懐郷病少年
空を見上げる。
どこまでも青く澄んだ空は彼が好きだったものとそう変わりはなく、今までのすべてが夢だったんじゃないかと思わせてくれる。
帰りたかった。
彼の家族が待っている家へ。
帰りたかった。
彼が生まれ育った世界へ。
帰りたいのに。
「……帰れない」
「なにかおっしゃいましたか?イズモ様」
「いや」
いつの間にか止めていた足を無理やり動かして次の目的地を目指す。
彼は異世界に召喚された勇者だった。
拒否権なんて与えられずに流されるままに剣を習い魔術を習い魔王を倒すための旅に出た。
そんな彼が逃げ出さずに旅を続けているのは先ほど話しかけてきた姫巫女の一族と呼ばれるシャロン・バッティシルがこういったからだ。
“魔王を倒せば貴方は帰れます”
今までにも何度も勇者は召喚され、そしてそのたびに勇者は魔王を倒して帰っていくのだという。
ふざけるなと怒鳴りたかった。
前例となった勇者だってそう言っただろう。
自分たちの問題に関係のない第三者を巻き込んで、挙句の果てにはすべて背負わせる。
そして自分たちはのうのうと生きるのだ。
これで許せるといえる人間がいるのならばそいつは頭がおかしいんだ、と彼は思う。
「次の町が見えましたわ」
「姫巫女様、女性が馬車から顔を出すなんてはしたないですよ」
「ごめんなさい。あまりこういった経験がないから楽しくて……」
「あ、い、いえ、わかっていただければそれで……」
死んでほしいと思う。
彼のすべてを台無しにしておきながら彼を好きだという女。
そんな女が好きだといって彼に敵意を向けてくる男。
無意味な正義を振りかざし余計な面倒事ばかり持ってくる男。
監視役として同行し定期的に国へ連絡を取っている男。
そんな彼らを同行させた威張ることしかできない無能な王。
彼の人生を壊したとも知らずにのうのうと生きている人々。
全員、死んでしまえ。
彼はこの世界のすべてを呪っていた。
だが彼はとても我慢強かった。
帰るためだと不満をすべて飲み込んで。
耐えて、耐えて、耐えて。
「勇者様方、どうか我が国をお救いください……!」
「もちろんです!困っている方を見捨てることなんてできませんから!そうですよね、勇者様!!」
「イズモ様、これも神の思召し。彼らを救って差し上げましょう」
「姫巫女様もこうおっしゃっていることですし、彼らを救っていきますよね?勇者様」
「また人助けですか?勇者様は本当にできた方ですね」
「……ざけんなよ」
「え?」
そしてついに堪えきれなくなった。
「ふざけんなっつってんだ!!
なんなんだよお前らは!俺を勇者だとか呼ぶのはお前らの勝手だがな、意味わかんねぇ責任とか押し付けてくんじゃねぇよ!!
そこの女が俺を無理やり召喚したせいで人生台無しにされてんのにこれ以上無意味な正義を振りかざして誰かを助けて苦労増やそうとか思うわけねぇだろ!!
馬鹿じゃねぇのかお前ら!!もう全員死ね!!!」
「イ、イズ……きゃぁあああああああ!!!」
「姫巫女様ああああああああああああ!!?」
「お、おれの腕があああああああああ!!!」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいい!!?」
シャロンが出雲に触れようとした瞬間彼女の腕が裂けた。
それを皮切りに次々と裂傷を負う彼女に駆け寄ろうとした男も裂傷を負い、落ちた自分の腕に驚く男の悲鳴が木霊する。
周りの人々も少なからず裂傷を負っているようでそこかしこで悲鳴が上がっていた。
しかし出雲はそれを見ているようで見ていないような虚ろな状態でぶつぶつと呟いている。
「そうだよな、全員死ねば俺の苦労もなくなるよな。魔王倒せば帰れるらしいから人間なんかどうでもいいし。そうだよ、全員死ねばいいんだ」
出雲の目的は帰ること。
それ以外はどうでもいいという言葉に反応するものはその場にはおらずただ自分の体に刻まれる裂傷の痛みに喚くことしかできない。
ズキズキと痛み出した頭を抱えながら出雲は人々の死を願う。
血みどろになった人々の悲鳴が木霊する中、1人の少女が出雲の背後に現れた。
「落ち着いて」
突然手で目隠しをされた出雲が驚いて固まると、少女は出雲の耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「深呼吸して何も考えないで。これ以上魔法を使ったら死んじゃうよ?」
可愛らしいソプラノの声が告げた言葉は出雲を混乱の渦に突き落とした。
出雲はただ人々の死を願っただけだ。断じて魔族が使う魔法などを使った覚えはない。
しかも死ぬ?死ぬのは嫌だ。
出雲はただ帰りたいだけなのだ。こんな世界で死ぬなど真っ平御免である。
「ん、止まったね。手離すよー」
間延びした声と共に目隠ししていた少女の手が外されるとともに目に飛び込んできた光景に出雲は息を飲んだ。
地獄絵図だと、思った。
辺り一面血の海で、一応は生きているらしい人間が痛みで呻いていたり四肢のいずれかが欠けた人間がゴロゴロと転がっている。
いちばん近い位置にいたシャロンなどは顔に裂傷が入って既に判別がつかない。
呆然とする出雲に少女が話しかける。
「初心者が死の魔法なんか使っちゃ魔力の消費が激しくて倒れちゃうよ?しかもこんな大勢にかけたら魔力が切れて死んじゃうに決まってる。君、危ないところだったんだよ?」
「俺が、これを……?」
「そうだよ。だから僕が止めたんだからね?君は僕に感謝するべき!」
信じられないといった面持ちの出雲に少女は明るく話す。
通常であれば考えられないような光景を目にして普通に振る舞える少女は人ではなく魔族なのだろう。
しかも人に近い姿をしているならばかなり高位の魔族だ。その身に秘める魔力は異世界人の出雲とそう変りないのではないだろうか。
しかし出雲は今そんなことに構っていられるほど余裕はなかった。
確かに死を願った。願ってしまった。
けれど、実際に人を傷つけるなど誰が考える?
人を傷つけたことがないと言えば嘘になる。
この世界には盗賊と呼ばれる者たちがいて、出雲は自らを守るために彼らを傷つけた。
死体を見たことがないと言えば嘘になる。
貧富の差が激しい場所では貧しいものが路上に自らの死体を曝け出していることもあった。
人を殺したことがないと言えば嘘にはならない。
それだけは人として超えてはならない一線としてやらなかった。正直に言ってしまえば怖かった。人の死も、それに伴う人の思いも、出雲には重すぎる。
だから、今。
自らが殺しかけたという人々を見て。
出雲は、彼は。
「ん?もしかして君も母様と同じで人を殺したことがないの?」
怖かった。恐ろしかった。
人を殺めたかもしれない力が怖く、そんな力を持つ自分が恐ろしかった。
何も答えないことを肯定ととったのか少女はしばし考えるような素振りを見せる。
そして。
「なら全員治してあげる!」
出雲の気持ちを拭い去るかのように少女が明るく言った。
出雲が驚いて顔をあげれば少女は笑っている。
そして人々に手をかざして、一言。
「回復魔法」
血の海は消えなかった。
けれど人々のうめき声は聞こえなくなり、転がっていた四肢は消えていた。
「ついでに気絶させたけど皆生きてるよ。だから君は僕に感謝するべき!」
「ありが……とう」
この大人数を一瞬で治療し、あまつさえ気絶させるほどの魔法。
人では不可能であろうことを簡単に成した姿はこの世界の人間であれば感謝する前に畏怖することだろう。
けれど、出雲の心は歓喜で満ちていた。
「本当にありがとう……!」
人殺しにならずに済んだ。
それはこれ以上なく幸せなことだと出雲は思う。
剣を振るい、魔術を扱うことで出雲は力を手に入れた。
その力は容易く人を傷つけ、殺せるほどに強かった。
けれど人を殺した瞬間自分ではなくなる気がして、殺さなかった。否、殺せなかった。
自分を保てても家族や友人に会う資格がなくなる気がして、嫌だった。
だから少女の行動は出雲を救ったに等しい。
少女は出雲の心を救ってくれたのだ。
「うーん、泣かせる気なんてなかったんだけど……」
苦笑しながら少女は出雲の涙を拭う。
男女が逆転したような状況になりながらも少女は出雲を落ち着かせた。
出雲が落ち着いたのを見計らって少女は場所を移動し、出雲と向かい合って座った。
「じゃあ自己紹介。僕はハッピーネスティア・カナメ・アズヴェルド。次の魔王だよ。ハピネスって呼んでね!」
「俺は伊賀崎出雲。出雲でいい」
出雲はハピネスが次の魔王だといっても警戒しなかった。
ハピネスに殺す気があるならば最初に目隠しをしたときに殺してしまえばよかったのだ。
それをしないということは最低でも今はそんな気はないということ。
だから出雲は無防備ともいえるような状態を変えなかった。
「僕が君に会いに来たのはね、母様が君会いたいって言ったからなんだよ」
「母様?魔王か?」
女の魔王がいることは目の前のハピネスで証明されている。
だから魔王であるハピネスの母が勇者である出雲に会いたいと言っているのだと思った。
だがそれはハピネスの言葉で否定される。
「違うよ。母様は魔王の花嫁。君と同じ勇者だった異世界人だよ」
「は!?」
「母様は今からだいたい500年前に勇者として召喚されたんだって。3代目にあたるらしいよ」
君は5代目だったよね、とハピネスは付け足す。
出雲のきいていた話とは違った。
出雲が5代目の勇者?何を言っている。数えきれないほどの勇者が召喚されたと、教えられた。
そして召喚された勇者は魔王を倒して帰って行ったと。
そこまで思い出して出雲の頭に1つの可能性が浮かんだ。
けれどそれを信じたくなくて必死に考えないようにする。
それは、それだけは、あってはいけないことだ。
そんな様子の出雲に気付いているのかいないのか、ハピネスは変わらぬ様子で話を続ける。
「まあ母様が何代目かっていうのは今はどうでもいいんだよね。今は何で母様が君を呼んでるのかってこと。
イズモ。君は――――君の世界に『帰れない』ってことを、知ってる?」
鈍器で殴られたかのようだった。
聞こえてきた言葉の意味を理解することを頭が拒否する。
『帰れない』
それは、出雲が無意識に考えないようにしてきたことだった。
魔王を倒せば帰れるという言葉をすんなりと受け入れたのは、盲目的に信じてきたのは。
帰れないという可能性を受け入れたくなかったからだ。
「はぁ……。これだから人間は嫌いなんだ」
ため息とともに発された殺気を込められた声に出雲は反応しなかった。
カタカタと震え、小さな声で嘘だ、と否定している姿は哀れでしかない。
痛ましげな姿にハピネスは努めて明るい声を出した。
「聞いて、イズモ。君が帰れないっていうのは本当。でもそれは現時点の話であって、永遠に帰れないって言ってるわけじゃないんだよ」
「本当か!?」
「うん、本当だよ。そのために僕はここに来たんだ」
藁にも縋る思いで出雲がハピネスの服をつかむ。
そんな出雲を安心させるためにハピネスは笑顔を作った。
「母様はこの世界に来てから500年、帰る方法を研究してきた。でも母様は魔法しか知らなくて、思うように進まなかったんだって」
だから、とハピネスは続ける。
「魔術の知識がある君がいたら研究は完成するかもしれない」
ハピネスの服を握る出雲の手に力が籠められる。
絶望の中に一筋の希望が差した出雲はそれに縋るしかない。
「お前の母親に会わせてくれ……!」
それを聞いてハピネスは頷いた。
「もちろん。僕はそのために来たんだからね」
その日のことを出雲は忘れることはないだろう。
世界を呪った日に現れた、絶望と希望を伝えてくれた未来の魔王に、未来の花嫁に出会ったその日のことを。
決して忘れないだろう。
活動報告のコメント欄にてGOサインがでたので書いてみました!
安定の勇者と魔王です。勇者×魔王大好きです。
ちなみに裏設定として覚えている方は覚えているかもしれない、以前投稿していた『魔王の花嫁』の娘さんです。
名前でピンときた方がいらっしゃったらすごく嬉しいです。
※魔族の名前は『自分の名前・母親の名前・父親の名前』となっています。家名などはありません。
で、世界観も引き継いでいますのでちょっと説明足らずな部分があると思いますのでここで説明させていただきます。
まず魔力=生命力です。無くなると死にます。
魔族は1500~2000年生きれて人間は100年も生きれないって言ったらどれだけ魔族が強いかわかっていただけるかと。
次に魔力の多さに物を言わせて使うのが魔法です。魔力の少ない人間には使えないものすごく大雑把なものです。
文中で魔法名とか言ってますが別に言わなくても使えます。念じるだけで使えます。
言ったほうが目的がわかりやすくて使いやすいってだけです。
ちなみに魔法で火を出すとすると人間=ろうそくの火、魔族=火事。魔王は焼野原作れます。魔族マジチート。
それで魔術ですが、これは人間が魔法に対抗するために作った術です。
魔王が説明すると藁である術式に火である魔力をつけるとすごい勢いで燃えて魔法と同じだけの威力を生みだす、だそうです。大雑把すぎるのでもっと詳しく。
術式に魔力を流しこむことで魔法と同じだけの威力を生みだす術です。
術式は複雑に組み合わされた回路のようなもので、少量の魔力でも凄まじい力を生み出すことができます。
基礎となる組み合わせが千にも万にも及び、すべてを覚えている人間はいません。皆得意分野だけ覚えてます。
この話だとだいたいこのくらい説明すればわかりやすくなるかと思います。
本当はもっといろいろ設定があったりするんですがお披露目する機会が消えたのでお蔵入りしてます。
気が向いたら続くかもしれません。その時にいろいろ出したいです。
それでは感想等頂けると嬉しいです。
読んでいただきありがとうございました!