく眉を下げるエリオットを何とか宥めて別れると、セリはアレクシスと共に門に向かった。
「あ、サジだわ! 行きの時にも居た門番よ。親しいから何か聞けるかもしれないわ!」
閉門にはまだ時間があったが、薄暗くなってきたからだろうか、二人の他に門に向かう者はいなかった。
セリがゆっくり話せるよう、先にアレクシスが門を通る。アレクシスの外套の刺繍を見てサジはまた背筋を正したが、行きで見られたような緊張は無い。セドリックの一族はそんなに上位の貴族ではないのかもしれない。
(じゃあ、やっぱりエリの公爵家の紋章で震え上がってたんじゃない……! もう、エリのバカ!)
それでもやはりアレクシスを送り出して安堵したのだろうか。セリが近づくとホッとした様子で笑顔を見せた。
「遅かったな、セリちゃん。泊まりで配達たぁ随分遠くまで行ってたのかい?」
「うん。ちょっと、遠かったかな。返事をもらってくる仕事だったから少し手間取っちゃった」
「それは大変だったな」
アレクシスは少し離れた場所でセリの様子を窺っていたが、傍目には迎えを待つ貴族に見えるだろう。少しサイズの合わない粗末な服を着ていても、ピンと背筋の伸びた佇まいは気品に満ちていた。
サジはそんなアレクシスに気付かず、他に門を通る人が居ないのをいい事にセリとお喋りしようと身を乗り出した。
「なぁ、配達屋ってやっぱ大変なのか? 若い女の子には厳しいんじゃないか?」
「普段は楽しいんだけど、今回みたいなのはね……困っちゃうわ」
セリが大げさについた溜息に、サジは素直に「何があったんだ?」と心配そうに声をかけてくる。
「あのね、返事をもらわなきゃいけない仕事だったって言ったでしょう? その人、とても忙しい人でね。実はまだもらえてないの。朝会えたんだけど、急いで荷馬車に乗って行っちゃったのよ。ねぇ、サジ見てない? 王都に行くから直接返事するって言われたんだけど、それだとあたしがマリアに怒られちゃう」
「荷馬車かい? 俺は今日昼からの当番だがいくつか見たな……。どんな荷馬車だい?」
サジの答えに、今度はセリが飛びついて身を乗り出した。
「ほんと!? あのね、栗毛の大きな馬なの。牽いてる馬車は粗末で小さいんだけど、布袋を積んでいたわ。その人すごく大きい人で荷台に乗っていたのよ。通った?」
「いや……俺が見た荷馬車に大きな栗毛は居なかったし、大体が色んな大きさの荷物だったな……途中で乗り換えたかもしれんが、布袋だけの荷馬車も、その大柄な男も見なかったぞ」
「そう……」
見るからにしょんぼりしてしまったセリに、サジは申し訳無さそうに頭を撫でた。
「何か悪ぃな。助けにならなくって。そのマントを見れば道中大変だったのが分かるだけに、役に立てなくてほんと申し訳ねぇ。……それ、血か? 怪我したんじゃないか?」
指摘された場所を見ると、赤黒い小さな斑点がマントのあちこちにこびり付いている。黒いマントの中でその斑点はよくよく見ないと分からない程だった。
べっとりと血がこびり付いたアレクシスの外套だけに気を取られ、セリは自分自身の物には全く気が付かなかった。斑点という形から、アレクシスの外套を洗っていて付いたものではないのは分かる。これは、きっとヒューガルドの返り血だ――。
サッとセリの顔色が変わった事を、サジは見逃さなかった。
「誰の、血だい?」
「――え? あ、あの……。これは前からよ。以前指を切った時に飛び散ったのかしら。ええと、あたしもう行くわ。マリアに報告するのは怖いけど、頑張らなきゃね」
早口でそう言うと、サジの追跡を逃れるべく、彼に背を向けて王都側へと歩き出した。
セリの胸はドキドキと大きく鳴っている。背中にはまたサジの視線を強く感じていた。
(おかしいわ……じゃあ、あの荷物はどこに向かったのかしら? もしかして尾行に気付いて北門に変更したのかしら……)
「何か分かったかい?」
角を曲がったところでアレクシスに声を掛けられ、セリはハッと見上げた。
壁に預けていた身体を起こして向かってくるアレクシスに、セリは困ったように応える。
「それが……見てないって言うの。サジは今日のお昼から当番だったって言うから、時間帯は合っているはずなのよ。でも、途中荷馬車を乗り換えたんだとしても、布袋を沢山積んでる荷馬車は見なかったって言うの」
「そうか……。それはまた調べてみよう。では行こうか。家まで送ろう」
「え? でもあの……仕事の報告をしに店に行かなきゃいけないし、それにほら、エリが戻る為の通行証明書を作ってもらわなきゃいけないもの」
「いいよ。私も行こう。それに今から作って戻って来るのでは閉門時間に間に合わないだろう。エリオットの事は明日にしよう」
太陽が殆ど姿を隠した空は、赤から紫へと変わっていた。確かに間に合いそうにない。エリオットにはやはり一晩宿屋で我慢してもらわなければいけないようだった。
一人で納得してアレクシスはさっさと駅馬車の乗り場へと歩き出す。慌てて後を追ったセリは、アレクシスに追いつくととぼとぼと隣を歩いた。
「――ていうんだ?」
ぼうっとしていたのか、アレクシスの言葉を聞き逃してしまい、セリは焦ってアレクシスを見上げた。
「ごめんなさい。今なんて言ったの?」
南門から駅馬車乗り場がある大通りにかけては、所々に街灯が設置されており、取り付けられた灯石の揺らめく光の中、セリの瞳が金色に輝いた。
その様子に目を細め、アレクシスはすぐに目を逸らす。
「セリの本当の名はなんというのかと聞いたんだ」
「本当の名前?」
セリは不思議そうに問い返した。
「あぁ。君はいつか言っていたな。君が住む界隈では名前を略して呼び合うのだと。セリ、というのは略称ではないのか?」
「ああ、それでなのね。そんな人も多いけど、あたしは略しようがないの。あたしはただのセリよ」
「ただのセリか……。そうか……」
それから《ことり》まで、駅馬車に揺られながら様々な話をした。育ちが余りにも違う二人だが、不思議な事に話題には事欠かなかった。




