13.アジト発見
裾の長いテオのマントを引っ張りながら、エリオットは苦笑を浮かべた。
「セリちゃんのおじさんって、随分背の高い人なんだなーって、言いたかっただけなんだ……」
「うん。すごく大きいの。きっとアレクより大きいわ。あたし、おじさんより大きな人なんて今まで見た事ないもの」
家の天井につきそうな位なんだから。そう勤めて明るく話すセリに、エリオットがホッとしたような表情を見せた。
「セリ、エリの外套は好きに使っていい。犬がまた吼えてる。先を急ごう。案内してくれ」
「あ、うん、分かったわ」
セリはすばやく全員の足に板を取り付け、滑るような足取りで湖面を歩いて見せた。
その動きを真似しながら歩を進めると、確かに泥に足が沈み込む前に次の一歩が踏み出せる。ブーツを履いていても染みてくる水は冷たいが、これ位は充分我慢出来た。
少し歩いた場所で、セリが徐にエリオットの外套を湖の中に突っ込んだ。軽く押し込んだだけだったが。それはズブズブと簡単に泥の中に飲み込まれていく。
「ああああああああ! セリちゃん! 何するんだよぅ!」
「敵がここまで嗅ぎ付けたとしても、こうして外套を湖に置いて行ったらもしかしたら渡ろうとして失敗したかもしれないと思うでしょ? それに、敵も同じ道を通ろうとはしないはずだわ。あたし達が底なし沼に嵌ってしまって死んでしまったと思ってくれたら幸いだし、そこまで思わなくても時間稼ぎにはなるから」
なんとか湖を渡り終えた後、湖面にはエリオットの外套だけが残された。敵がうまく誤魔化させてくれるといい……そう思いながら、三人は森の更に奥深くへと足を踏み入れた。
塩湖を隠す為に生い茂るままに放置されている大きな森は三人の姿をも隠してくれ、もう犬の鳴き声が聞こえる事も無かった。
「もうすぐ……日没だわ。……それまでに森を出ないと」
高くそびえる木々の隙間から見える空はまだ青々としている。だがセリは空に目を向けると少し焦りの色を見せた。
「前から思っていたんだが……セリ、君は天候が分かるのかい? 馬車の中でも天候を気にしていたね。出発の時期を決めたのも君だ」
「ええ。空の色と風……雲の高さなんかで大体分かるわ。配達屋で働くには天候も重要だもの。いつの間にか身についたの」
「へぇ! すごいね! 空詠みになるのはとても難しいんだよ!」
エリオットが感心したように声を上げる。
「シッ。静かに」
森が開け、視界が明るくなってきた。手近な木にそれぞれが身を潜めるとそっと様子を窺った。
視線の先には、周りの木々よりも背の低い小屋が三棟並んでいる。
中央にある一番大きな小屋は、まだ外が明るいというのに窓辺にランプがいくつも吊り下げられ、ドアの前には中でなにやら作業がしているのが分かる。
一番奥の小屋は宿泊施設だろうか。そちらは人気が無く、手前の小屋はどの小屋よりも大きい観音開きのドアが取り付けられ、片方が僅かに開いていた。
「……船だわ……ここが作業場で間違いなさそうね」
「そうだな……」
「どうするの? 小屋の前には見張りが居るし、これ以上近づくのは危険よ。日が暮れてしまったら、地の利がある相手が有利だわ」
「ああ、今回はこれで充分だ。私達は王都に戻って報告する。後は国王の命令の元、しかるべき団体が動き、そして捕えられるだろう。問題は公爵まで繋がるかどうかという事だが……難しいだろうな。いずれにせよ、私達は表に出る事は無い」
まるで、幽霊のように――。
そう続けたアレクシスの言葉が、セリの胸に違和感をもたらした。
(何かしら……何かが引っ掛かるんだけど……)
「さあ、それじゃあ行こうか」
「……うん」
胸に残った違和感が分からないまま、エリオットに促されてセリは物音を立てないように新調に歩き出した。今度は湖を迂回するようにしてこの森を出なければいけない。
王都よりも南に位置するダリルカム村だが、晩秋の日は短い。森を出る頃にはすっかり日は傾き、三人の顔を赤く染めた。
改めてお互いの姿を見ると、セリは思わず吹き出した。
「ひどい格好をしているわ、あなた達。エリなんて裾を引きずってるし、顔も汚れてる。髪なんて葉っぱだらけよ! ブーツも濡れてるし、早く宿屋に行きましょう」
エリオットは確かにひどい格好をしていたが、それはアレクシスも同じだった。外套のあちこちに飛ぶべっとりとした染み……黒い外套ではよく見なければ分からないが、それはジャンの返り血に違いなかった。
「宿なら手配してある」
アレクシスが告げた宿屋は、案の定この村の中心にある一番の高級宿屋だった。
「あのねぇ、あたしは抱えてたから持って来れたけど、あなた達の荷物は馬車に乗せたままよ? 今手持ちのお金がいくらあると思ってるの?」
「……それは……そのぅ……」
「それに! 手配した馬車には敵が乗ってたのよ? のこのことその高級宿屋に行ったって、あの赤髪の男が何か仕掛けてくるかもしれないじゃない! 今日はあたしの馴染みの宿屋に行きますからね!」
アレクシスとエリオットは顔を見合わせると、肩を怒らせて先を歩くセリを追った。
ダリルカム村は、大小の森に囲まれて点在するいくつかの集落によって成り立っている。
よって、《村》ではあるが、森に遮られ集落同士は少し距離があった。
その中でセリの馴染みの宿屋は村のはずれにある小さな集落の一角にあり、泊まるはずだった村の中心となった集落からはかなり距離があった。
「すぐに暗くなってしまうわ。通りに出たとは言ってもこれから向かう集落までは距離があるし……急ぎましょう」
二人はセリの言葉に反論する事なくついて来る。今日は色々あり長く感じる一日だ。気を張っていたが、相当疲れているに違いない。
暗闇が近づいた細い道は誰も歩いていない。向かっているのは比較的貧しい集落でもあった為か、道には灯りも無い。すると、突然セリが立ち止まり背中の荷物を下ろして中をゴソゴソと探った。
森で活動する野犬や野獣は灯りを嫌う。その事は二人も知っていたが、荷物は全て馬車に残してしまった。アレクシスはその失態をもどかしく感じ、セリの行動を見守っている。
セリは鞄の中から湖のほとりで出したのと同じ巾着を取り出した。中から石と金属を取り出すと、続いて髪に挿しこんでいたペンではない長い棒の方を抜き取った。すると、棒の先端、髪に隠れていた部分に半透明の石がついていた。
セリはそれを草地に置くと、その上で石と金属を強くぶつけ合った。
(火打ち石……ではその棒の先の石は……)
セリの手元ではあっという間に火花が散る。すると、それを吸い取るように半透明の石が光り始めた。
「灯石か……」
灯石とは、北のディヴィングでしか採れない非情に貴重な鉱石で、火を取り込む不思議な石だ。
王宮を始め貴族の邸や通りの照明として使われている。だが中流階級でも使用する事がステイタスとされる鉱石だ。
そんな視線に気が付いたのか、セリは少し肩を竦めた。
「なんで持ってるのかって言いたいんでしょ。これはおじさんがくれたのよ。元は父さんの物だったらしいんだけど……でもあたしが住む街では目立つから、いつもは髪に挿して隠しているの」
話しながらも手は動き続ける。あっという間に辺りを照らし出せる程に火を蓄えた灯石を持ち、三人は先を急いだ。
「おや、セリじゃないか。仕事かい?」
看板も無い小さな建物の前で桶の水を捨てていた、白髪交じりの髪をきゅっときつく結い上げた痩せた女が声をかけてきた。
途端にセリは笑顔になり、嬉しそうに女に駆け寄る。
「女将さん! そうなの。部屋あるかしら? あの……後ろの二人もなんだけど……」
「おやおや。随分汚れて。だけど、今日は一部屋しか空いてないよ。村で結婚式があってね。うちみたいな小さなとこもお客が入ったのさ」
「毛布だけ多めに借りられたらそれで充分よ。お願いできますか?」
「構わないよ、お入り。そのブーツじゃ冷えるだろう。火を用意するから暖炉の前で乾かしな」
三人はあからさまにホッとした顔をすると、暖かい室内に通された。




