15.違和感の正体
おなかが膨れると、三人はじっと暖炉の火を見詰めた。心身ともに疲弊した一日だったが、質素ではあるが食事が出来、冷え切った体が暖炉の火で暖まると生きていると実感する事が出来た。
心地いい沈黙を破ったのは、アレクシスだった。
「あの塩湖を見つけたきっかけは地図作りだと言ったね。なぜそこまでするんだ?」
その問いに、セリは火を見詰めたまま答えた。
暖炉の火がセリの榛色の瞳をちらちらと金に変える。その横顔をアレクシスはじっと見ていた。
「笑わないでね? 私、地図屋になりたいの。『世界堂』もすごいけど、お金持ちしか世界堂の地図を手に出来ないでしょう? そういうのじゃなくて、必要な場所、必要な情報を書き込んだその人だけの地図を安くバラ売りしたいのよ。小さくてもいいの。自分の店を持って、おじさんがもう遠くで働かなくてもいいようにしたいの」
「セリちゃんはおじさんが大好きなんだね。でもさ、商売をするなら、王宮学院に行かなきゃいけないだろう?」
エリオットにそう問われ、セリは唇を噛み締め、頷いた。
王宮学院とは、王都を形成する丘の頂上にある学院だ。その名の通り学院は国が運営するグランフェルト王国を代表する学院だ。場所は王宮の隣にあり、就労が認められる十五歳になってやっと入学が認められる。
グランフェルト王国では、この王宮学院で資格を取らなければ商売をする事が出来ない。リタやマリア、パン屋のドイルもれっきとした王宮学院の卒業生だ。
この国では幼少期に文字の読み書きや一般常識、礼儀などを教える学校はあるものの、そこに通うのは大体がアンナなど中流家庭の子供達だ。貴族の子供達は家庭教師に教わるし、下層階級の子供達はそのどちらも望めないので結果的に出来る仕事は限られてくる。セリはテオのおかげで読み書きが出来るのでマリアに雇ってもらう事が出来た。だが、それだけでは地図屋になりたいという夢には程遠い。
「王宮学院に……入りたいの。すぐには無理だけど、入学資格が与えられている三十歳までには。その為にはもっと稼がなきゃ」
王宮学院受験には身分は関係なく、試験料もかからない。実力のある者に専門教育を受けさせる事は将来的には国を更なる発展へと導く。それがグランフェルト王国を大陸一の大国にした原動力の一つなのだ。
商法だけではない。ありとあらゆる分野が学べ、医師になる者、学者になる者、職人になる者、教師になる者もいる。
優秀な者は学生の内に起業する者もいるし、研究そのものが仕事として認められ稼ぐ事が出来る。その為、既婚者であっても家族を養いながら学院に通う事も可能なのだ。
王宮学院出身、もしくは在学中というだけで箔が付き、仕事にも就きやすいのだ。
その分、授業料は高い。授業料はピンキリで、専門的になれば成る程高額だ。セリは寮に入る必要が無い為、多少気が楽だがそれでも高額には変わり無い。それを在学期間の五年間払う事はセリには容易では無い。
「ねぇ、ビコロール商会を立ち上げたって事は、二人とも王宮学院の生徒なんでしょう? 卒業前に起業するなんて、とても優秀なのね」
学院では身分は関係ない。たとえ王族であっても、起業したという事は学院の生徒なのだと思って当然だった。
「え? あれは……密偵としての隠れ蓑だよ。王宮やデュアイン家で大っぴらに会えない人物もいるからね。人目につかずに招く事が出来る場所が必要だったんだ。それには商会の看板を格好だけでも掲げる事が重要だったんだよ。僕達も活動の拠点に出来る場所を探していたしね」
「セドリックが若い頃学院を卒業していて、設立にはセドリックの名を借りているんだ」
色々な人間が時間を問わず出入りする事になる為、ビコロール商会の看板を掲げたと言ったエリオットは、名前の由来は、最初あの建物に辿り付いた時に、ドアノッカーにセリが付けた抜け道の目印、赤と青の二色がついていたからだと話し、セリの顔を綻ばせた。
「学院のことが聞けるかと思ったんだけど、残念だわ。あたしの父さん、学院の教授だったみたいなの。おじさんは父さんの事はあまり知らないみたいだし、生徒ならもしかしたらって思ったんだけど……。でもそうよね。考えてみたら、表立って動けないのよね」
「幽霊だからね」
おどけて言うエリオットに、アレクシスも唇の端を上げて苦笑したが、セリはその言葉に弾かれたように声を上げた。
「そうだわ! 幽霊よ!」
「どうした? 突然……」
「敵はあなた達の素性を知っているわ」
その言葉に、エリオットですら笑顔を引っ込め眉間に皺を寄せた。
「どういう事? だって僕等の存在は徹底して隠されているんだよ? そりゃ、国王側に密偵が居るのは分かっているだろうけど。でもそれはお互い様だし、政治に絡む貴族なんてそんなもんだ。追われたのもきっとそれだろう」
「ううん……初めて会った日、覚えてる?」
「勿論覚えているよ。私達に抜け道を教えたね。あのお陰で追っ手から逃れられたんだ」
「二人組の男でしょう? 一人がずんぐりした体型だったわ。違う?」
アレクシスとエリオットは驚いた顔をしたが、何も言わずにセリの言葉の続きを待った。
「あたし、リタさんの所であなた達に会う前に、路地で二人組の男に遭遇したの。その時、突然現れたあたしに向かって言ったのよ。『びっくりさせんじゃねえ。幽霊かと思ったじゃねえか』って」
すると、二人の表情が一気に険しくなった。
「あたしね、朝から幽霊だなんて何言ってんのって思ったの。でも違うわ。アレク……あなたの事言ったんだわ。だって……目的は黒髪に紫の目をした男だって……それは単にそんな容姿の男を捜してたんじゃなくて……そうよ。だから幽霊っていうのは驚いて言ったんじゃなくて、死んだはずの『幽霊王子』が目的だったのよ」
「じゃあ、バシュレ公はアレク――第二王子が生きていて密偵として動いていると知ってる……そういう事?」
一言一言を言い聞かせるようにゆっくり話すエリオットに、セリは力強く頷いた。
「そうだと思うわ、きっと、相棒がエリオット、あなただと言う事も。相手が誰か分かった上で、捕まえようとしたのよ。赤髪の男が言ってたじゃない。黒髪は生きて捕えろ、最悪殺しても……って。あなた達、自分達で思ってる以上に危ない橋を渡ってるわ」
「こちら側に内通者が居る……と、いう事か……」
アレクシスが何やら考えるように長い指で顎を撫でた。
「馬車や宿屋の手配はどうしたの?」
「セドリックに一任したんだ。だけど、彼は違うと思う。いや、そう思いたい。彼は幼い頃からアレクに仕えていて、王宮から離れて暮らすようになってからも一緒についてきた人物だ」
「でも……ジャンを同行者に迎えたヒューガルドは……セドリックの甥よね?」
「だが、ヒューガルドが雇ったのは“ゾイド”だ。ゾイドは直前でジャンに入れ替わった……」
「じゃあ、ヒューガルドの周辺も調べるべきだわ。彼はゾイドが偽者だって知らなかったわ。でも、ジャンは旅の行き先や現れる人物を知ってて、ゾイドを名乗って現れたんだから……」
知っている情報を並べても、その背後には何も見えない。だが、敵からはこちらの状況はある程度見えているだろう。それはとても恐ろしい事だった。
「セドリックはラングドンに詳しくない。手配をする上で、他の誰かの耳に入れた可能性はある。他にも使用人は居るからな……まずは内通者を見つけなければならないな」
「……これからはなるべく自分達でやった方がいいわ。周りがあなた達の存在をひた隠しにしているのに、旅の手配を誰がどんな手段を使って行ったか知らないだなんて……! あたしなら王都の外には詳しいから手伝――」
「それは……この旅が終わってからも手伝ってくれるという事かい?」
アレクシスの指摘に、セリは「あ……」と小さな声を上げた。
セリは単なるラングドンへの案内人で、目的だった塩の出処も分かった今、残された仕事は無事二人を連れて王都へ戻るのみ……二人とは、それきりになるのだ。
その事をなぜだか寂しく思い、セリは俯いた。
「セリちゃん、君は僕達に大切な事を教えてくれた。僕達が甘ちゃんだって事もね。君がいなかったら大変な事になっていたよ。ありがとう。君の事は決して忘れないよ」
敵にこちらの存在が筒抜けだと知った今、これ以上セリを巻き込めないと考えたのだろう。だが、そのエリオットの気遣いがセリの胸を益々締め付ける。でも、それをエリオットは知る由もなかった。




