12.赤い草原
目を凝らすと、木々の隙間から赤いものが見える――。
「なんだい? あれ。赤い花の群生か? あそこだけというのもなんだか気味が悪いな」
「あれはパスピエールよ」
「パスピエール?」
その問いにセリが、力強く頷いた。
二人はまだ不思議そうな顔をしていたが、セリはそのまま森の中に入っていった。
「それにしても、見事な赤だね」
森に入り奥に進むにつれてはっきりと見えてくる光景は異様なものだった。
木々に隠れていたが、パスピエールはかなり広範囲に渡って群生していた。その奥には湖が見える。
「湖? こんなところに……地図には無かったけど……」
「森の中だし、雨季の間だけ出来る湖かもしれない」
「ううん。これ、多分塩湖よ」
セリが二人を振り返り、日の光を浴びてキラキラと輝く湖面を指した。
「塩湖!?」
「……多分ね。ここに群生しているパスピエールって、塩生植物なの。塩気のある場所に生息するのよ。本来は緑だから、周りの草木に溶け込んで全然分からないんだけど、秋に赤く変色するの、前に赤いパスピエールを見て、覚えてたの」
そう言うと、セリは足元のパスピエールの節を折りそのまま口にした。
「ううー。しょっぱい」
一瞬顔を顰めると、今度は別の節を折り二人にも差し出す。
二人とも半信半疑で口にしたが、すぐに顔を顰めた。
「かなり……塩気があるな」
「ラングドンは確かに海に面してはいないけど、地中からここに海水が流れ込んでるんだと思う。ここはクウォールにも近いしあり得ると思うわ」
「なるほど……ここに流れこみ、湖を作るまでになっているという事は、出口は無いという事か……。何らかの理由でここに留まり湖を形成している。水分はいずれ蒸発し、濃度の高い良質の塩が採取出来る」
アレクシスはこの状況とセリの考えから、すぐに理解出来たようだった。
「さっきの野放しの草地は、もしかしたらこの塩湖がある森を目立たなくさせる狙いもあるのかもしれないな。森全体を隠すと同時に、わざと道を険しくして近づこうとする者を排除する考えがあるのかもしれない。だとすれば、村人もグルなんじゃないか?」
聡明で冷静なアレクシスは状況分析にも長けているようで、初めて訪れた場所を細かくよく見ている。セリは感心しきりにアレクシスの仮説を聞いていたが、最後の言葉にははっきりと首を振った。
「多分、村の人は殆ど知らないと思うわ。それどころか、ここは危険な場所だって言い伝えがあって近寄らないようにしている位よ。実はあたしも、実際こうして見るまでは確信出来なかったの」
「なぜここだと? それに危険とは……」
「配達でダリルカムに来た時、地図作りの為に少し散策したの。近道を探ろうとしてここに辿り着いて……その時は雨の少ない時期で水は無かったのよ。でも歩いて向こう側に渡ろうとしたら、足がどんどん沈んでいくから驚いたわ。その時はなんとか抜け出したんだけど、ペンは落としちゃうし尻餅をついて服もだいぶ濡らしちゃって。その夜は馴染みの宿屋に泊まったんだけど、その時女将さんに言われたの。『金物はちゃんと真水で洗わないと、あの湿地で濡れたらすぐに錆びて壊れてしまうよ』って。その時あたし、軽く聞き流してしまって簡単に拭いただけだったの。でも少しして、大事なペンが錆びついてしまって……」
「ペン? いつも髪に挿し込んでるそれかい? もしかして、それで彫刻が磨り減っているのかい?」
「そうよ。ほんとはもっと綺麗なんだから。それで思ったの。ここは塩湖なんじゃないかなって。そうしたら、おじさんにもダリルカムのパスピエールのある森は湿地で足を取られるから行くなって言われて……それで」
セリは徐にしゃがみこむと、湖に手を入れた。
王都より南に位置するとはいえ、冬が近づいたこの時期にはやはり水は冷たい。
湖は浅く、指を入れてもすぐに土に触れる。
セリはそのままぐりぐりと土の中を探った。土の中で指に触れる感触が変わったのが分かると、一摘みしたそれを手の平に乗せて二人に見せる。
「え!?」
「塩そのものじゃないか!」
セリの手の平には、泥に混じって小さな塩の結晶が乗っていた。
セリが手にしている塩の結晶が足元の湖に埋もれていると考えると、それは大変な量だ。
自然に蒸発し、既に塩そのものの形になっているそれは加工も難しくはないだろう。
「それだけ濃度も濃いって事か。すごいよセリちゃん! 加工場も目星はついてるの?」
「うん。作業小屋があるのは、湖の向こう側の森だと思うの。以前足を取られたのも、向こう岸に踏み固めたような足跡が沢山見えたから渡れると思ったんだもの」
「なるほど……だがどうやって向こう岸に渡る? ぐるりとまわりこむのは相当時間がかかるだろう。追っ手の事を考えるとそんな悠長な事はしていられない」
セリの話では、この湖は一見浅くそのまま渡れそうだが、足が取られる程だと言う。もし底なし沼ならそのままかなりの深さまで沈み込み、身動きが取れなくなってしまうだろう。
その時、遠くから犬の吼える声が聞こえてきた。
「……追っ手かな?」
「そうかもしれないしな。赤髪の男が乗り込んで来たところを見ると、予め場所は決めていたんだろう。近くに仲間が居た可能性もある。塩湖の見回りかもしれないな。セリ、何かいい方法はあるかい?」
するとセリは背中の大きな荷物を下ろし、中を探った。
出てきたのは隅に均等に四つの穴が開いた薄い板が数枚、黒い布に包まれている。
「それは?」
「湿地を歩く為の物よ。本来は雪原で使う物なんだけど……多分応用できると思うの。あ、これをつけても湿地帯を渡ってる時は急いでなるべく速く歩いてね。ほらっ、足を出して!」
「え? え? え?」
戸惑っているエリオットからロープを奪い取ると、乱暴に足を掴み板の上に乗せる。続けて荷物から取り出した粗末な巾着袋から鋭く尖った石を出すと、手馴れた手付きでロープを切り、板の穴に通してエリオットのブーツを板に固定した。
「体重を分散させる事で、沈み込むのを防ぐんだね?」
「そうよ。いつもは整備されていない雪原で使うのよ。でもさっき言った通り万全じゃないから急いでね! それと……エリ、その外套脱いでちょうだい」
「えっ!? どうして? さすがに脱いだら寒いよ!」
「代わりにこれを着て」
セリは板を包んでいた黒い布をエリオットに渡した。
エリオットが布を広げてみると、それは大きなマントだった。板をそのまま入れた鞄は背中に当たると痛くて、急遽家にあったテオのマントを拝借したのだが、こんな所で役に立つなど思っていなかった。
自分の外套は確かにロープに掴まっていた右側がざっくりと裂け、全体に破れや汚れがあったので、エリオットは特に反論する事なく外套を脱いでセリに渡した。
「これ、もう使わないわよね? 囮にしたいんだけどいい? あれ?」
手にした外套の内側にある刺繍を見て、セリは驚いた。
「エリ……あなた、デュアイン公爵家の人なの!?」
エリオットの外套の左胸の内側には、グランフェルト王国の貴族の中で一番力を持つと言われている東の公、デュアイン公爵家の紋章があった。
幻の鳥、リューシスの成鳥が大きく羽根を広げているその姿は刺繍であっても神々しく、セリが描いた《ことり》とは似ても似つかない。
「そうだよ? 言ってなかったっけ?」
「言わなかったわよ! だって……デュアイン家のご子息は、クリストフ殿下に仕えているんでしょう? そう言ってたじゃない!」
「それは兄だよ。僕は次男だから、生まれは公爵家って言っても気ままなもんさ、身体が弱くて病気療養中って事にして、こうして幼馴染のアレクと一緒に居るってわけ。それにしても……セリちゃん、このマントかなり大きいね。僕も背は高い方だけど、それでも裾が余るよ。これは僕より大きいアレクも余るかも。もしかしたらヒューガルドだって……」
ヒューガルドの名前が出て、三人の間の空気が一気に重くなった。
「ご、ごめん……」
その名は、脱出できたその時から、皆が意識して出さないようにしてきた名だった。
それぞれに思いはあるだろう。ヒューガルドの最期を思うと、深く暗い思考の沼に足を取られ、それこそ底なし沼のようにズブズブと沈んでしまいそうになる。
だが、今はその時ではないと全員が分かっていた。
彼の思い、彼のとった行動に報いる為にも、今は立ち止まる時では無い。彼が身を投げ打って、三人に未来をくれたのだ。それは忘れてはならない事実だった。




