第38話 戻らない時間
次の日は、裕子が家へ遊びに来た。
裕子いわく、私の家は広くて居心地がいいらしい。
私にとったら無駄に広いこの家は、手入れが大変で、
居心地が良いとは言えない。
母が居た頃はそうは思わなかったが、私一人になってからは、
静かなこの家はとても住みにくくなった。
「いやぁ~、この家はいいわぁ~。」
裕子は、ソファーにどっかりともたれている。
まるで電気屋のマッサージチェアの体験コーナーで、
くつろいでいる客のようだ。
「こんなに広い家に、ほぼ一人暮らしなんて、
もったいない。」
「ほんとだよね。私もこんなに広い家じゃなくて、
もうちょっと小さめの家の方がいいよ。」
大学に入学する時に「一人暮らしがしてみたい」と、
父に頼んだのだが、あっさりと却下されてしまった。
母との思い出が詰まったこの家は、私にとって大切な家だ。
でも、母が居ない今は静寂につつまれていて、私を孤独にさせる。
だから、別の場所で暮らしたかった…。
「美緒一人だけで住むには、この家は静かで寂しいね。」
裕子は、外の庭を見ている。
昔は花に囲まれていたが、今は何も植えていない。
この前のパーティーでお邪魔したお宅程ではないが、
色とりどりの花をたくさん植えていた。
そこで、あの庭にあった薔薇のアーチが頭に浮かんだ。
確かに見たことがあるはずなのに、
いつ、どんな状況で見たのか思い出せない。
子供の頃のことなら、“そんなこともあったな”と、
流せばいいいのだが、なぜかずっと気になっている。
最近は、気になるというよりは“思い出さなくてはいけない”と、
感じるようになった。
何か自分にとって、大切なことであった気がしてならないのだ…。
「美緒?」
「え?」
私が考えを巡らせていると、裕子が私の目の前で手を振っている。
「なんか意識飛んでたよ~?」
「ごめん、ごめん。ついうっかり考え事してた。」
裕子がいるのに、他の事を考えてしまっていた。
「考え事?それって、恭哉さんのこと??」
違う。
さっきは、彼のことは考えていなかった。
さっきは…。
彼を街中で見かけた時に、彼への想いは封印したのだ。
それからは、彼のことに意識を向けないようにしてきていた。
しかし、裕子が彼の名前を口にした途端、
押さえこんでいた想いが溢れそうになってしまった…。
「ねぇ…。前から気になってたんだけど、彼と何かあったの?
最近の美緒は元気がないっていうか、
わざと明るく振舞ってるって感じだったからさ…。
気になってたんだよ?」
私が何で悩んでいるかなんて、隠していても気付いていたのか…。
親友を見くびっていた。
「彼と…。結婚を解消することになりそうなの…。」
いや、もう解消しているのかもしれない。
すでに、彼には次の婚約者候補が居たし…。
「は?解消って…一体、どういうこと??」
突然のカミングアウトに、裕子は驚いている。
「彼がそう言ったの…。でも、彼にそう言わせたのは私だった…。」
「美緒がそう言わせるようなことをしたの?」
彼が私のことを好きで結婚するのか、
その真意を知るのを恐れてしまったこと。
パーティー会場で、
たくさんの奇麗な女の子達に囲まれているのを見て、
自分の存在がひどくちっぽけに思えて、彼女たちに劣等感を感じたこと。
彼への気持ちを自覚していたのに、傷つくのが怖くて、
ひどいことを彼に言ってしまったこと。
全て話した。
裕子は、頷きながら聞いてくれた。
「美緒は、後悔しているの?」
後悔か…。
ずっとしてる…。
「うん…。でも、もう遅いんだ…。
昨日、彼がすごく美人な女の人と居たのを見ちゃったの…。」
かなりの衝撃だった…。
“君と結婚したいと、今も想ってる”
そう言っていたのに、もう次の人が居ただなんて…。
ショックで、目が合った彼から隠れてしまった。
もう、引き返すことはできないのだ…。
自分に言い聞かせて、納得させたのだから、それでいい……。




