『部室に一つだけの椅子に座った先輩が、太ももを叩いて誘ってくる』
放課後になり、僕は今日も『文芸部』の扉を開いた。
部室の中には長机とパイプ椅子が一つだけ。
唯一のパイプ椅子には、セーラー服を着た三つ編みの女生徒――先輩が座っていた。
「お疲れ様です」
鞄を触っていた先輩は僕に気づき、椅子をガタガタといわせながら立ち上がる。
僕より頭一つ背が高い先輩。
今日もこの狭い部室に、二人っきり。
情けないくらい自分の鼓動がうるさい。
「……来るのが、早いですね」
「いつも通りですよ先輩」
僕の気も知らない先輩は、立ったままスカートを払ったり、乱れたスカーフを整えたりと忙しない。
落ち着きのないときの先輩は、いつもなにかを企んでいる。
「先輩……何を隠しているんです」
「なにも、隠してないですよ?」
僕を頑なに見ようとしない先輩。
先輩から視線を外し、部室内を見回す。
普段は長机の周りに並んでいるパイプ椅子が、どこにも見当たらない。
「他のパイプ椅子はどうしたんです」
「……家出、したんじゃないですか?」
先輩をよく見ると、息は上がり、薄っすらと汗をかいている。
まるで急いで何かを運んだ後のようだ。
目を細めて先輩を見る。
その視線に耐えるように先輩は声を張り上げ、鞄から一冊の本を取り出した。
「この本を一緒に読みましょう!」
「いや……椅子が一つしかないんですけど」
僕の疑問に答えるように、先輩はどっしりとパイプ椅子に座ると、本を持っていない手を振り上げ、スカートの上から自分の太ももを叩いた。
肉付きのいい太ももから、想像以上に綺麗で、それでいて豪快な音が鳴る。
「私のここ、空いていますよ?」
そう言って微笑む先輩から、異様な圧力を感じた。
「小柄なあなたを膝に乗せるくらい、私には訳もありませんけど」と言外に訴えてくるようだ。
それはさながら、大魔神の風格。
視線を彷徨わせていると、先輩が持っている本のタイトルが目に入った。
『年上から好かれる方法』
この先輩の目的が僕にはわからない。
とりあえず、心を無にして自分にできることをしようと思う。
「顧問に怒られるのでパイプ椅子の在り処を今すぐ吐いてください」
先輩が隣の部室に運んだパイプ椅子を元に戻し、腰掛ける。
座る場所は、うなだれている先輩から長机を挟んで正面の席。
先輩の顔がよく見える位置だ。
「先輩はなにがしたかったんですか?」
机に突っ伏したままの先輩が震える。
「……きみに」
「僕に?」
「……読み聞かせをしたいんです!」
「人をガキ扱いすんじゃねえ『太もも大魔神』が!!」
「大魔神!?」と顔を上げて抗議してくる先輩。
僕はそんな先輩を無視して、長机の上に放置されていた『年上から好かれる方法』に手を伸ばす。
「それで僕にこの本を読ませて、どうしたいんです? いい音がなるくらいしっかりとした太ももを持つ、『太もも大魔神』先輩?」
僕は質問しながら、涙目の先輩に向かって、見せつけるように自分の太ももを叩いてみせた。
僕の太ももは大魔神先輩ほど綺麗な音は出ない。
僕が何度も自分の太ももを叩き、先輩との音の違いを聞かせ続けた結果。
先輩に「わ、私は、ふ、太もも大魔神、です」と認めさせることが出来た。
あと、その流れで企みも白状させた。
「『好きな人を作って片思いがしたかった』?」
「そうです……」
先輩は三つ編みを揺らしながら頷く。
「……もしかして先輩は、僕のことが好きなのですか?」
僕は今、自惚れているのかも知れない。
先輩とはいつもじゃれ合っていて仲が良い。
今日も、僕を膝に乗せようとしてくれた。
だから、先輩も僕と同じ気持ちなんじゃないかって、期待をしてしまう。
「いえ? 今のあなたに恋愛的興味は全くありませんが……?」
一点の曇もない瞳を向けてくる先輩。
顔から熱が抜けていくのがわかる。
むしろ寒い。
僕は頬杖をつき、足を投げ出した。
「異性と意識されない僕にもわかるように、説明してもらえますかね!」
「つまり……私はあなたを改造したいのです!」
真面目な顔で先輩が物騒なことを言いだした。
「あなたのことを! 私が興味を持てるくらい魅力的な男性に作り変えて! 私は秘めた片思いを楽しみたいのです!!」
「今の僕を完全否定する罪悪感とかないんですか!?」
先輩の表情が僅かに曇る。
「あなたのことは、愉快な後輩だと思って親しみは覚えていますが……」
「いや、もういいです。何も言わないでください」
「一切、全く、一欠片ほども」
「なにもしゃべるなぁぁ!」
「あなたから男性的魅力を感じません」
「……」
「あと、『太もも大魔神』とか言ってセクハラしてくる子供っぽさも、ありえません」
「…………ごめんなさい」
好きな人に、見た目だけじゃなく中身もガキだと言われた。
穴に埋まって土に還りたい。
情けなくて泣けてくる。
「そんなあなたを作り変える、その第一歩がこの『年上から好かれる方法』なのです」
「先輩は……僕のこと、嫌いなんですか?」
「いきなり『大魔神』扱いを強要されたので、ダンゴムシの次くらいです」
「ごめんなさい!」
「反省したのなら、あなたはこれから『年上から好かれる方法』を読んで、好感を持てる男の子になってください」
「わかりました!!」
先輩から『年上から好かれる方法』を受け取る。
絶対この本の内容を身につけて、先輩に好きになってもらう!
「……いや、待ってください」
「どうしました?」
「なぜ、僕なんです?」
「なぜって……そんなの決まってるじゃないですか」
先輩が、僕の両手を包むように掴んだ。
柔らかく、温かい感触に、胸が弾む。
「私は男性を好きになった経験がありません」
手から伝わってくる、先輩の震え。
「ですので、何度も失敗をしてしまうと思うんです。間違えたり、わからなかったり……相手を傷つけてしまったり」
先輩と目が合う。
先輩の震えが、止まった。
「だから――」
先輩は力強く、僕に宣誓する。
「あなたを選んだ理由は! 私のことがとても大好きで! 私が多少無茶をしても! 私を嫌わないと! 確信を持てるからです!!」
「悪女じゃねえかぁぁ!!」
結局その後、押し切られる形で僕は先輩の膝の上に座ることになった。
そして、そのまま『年上から好かれる方法』の朗読を強要された。
僕の身体に、先輩の柔らかさが、覚えさせられていく。
ページを読み進めるたび、僕の頭を撫でる先輩が、ボソリと呟く。
「……早く私を惚れさせてくださいね」
そのたびに僕は無心で声を張り上げ、『年上から好かれる方法』の朗読を続けた。




