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酒場フレンズ〜酒場仲間が悪に手を染めたらしいから助けに行く〜

作者: しばらく芝

酒場で仲間と杯を交わし、笑い合いながら冒険に挑む日々。

人の良さと仲間思いで知られる冒険者ライガは、ある日、探索中のダンジョンで“裏ダンジョン”への入口を偶然発見してしまう。


そこで彼が手にしたのは、常識を覆すほどの超能力“闇の刻印”。

最初は仲間を守るために振るわれたその力だったが、次第にライガは強さに酔いしれていく。


「俺なら……世界だって変えられる」


仲間と酒を飲み交わした日々は遠ざかり、やがて彼の瞳は権力と欲望に染まっていく――。

そして物語は、かつての“飲み仲間”たちの視点へ。

彼らは気づく、ライガが“道を誤り始めた”ことに。


かつての友を救うための戦いが、今、幕を開ける。


「かんぱーい!」


木製のジョッキが何十と打ち鳴らされる音が、薄暗い酒場の天井に反響した。ランタンの炎が揺らめき、煙草と酒の匂い、そして冒険者たちの喧噪が混じって、場はいつものように騒がしい。

その中心で、俺――ライガ・ドルマンは豪快にジョッキを掲げていた。


「いやぁ、今日も無事に帰ってこられたな! ルカ、お前の弓がなかったら俺はゴブリンの矢で串刺しになってたぞ!」


「はっ、串焼きなら美味しそうだけどな!」

弓使いのルカが肩をすくめると、横で僧侶のマリーナが呆れたようにため息をついた。


「ほんとに……。ライガはいつも無茶ばっかり。あれじゃあ傷を癒す私の身にもなってほしいわ」


「ははっ、悪い悪い! でもよ、無茶をしてでも仲間を守るのが俺のモットーだからな!」


胸を張って言うと、周囲の冒険者仲間たちが「おおー!」と囃し立てる。

これが俺の“日常”だ。昼間は仲間とダンジョンに潜り、夜はこうして酒場で飲む。困ってる奴がいれば助け、分け前はきっちりみんなで分ける。俺は特別強いわけじゃないが、仲間と笑ってるこの時間が好きだった。



---


「なぁ、ライガ。お前、王都のギルドで昇格試験受ける気はないのか?」

ルカがふと真顔で聞いてきた。


「ん? あー、まぁ……興味がないわけじゃないけどよ。俺は今のままで十分だ。金がなくても仲間がいりゃあ幸せだしな!」


「……お前、そういうとこ好きだわ」

マリーナが小さく笑った。珍しく褒められた気がして、なんだかむず痒い。


だがそのとき、カウンターの奥から妙に胡散臭い声がした。


「ふふん……“今のままで十分”か。はたして、それはどうかな?」


振り返ると、ローブを深くかぶった老人がワインを揺らしながら俺を見ていた。長い白髭に、瞳はどこか底知れぬ光を宿している。


「なんだよ爺さん、俺に説教でもすんのか?」

「いやいや。ただ……人の心など、力ひとつで簡単に変わるものだと教えてやりたいだけよ」


その言葉に、一瞬だけ場の笑い声が止んだ。だが、俺はすぐに大声を上げてかき消した。


「ははっ! じいさん、冗談きついぜ! 俺が力でどうこうなんてあるかよ! 俺は俺だ! なぁ、みんな!」


「おー!」

仲間の声援が飛び、再び酒場は賑わいに戻る。

だが、あの老人の瞳の光だけは、俺の胸に妙な不安を残した。



---


その夜。

月明かりの下、酔いを覚ましにひとりで帰路を歩いていると、どこからか声が聞こえた。


――力を欲するか。


「……誰だ?」

辺りを見回しても、夜風が吹くだけで誰もいない。

酔いすぎて幻聴でも聞こえたかと思った。だが確かに、胸の奥にざらりとした感覚が残っていた。


「力、ねぇ……俺は別に……」

そう口にしながらも、どこかで“もし本当に強い力があれば、もっと仲間を守れるんじゃないか”という考えが頭をよぎった。


酒場での笑い声が、遠いもののように聞こえる。

俺はその夜、妙な胸騒ぎを抱えたまま眠りについた。





---


その翌日。

俺たちはいつものように、近場のダンジョンへ潜っていくことになった。

だが――その日こそが、俺の“人のいい冒険者ライガ”としての最後の日になるとは、夢にも思っていなかった。

---


「よし、準備はいいな!」


石造りの階段を降りながら、俺は後ろを振り返った。

ルカは矢筒を軽く叩いて「矢は十分だ」、マリーナは聖印を胸に握り「神の加護はある」と答える。戦士のゴルドは大剣を肩に担いで「腹も減った、さっさと片付けて昼に肉を食おう」と笑った。


「ははっ、肉か! よし、今日は俺が奢ってやるよ!」


「おいライガ、また赤字になるぞ?」とルカに突っ込まれ、俺は肩をすくめる。

赤字でもいい。仲間が笑っていれば、それだけで満足だった。



---


このダンジョンは“灰竜の巣”と呼ばれる中級クラス。

ゴブリンやオークがうじゃうじゃいるが、俺たち四人で組めば危なげなく突破できる程度の難易度だ。


「右から三体! 任せろ!」

ルカが矢を放ち、ゴブリンの喉を正確に射抜く。


「傷は浅い! 神よ、この者に癒しを!」

マリーナの光がゴルドの腕の切り傷を瞬時に閉じていく。


「おらぁぁ!」

ゴルドが大剣でオークを両断し、俺は横から突っ込んできた奴を盾で受け止め、喉元に剣を突き立てた。


「ふぅ……今日も順調だな」

汗をぬぐう俺に、ルカが笑って言った。

「順調すぎて、なんか物足りないくらいだ」


「ははっ、それならもっと奥に行こうぜ!」

俺は仲間を振り返り、自然と足を進めていた。



---


奥へ進むにつれて、ダンジョンの空気が変わった。

壁の苔は黒ずみ、松明の炎も青く揺らぐ。通路の先から、低く唸るような音が聞こえてくる。


「なぁ……なんか、変じゃないか?」

マリーナが足を止め、聖印を強く握った。


「気のせいだろ。魔物の声かもしれん」

ゴルドはそう言うが、ルカは弓を構えながら周囲を見渡していた。


「いや……これは普通のモンスターの気配じゃない。もっと……底が抜けるような……」


その瞬間だった。

床の石がずれるような音がして、俺たちの足元が沈んだ。


「うわっ!?」

「きゃあ!」


石床が崩れ、四人とも闇の中に吸い込まれていった。



---


落ちた先は――“空洞”だった。


「……痛てて……生きてるか、みんな!」

俺が声を張ると、ルカたちの呻き声が返ってくる。全員軽傷で済んだらしい。


だが、問題は別にあった。

俺たちが落ちた先は、地図に記されていない空間。

黒い岩肌が螺旋のようにうねり、壁一面に古代文字のような刻印が浮かび上がっている。


「……こんな場所、聞いたことがない……」

マリーナが震える声でつぶやいた。


俺も同じ気持ちだった。

だが、妙に胸が高鳴っていた。まるで“呼ばれている”ような感覚。


「おい、見ろ!」

ゴルドが指差す先に、巨大な扉があった。黒曜石で作られたような質感、中央には赤い紋章が輝いている。


ルカが舌打ちする。

「やばい雰囲気しかしねぇな……。帰ろう、ライガ」


「帰る? こんな機会、二度とねぇかもしれねぇぞ!」

俺は興奮で声が上ずっていた。


「バカ! 罠かもしれないだろ!」

ルカの制止を振り切り、俺は扉に手をかけた。

触れた瞬間、紋章が光を放ち、扉が低い音を響かせながら開いていく。



---


中は祭壇のような空間だった。

中央に黒い水晶が浮かび、脈打つように光を放っている。


「……力を欲するか」

まただ。あの夜に聞いた声が、今度ははっきりと耳に届いた。


「な、なんだ!? 誰の声だ!?」


「聞こえるのか……ライガにだけ?」

マリーナが驚愕の表情で俺を見ていた。


俺は答える余裕もなく、水晶へ引き寄せられる。足が勝手に動く。

仲間の叫び声も、もう耳に届かない。


「力を望むなら、触れよ」


水晶の声が頭に直接響いた。

俺は……手を伸ばした。



---


次の瞬間、凄まじい光と衝撃が体を貫いた。

脳裏に、炎の海や崩れ落ちる街、跪く群衆の幻が流れ込む。


「お前が……世界を変えるのだ」


水晶の声が最後にそう告げた瞬間、俺は絶叫した。



---


光が収まったとき、俺の手には黒い刻印が浮かび上がっていた。

それが何を意味するのか――まだ誰も知らなかった。


ただ、その時から俺は、“人のいい冒険者”ではなくなり始めていた。


---


「ライガ! 大丈夫か!?」


ルカの声で我に返った。視界はまだ揺らいでいる。

だが――身体の奥に、これまでにない“熱”が宿っていた。まるで全身に雷が走っているような、暴れ馬を無理やり飼い慣らしているような……。


「……俺は、大丈夫だ」

そう答えると同時に、頭上の岩壁から突如として魔物の群れが雪崩れ込んできた。

無数の黒いゴブリン。牙を剥き、こちらに殺到してくる。


「ちっ! 逃げ場がねぇ!」

ゴルドが大剣を構えるが、数が多すぎる。


「マリーナ! 防御魔法を!」

「ま、間に合わない!」


その瞬間――俺の手の刻印が熱を帯びた。

気づけば、俺は掌を突き出していた。


「――消えろッ!!」


轟音。

俺の目の前に黒い閃光が走り、ゴブリンの群れをまとめて吹き飛ばした。

数十体が一瞬で灰と化し、残りは怯えて後退していく。


「な……」

仲間が唖然と立ち尽くす中、俺だけが呼吸を荒げていた。


「はぁ……はぁ……今のは……俺が……?」


そうだ。間違いない。

あの“水晶”が俺に授けた力。



---


「ラ、ライガ……すごいじゃないか! お前、そんな魔法が使えたのか!?」

ルカが目を丸くする。


「違う……俺は今まで、こんな……」


「でも助かったわ!」

マリーナが顔を輝かせて俺の腕を握る。

「さっきの群れ、私たちじゃ到底防げなかった。ライガがいなきゃ死んでたのよ!」


「……ははっ、そうか……俺が、みんなを守ったんだな……」


その言葉が、甘い蜜のように胸に染み渡った。



---


だが。

俺は同時に、自分の中にもうひとつの感情が芽生えていることに気づいた。


――快感。


あれほどの魔物を、一瞬で灰にした。

剣も盾も必要ない。ただ手をかざすだけで、敵は消える。

仲間を守れたことの喜びよりも、“圧倒的な力を振るった”という事実が、脳髄を痺れさせるように心地よかった。


「……ライガ?」

ルカが怪訝そうに俺を見つめる。

俺は慌てて笑って誤魔化した。


「いや、なんでもない! とにかく、今はここを脱出しよう!」



---


帰還の道すがらも、俺の頭の中は力のことでいっぱいだった。

(この力があれば……もっと守れる。もっと強くなれる。誰よりも頼られる存在に……!)


だが、心のどこかで小さな声も囁いていた。

(いや……本当に守るためだけに、この力を使えるのか? さっきの一撃……楽しんでなかったか?)


その声を、俺はかき消すように大声で仲間に話しかけた。

「なぁ、帰ったらまた飲もうぜ! 今日は俺の奢りだ!」


「またかよ! 借金だらけになるぞ!」

ルカが笑い、ゴルドが「それなら肉山盛りで!」と叫び、マリーナが「ほんとにもう……」と呆れる。


酒場に戻れば、きっと笑い合える。

だが俺の掌には、まだ黒い刻印の熱が残っていた。


それはまるで、次を求める獣のように……。



---


「よし、乾杯だ!」


ギルドの酒場に戻った俺たちは、いつものようにジョッキを掲げた。

ただ、今夜の俺は以前と違っていた。

周囲の冒険者たちが俺を見てざわめいている。


「あいつだ……裏ダンジョンで魔物を一撃で吹き飛ばしたって……」

「ライガ・ドルマン……やっぱ只者じゃねぇ」

「いや、聞いた話じゃ、光じゃなくて黒い魔力だったらしいぜ?」


そんな囁きが耳に届くたび、胸の奥がじんじんと熱くなる。

(そうだ……俺は特別なんだ。もうただの“酒場の兄ちゃん”じゃない。俺は――選ばれたんだ!)



---


「ライガ、さっきから聞いてる?」

マリーナの声で我に返った。


「ん? 悪い、ぼーっとしてた」

「次の探索の話よ。ギルドは“灰竜の巣”の奥へはしばらく立入禁止にしたらしいわ。落盤の危険があるとかで」


「ふん、くだらねぇ。あの程度の崩落、俺がいればどうとでもなる」

俺は思わず吐き捨てるように言っていた。


「おいライガ、落ち着けよ」

ルカが真剣な目で俺を見た。

「俺たちはチームだ。無茶は禁物だろ? 今までだってそうやって乗り越えてきたじゃないか」


「……チーム、ね」

口の中で転がすように呟いた。

(でも結局……最後に仲間を救ったのは俺の力だっただろう? あの瞬間、俺がいなきゃ全員死んでた。俺が……!)



---


その数日後。

俺たちは別のダンジョンに潜っていた。

だが、俺は以前のように仲間と連携を取らなくなっていた。


「ライガ、右から二体来る!」

ルカの声。だが俺は無視して刻印をかざした。


「くだらねぇ! 一撃で吹き飛べ!」


黒い閃光が走り、敵どころか通路ごと爆ぜて崩落した。

土煙の中、仲間の怒鳴り声が響く。


「おい! 危ねぇだろ!」

「もう少しで私たちまで巻き込むとこだったのよ!」


「……助かったんだから文句言うな」

俺は冷たく言い放ち、背を向けた。


沈黙が、パーティを覆った。

かつては笑い合っていた仲間の声が、今は俺の耳に煩わしく響く。



---


その夜。

ひとりで街の屋根に腰掛け、月を見上げる。


(仲間……仲間……? 本当に必要か?)


俺ひとりなら、あんな面倒なやり取りをせずとも敵を倒せる。

誰かの援護も、癒しもいらない。

それどころか、俺が本気を出せば――この街すらも一瞬で消し飛ばせる。


その想像に、思わず笑いがこみ上げた。

「ははっ……! 俺は……最強だ……!」


だが次の瞬間、胸の奥にチクリとした痛みが走る。

――本当にそれでいいのか?

――お前は、仲間と笑っていた日々を守りたかったんじゃないのか?


「……うるさい」

俺はその声を振り払うように、黒い刻印を強く握りしめた。

月明かりの下、その光はますます濃く輝いていた。



---


「なぁ……最近のライガ、なんか変じゃねぇか?」


酒場の片隅で、俺――ルカは小声で仲間に切り出した。

ジョッキを傾けるゴルド、真剣な顔で聖印を撫でるマリーナ。

かつてはただの飲み友達だった俺たち三人が、今や深刻な顔で“あいつ”の話をしている。


「変……どころじゃないわ」

マリーナが首を振る。

「この前のダンジョン攻略、覚えてる? 私たちの位置なんて気にもせずに、あの力をぶっ放して……危うく巻き込まれるところだったのよ」


「だがよ、強いのは確かだろ」

ゴルドは苦笑いを浮かべる。

「アイツがいりゃ、どんな敵だって怖かねぇ。……ただ、あの目はな……」


そう。

問題はそこだ。

ライガの目。


力を手に入れてからというもの、あいつの目はまるで別人のようになった。

かつては気さくで、人を守るために必死で剣を振るっていた男。

だが今の目は――獲物を見下ろす猛獣のそれだった。



---


「このままじゃ……ライガは危険だわ」

マリーナが震える声で続ける。

「力に飲み込まれてる。あのまま放っておいたら……きっと……」


「……街ごと吹っ飛ばすかもな」

俺の口から出た言葉に、三人とも沈黙した。


笑って酒を酌み交わしていた時間が、もう遠い昔のように思える。

いや、違う。あの時間は確かに存在していた。

だからこそ――取り戻さなきゃならない。



---


「なぁ……お前ら」

俺は真剣に二人を見た。

「ライガを止めよう。力に溺れてるアイツを……俺たちで正気に戻すんだ」


ゴルドは大きくため息をついて、豪快にジョッキを空けた。

「ったく……めんどくせぇことになったな。けど、仲間を放っとくのは性に合わねぇ」


マリーナも強くうなずく。

「……そうね。見て見ぬふりなんてできない。あの人は……私たちの大切な仲間だったもの」



---


その夜、酒場の灯りはやけに冷たく感じられた。

あいつの豪快な笑い声も、もう聞こえない。

だが――俺たちは心に決めた。


ライガを敵として倒すのではなく、友として正気に戻す。


たとえそのために剣を向けることになろうとも。


こうして、“飲み友達”だった俺たちの戦いが始まった。


---


「……ライガの居場所はわかったのか?」


ギルドのカウンターで、俺――ルカは情報屋の老婆に問いかけた。

しわだらけの顔が苦々しく歪む。


「最近、近郊の村が魔物に襲われてのう……。どうやら“黒い光”で一瞬にして焼き払われたらしいんじゃ。生き残りが『笑いながら魔物を吹き飛ばす男』を見たと証言しとる」


「……笑いながら?」

マリーナが小声で繰り返した。

その声には、悲しみと恐怖が入り混じっていた。


「行こう」

俺は拳を握った。

「これ以上……あいつをひとりにしておくわけにはいかない」



---


道中。


ゴルドが大きな背中を揺らしながら愚痴をこぼす。

「ったく……なんで俺たちがこんな真面目に“救世の旅”みたいなことしてんだ? ただの飲み仲間だったはずだろ」


「ただの飲み仲間じゃなかったでしょ」

マリーナが静かに返す。

「……あの人、いつも誰より先にジョッキを差し出して、誰よりも大声で笑って……そして、誰よりも真っ先に仲間を守ろうとした」


「……」

俺は黙って歩きながら、あの夜を思い出していた。


血だらけになりながらも「先に帰れ!」と笑って剣を振るっていたライガ。

倒れた仲間を背負い、酒場で「こいつの分も飲む!」と叫んでいたライガ。

あの時の笑い声が……今も耳に残っている。


(だからこそ、戻さなきゃいけないんだ。力なんかに飲み込まれる前の……あのライガに)



---


夜。野営地。


火を囲みながら、ゴルドがぽつりとつぶやいた。

「なぁ……もしよ」


「……もし?」

俺とマリーナが顔を上げる。


「もし、ライガが完全に……戻れねぇとしたらどうする?」


火の粉が、夜空に舞う。

重苦しい沈黙が降りた。


「それでも……」

マリーナが震える声で言った。

「それでも、私は最後まであの人を信じるわ。たとえ……剣を向けられたとしても」


「……あぁ。俺もだ」

俺はうなずいた。

(例えどんな姿になっても、ライガは俺たちの仲間だ。見捨てたりなんかしない)


ゴルドも頭をかきながら笑った。

「ったく……そう来ると思ったぜ。じゃあ俺もついていくしかねぇな。飲み友達を裏切るわけにはいかねぇしな」


三人の視線が交わり、火をはさんで力強くうなずき合った。


こうして俺たち“元・飲み仲間”は、正式に決意した。

――ライガを救う旅に出ることを。



---


村の外れは、静まり返っていた。

いや――正確には「静かすぎた」。


獣の声も、虫の音もない。

ただ、焼け焦げた大地の匂いと、まだ燻る煙だけが残されている。


「……ひでぇな」

ゴルドが鼻を覆った。

「まるで竜のブレスでも浴びたみてぇだ」


「違う」

俺は跪き、黒く焼け焦げた地面に触れた。

「これは……ライガの力だ」


マリーナがぎゅっと聖印を握る。

彼女の目には涙が滲んでいた。



---


そのときだった。


「おぉ……やっぱり来たか」


声と同時に、背筋を冷たくするような圧力が空気を満たした。

振り返ると、丘の上に立つ人影――。


かつて俺たちの仲間だった男。

“黒き刻印”を右腕に刻み、月光を背に笑うライガ。


「ライガ……!」

思わず声が出る。


「久しいな、飲み仲間たち。こんなところで何してる?」

その声は軽い調子だったが……眼差しは冷たい。



---


「お前がやったのか……この村を」

俺は問いかける。


「ふん……魔物の巣窟だった。俺が蹴散らしてやっただけだ。感謝されてもいいくらいだぜ」

ライガはあっさりと言い放った。


「でも……人間まで巻き込まれてるじゃない!」

マリーナが叫ぶ。


「弱い奴は淘汰される。それが世界の理だ。俺はその力を与えられた――ただそれだけのこと」


その言葉に、俺の胸が締め付けられる。

かつて「どんな小さな命でも守る」と言っていたライガが……自分の口で「弱者は不要」と切り捨てている。



---


「ライガ……目を覚ませ!」

思わず声を張り上げた。

「お前はそんな奴じゃなかったはずだ! 俺たちと一緒に笑って、飲んで、戦って――!」


「……もう終わったんだよ、そんな時代は」

ライガの声は冷え切っていた。

「お前らは俺を止めに来たんだろ? なら……敵だ」


そう言った瞬間、黒い閃光が走った。


「くっ!」

咄嗟に剣を構える俺。

轟音とともに地面が抉れ、土煙が舞い上がる。


ライガは本気ではなかった。

だが――明らかに「警告」ではなく「試し斬り」だった。



---


「……来るなら来い。だが忠告してやる」

煙の中から聞こえる声。


「次に俺の前に立ったときは……容赦しない」


土煙が晴れた時には、ライガの姿はもうなかった。



---


「……ライガ」

俺は剣を握りしめた。

「必ず、お前を取り戻す。たとえ敵として戦うことになっても……!」


ゴルドとマリーナも、静かにうなずいた。


こうして俺たちとライガの道は、完全に分かたれた。

だが同時に――本当の意味での戦いが始まったのだった。


---


「……森の奥に“黒い魔獣”が出たらしい」


町の掲示板の前で、俺――ルカは依頼書を睨んでいた。

情報によれば、その魔獣はライガの力によって生み出された可能性があるという。


「行こう」

俺は依頼書を引き抜いた。

「ライガの痕跡を追うには、こういう手がかりを逃すわけにはいかない」


「おいルカ、本気か?」

ゴルドが腕を組む。

「黒い魔獣って話、どの冒険者も手を出してねぇぞ? それにもしライガがそこにいたら――」


「だったらなおさらだ」

俺はゴルドを見据えた。

「立ち止まってる暇はない」


マリーナも小さくうなずく。

「……ライガを追うなら、私たち自身も強くならなきゃ」



---


森の奥。

そこは静寂に包まれていた……はずだった。


「ギャアアアアアアア!」


突如、黒く変色した狼が飛びかかってきた。

その姿はまるで影そのもの。目は血のように赤く輝いている。


「来るぞ!」

俺は剣を抜き、ゴルドが盾を構える。


「マリーナ!」

「了解っ!」


マリーナの詠唱が響き、光の矢が狼を射抜いた。

だが、傷口はすぐに“黒い瘴気”で塞がっていく。


「回復しやがった!?」

ゴルドが目を剥く。


「違う……これはライガの力の残滓よ!」

マリーナが叫んだ。

「この狼は“刻印”に汚染されてる!」


「ってことは……力そのものを断ち切らねぇとダメか!」

ゴルドが吠え、盾で狼を叩き伏せる。


俺は深呼吸し、剣に力を込めた。

(ライガ……お前の残した力ごと、斬り払う!)


「はあああああっ!」


閃光が走り、狼を包む影を切り裂いた。

断末魔とともに、狼の体は霧のように消えていった。



---


「……はぁ、はぁ……」

剣を収めた俺は、息を整える。


「お前、やるじゃねぇか」

ゴルドがニヤリと笑う。

「以前より剣筋が鋭くなってやがる」


「……俺たちも成長してる。ライガに追いつくためにな」

俺は剣を見つめた。

「次に会ったときは……絶対に負けない」


---


一方その頃――。


ライガは廃墟となった城の玉座に腰かけていた。

周囲には、彼の力によって“黒の眷属”となった魔物たちがひれ伏している。


「フン……人間どもは弱い。だがこうして魔物を従わせれば……世界は簡単に掌中に収まる」


酒杯を持ち上げ、ライガは黒い液体を口に流し込んだ。

それは酒ではなく、魔力を濃縮した毒のような液体――。

だが、彼の舌には甘美な蜜に感じられる。


「くっ……はははっ……! これが力だ……! 俺が望んでいた世界……!」


だが、ふと笑いが途切れる。


――酒場で交わしたジョッキの音。

――仲間とバカ話をして笑い転げた夜。

――“お前がいてくれて助かった”とルカに言われた瞬間。


記憶が脳裏をよぎり、胸の奥がわずかに痛む。


「……ちっ」

ライガは苛立つように酒杯を投げ捨てた。

「もう必要ねぇ……俺は俺の道を行く……!」


その目は赤黒く輝き、心の葛藤をかき消すようにさらに深い闇に沈んでいった。


---


「黒い狼を倒したって? お前ら、ただの飲んだくれじゃなかったんだな」


次の町――エルドの宿屋で、俺たちはひとりの青年に声をかけられた。

背は高く、黒髪に金の瞳。軽装だが、腰の二本の短剣は使い込まれている。


「……あんたは?」

俺が警戒して問い返すと、青年は軽く片手を上げて微笑んだ。


「カイって呼んでくれ。旅の傭兵さ。最近、各地で“黒い魔獣”の噂を追ってる」


「黒い魔獣……」

マリーナが息を呑む。

「それって、ライガの……」


「そうだ。俺もそれを追ってる。だが、どうやらお前らは直接その“元凶”を知ってるらしいな?」

カイの目が細められる。


俺は少し迷ったが、正直に答えた。

「……ライガは、俺たちの仲間だった」


「ははっ、仲間が世界の脅威になっちまったってわけか。面白い」

カイは肩をすくめる。

「よし、俺も協力してやるよ」



---


「……簡単に言うけどよ」

ゴルドが不満そうに唸った。

「アンタ、なんでそんなに首を突っ込みたがるんだ?」


「理由?」

カイはジョッキを煽り、口を拭った。

「単純だ。俺は“強者”を見たい。世界を震わせるような力に挑みたい。……それだけさ」


その言葉は軽薄に聞こえたが、目だけは真剣だった。

(こいつ……ただの好戦的な野郎じゃないな。なにか“狙い”がある……)


俺は警戒心を胸に残しつつも、うなずいた。

「いいだろう。だが――ライガを“殺す”ために来るなら、俺たちとは一緒に行けない」


カイはにやりと笑った。

「へぇ、なるほど。お前らはまだ“救おう”としてるのか。……気に入った」



---


その夜。


マリーナが小声でつぶやいた。

「ルカ、本当にあの人を信用していいの?」


「……わからない。でも俺たちだけじゃ、ライガには追いつけない」

俺は焚き火を見つめながら答えた。

「だからこそ、使える力は使うしかないんだ」


ゴルドが肉を頬張りながら笑う。

「まぁ、怪しい奴だけどよ。口だけのヘタレなら、とっくに森で狼の餌だろ。実力はあるさ」


「それに……」

マリーナは小さく笑った。

「なんだか、ライガが最初に仲間になった時と少し似てる」


俺は少し驚いた。

確かに――危なっかしくて、掴みどころがない。けれど、不思議と惹きつけられる。

(……もしかすると、この出会いも必然なのかもしれない)



---


夜が更ける。


焚き火の向こう、カイは星を見上げていた。

「……“黒き刻印”か。さて、どんな真実を隠してやがる……?」


彼の呟きは、俺たちには聞こえていなかった。



---


「……来たか」


黒く沈んだ廃城の玉座。

ライガの前に、影のような魔物たちがひれ伏していた。


人の形を残したもの、獣の姿を歪められたもの、あるいは骨だけに成り果てたもの。

そのどれもが「刻印」に支配された眷属。


ライガは、かつて仲間と笑い合った笑顔とは正反対の――支配者の笑みを浮かべていた。



---


「お前たちは、俺の兵となれ」

ライガの声は低く、しかし力強く響く。

「弱者は淘汰され、強者だけが世界を導く。それが理だ」


魔物たちが一斉に咆哮をあげた。

闇に包まれた広間に、その叫びが響き渡る。


「フフ……愚かな人間どもは“守る”だの“救う”だのとほざく。だが俺は違う。俺が望むのは――」


ライガは立ち上がり、右腕の刻印を掲げた。

刻印は赤黒く脈打ち、天井の瓦礫に禍々しい光を映す。


「世界の征服だ」



---


その瞬間、空気が変わった。

廃城そのものが呼応するかのように震え、壁に刻まれた古の紋様が淡く光り始める。


「……お前たちが俺の軍となり、この腐った世界を塗り替える」

ライガの声はもはや人間のものではなかった。

「弱き者は消えろ。力ある者だけが、生き残ればいい」


眷属たちが再び吠える。

彼らの目には従属の色だけがあり、そこに意思は残されていない。



---


だが、その熱狂の中で――。


ライガの脳裏にふと、あの日の記憶が蘇る。

酒場の木のテーブル。

ジョッキを掲げるルカの笑顔。

「お前がいてくれて、本当に助かる」――そう言われた夜。


……一瞬だけ、胸の奥に空虚な痛みが走る。


「……チッ」

ライガはそれを振り払うように玉座へ腰を下ろした。


「迷いは不要だ。俺は……この世界の王となる」


玉座に響いたその言葉は、闇を支配する誓いとなった。


---


「……次の街が危ないらしい」


エルドを出て三日後、俺たちは冒険者ギルドで耳にした噂を整理していた。

黒い瘴気を纏った魔物の群れが北へ進んでいる。進行方向には交易都市ベルダ。


「ベルダか……」

ゴルドが顔をしかめる。

「あそこは人も多い。もし襲われりゃ被害は計り知れねぇぞ」


「ライガの軍勢、ってことよね」

マリーナの声が震えていた。

「まだ街の人は信じてないみたい……ただの魔獣の群れだって」


「……信じられないのも仕方ないさ」

俺は拳を握りしめる。

「かつて仲間だった男が、街を滅ぼそうとしてるなんてな」


カイが鼻で笑った。

「だから面白いんじゃねぇか。英雄が堕ちた先に、何を築こうとしてるのか……俺はこの目で確かめたい」


「……カイ、遊びじゃない」

マリーナが睨みつける。

「私たちはライガを止めるために行くの」


「分かってるさ」

カイは肩をすくめ、しかし短剣の柄に軽く触れた。

「止める方法はひとつじゃねぇ。お前らが説得したいならすればいい。……だが、覚悟は決めとけよ」


俺は黙って頷いた。

心の奥に広がるのは恐怖でも後悔でもなく――決意だった。


「ベルダへ行く。……遅れるわけにはいかない」


---


その頃、交易都市ベルダ。


「――きゃあああああ!」


叫びとともに、街門が崩れ落ちた。

黒い狼の群れ、翼の生えた獣、瘴気を纏う鎧兵――それらが雪崩れ込む。


街の兵士たちは必死に槍を構えるが、触れた途端に武器が腐食し、鎧が黒く染まっていく。


「ば、化け物だぁぁ!」


混乱と悲鳴の中、ゆっくりと歩み出る影。

黒いマントを翻し、右腕の刻印を輝かせる男――ライガ。


「……ここから始めよう」

彼の声は冷たく街全体に響く。

「弱き人間の楽園は、今日で終わりだ」


魔物たちが咆哮を上げ、建物を破壊し、逃げ惑う人々を追い詰めていく。

火の手が上がり、空が赤く染まった。


ライガは玉座を思わせる崩れた石柱の上に立ち、冷笑を浮かべる。

「……世界征服への第一歩。

俺の時代の始まりだ」


だがその胸の奥に、一瞬だけ空白が広がった。

焼け落ちる屋台の匂いが、あの日の酒場を思い出させたのだ。


――ジョッキを掲げ、笑い合う声。

――“乾杯!”


ライガは目を閉じ、強引にその記憶を押し潰す。

「……不要だ。もう戻れはしない」


再び瞳に赤黒い光が灯り、指先の合図とともに眷属たちはさらに猛り狂った。


ベルダは、闇に呑まれようとしていた――。


---


「くそっ……もう始まってやがる!」


街の外からでも、炎と悲鳴ははっきり聞こえた。

ベルダの高い城壁から煙が立ち上り、空が赤黒く染まっている。


「急げ!」

俺は剣を抜き放ち、門へと駆け出した。


門はすでに破壊され、そこから瘴気を纏った魔物たちが雪崩れ込んでいた。

狼型の魔物が兵士を押し倒し、翼の獣が屋根を焼き払い、人々が泣き叫びながら逃げ惑っている。


「マリーナ!」

「分かってる!」


彼女が聖印を掲げ、光の壁を張る。

押し寄せてきた黒狼がその光に触れた瞬間、瘴気を弾かれて悲鳴を上げた。


「まだ効くみたい……! でも数が多すぎる!」


「なら、ぶった斬るまでだろ!」

ゴルドが斧を振り下ろし、狼を一撃で粉砕する。

血と瘴気が飛び散るが、ゴルドはお構いなしに吠えた。


「ルカ! 次だ!」

「任せろ!」


俺は剣を構え、襲いかかる影を切り裂く。

手応えは重く、まるで生きた鉄を斬っているようだったが――倒せない相手ではない!



---


「へぇ……思ったよりやるな」


不意に背後で聞こえた軽い声。

振り返ると、カイがいつの間にか魔物の群れの中に飛び込み、短剣を閃かせていた。

刃は黒い瘴気を裂き、次々と魔物の首筋を切り裂いていく。


「ひゃはっ、面白ぇ! この数……退屈はしなさそうだ!」


その動きは舞うように滑らかで、誰も追えない。

彼が斬り抜けた後には、黒い霧と魔物の残骸だけが残った。


「お前……」

俺が呆気にとられていると、カイは口の端を吊り上げた。

「安心しろ。俺は遊んでるだけじゃねぇ。ちゃんとお前らに合わせて動く」


「……遊んでる時点で信用ならねぇがな!」

ゴルドが怒鳴るが、カイは楽しそうに肩をすくめただけだった。



---


だが、問題は数だった。


魔物を倒しても倒しても、次々と瘴気から新たな影が生まれてくる。

まるで街そのものが「孵化場」と化しているようだった。


「まずい……このままじゃ押し切られる!」

マリーナの声は必死だった。

光の壁は次第に薄れ、祈りの声も震え始めている。


「……ライガ」

俺は焼け落ちる街を見渡した。

「いるんだろ……どこに隠れてる!」


その時――。


瓦礫の上に立つ、黒い影が目に入った。

かつての仲間、ライガ。

炎を背に、冷笑を浮かべながら俺たちを見下ろしていた。


「来たか……飲み仲間ども」


その声が届いた瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。


---


「ライガ!」


俺は叫んだ。

瓦礫の上に立つその姿は、かつての飲み仲間とは思えないほど冷たい。

だが、それでも――俺には分かる。あの男は、ライガだ。


「……よくここまで来たな」

ライガはゆっくりと右手を掲げた。

刻印が赤黒く輝き、周囲の魔物が一斉に吠える。

「だが――遅い。世界はすでに俺のものになり始めている」


「ふざけるな!」

ゴルドが斧を構えて怒鳴る。

「昔のライガはこんなこと言わなかった! 街を守るために命張ってただろうが!」


「守る?」

ライガは鼻で笑った。

「くだらん。弱者を守って何になる。背負った仲間に裏切られ、愚かな依頼人に利用され、何度も死にかけた……。

――俺は気づいた。力ある者が支配する、それが真実だと」


「ライガ……」

マリーナの声は震えていた。

「違う……あなたはそんな人じゃない。あなたは……」


「黙れ」

ライガが睨みつける。

その瞬間、マリーナの周囲に黒い鎖のような瘴気が伸び、彼女を絡め取ろうと迫る。


「マリーナ!」

俺は剣を振るい、鎖を断ち切った。

瘴気は霧散したが、ライガの瞳はますます冷たさを増していく。



---


「ルカ……お前もまだ夢を見ているのか」

ライガの視線が俺を貫いた。

「仲間を信じ、弱者を救い……その果てに何が残った? お前も知ってるだろう。俺たちは何度も裏切られ、捨てられた」


俺は歯を食いしばる。

確かに、冒険の中で裏切りもあった。利用されたこともあった。

だが――。


「だからこそ、俺たちは一緒に酒を飲んで、笑ってたんじゃないか!」

思わず叫んでいた。

「誰かに裏切られても、お前だけは裏切らなかった! だから……俺はライガを信じる!」


「…………」


一瞬、ライガの瞳に揺らぎが走った。

だがすぐに、赤黒い光がそれをかき消す。


「甘いな、ルカ。……その甘さごと斬り捨ててやる」


ライガが右腕を振るうと、闇の剣が現れた。

その刃は瘴気で形を変えながら、禍々しい輝きを放っている。



---


「来い……」

ライガが瓦礫から跳び降り、俺の前に降り立った。


「……ライガ!」

俺も剣を構え、踏み込む。


刃と刃がぶつかり、轟音が街を震わせた。

火花が散り、衝撃で瓦礫が吹き飛ぶ。


互いの力が、真正面からぶつかり合った瞬間だった。

---


「はぁっ!」

俺は全力で剣を振るい、ライガの闇の刃を受け止める。


ギィィィン!


火花とともに衝撃が走り、俺の腕が痺れる。

ただの一撃――それだけで膝が崩れそうになるほどの重さだった。


「どうした、ルカ」

ライガの声は冷ややかで、しかしどこか愉悦を帯びている。

「俺に勝てるとでも思ったか?」


「……まだだ!」

必死に食らいつき、剣を弾き返す。

その隙にゴルドが吠えながら斧を振り下ろした。


「うおおおおおっ!」


「遅い」


ライガが片腕を軽く振ると、黒い衝撃波がゴルドを直撃した。

巨体が吹き飛び、石畳を砕きながら転がる。


「ゴルド!」

俺とマリーナが同時に叫ぶ。


「ぐっ……まだやれる……!」

血を吐きながらも立ち上がるゴルド。だが足は震え、今にも崩れそうだ。



---


「チッ……さすがにやばいな」

カイが短剣を回しながら、ライガを睨む。

「お前、昔の倍どころじゃねぇ。もはや人間じゃないな」


「……それがどうした」

ライガが剣を構え直す。

「俺は人間であることをやめただけだ。強者であるためにな」


「へっ、強者ね……」

カイが口の端を吊り上げる。

「そういう奴ほど、足元をすくわれんのさ」


次の瞬間、カイの姿が消えた。

風のように駆け、ライガの背後に回り込む。


「もらった!」


短剣がライガの背に迫る――だが。


「……甘い」


ライガの背中から瘴気の槍が伸び、カイを弾き飛ばした。

空中で受け身を取ったものの、地面に叩きつけられて血を吐く。


「ぐはっ……!」



---


「やめろ、ライガ!」

マリーナが震える声で叫んだ。

彼女の祈りの光が迸り、仲間たちの傷を癒やしていく。


しかし、光はすぐに闇に飲まれる。

ライガの刻印が禍々しく輝き、周囲の瘴気が渦を巻いた。


「……無駄だ。お前たちの“絆”も“信念”も、すべて俺の前では意味を成さない」


瓦礫が崩れ、炎が街を包む。

兵士たちは次々と倒れ、人々の悲鳴が響き渡る。


ベルダは……もはや壊滅寸前だった。



---


「ルカ……!」

マリーナが必死に俺の腕を掴む。

「撤退を……考えないと……!」


「でも、ここで引いたら……!」

俺は唇を噛む。

「街の人たちが……!」


「お前らが死んだら終わりだろ!」

カイが血を拭いながら怒鳴る。

「今は勝てねぇ! 一度退くんだ!」


「……ッ!」


目の前に立つライガは、かつての仲間ではない。

その力は、俺たちの手に余るほど巨大だった。


---


「……くそっ!」

俺は歯を食いしばり、剣を構えたまま一歩退いた。

押し返せない。

どれだけ抗っても、ライガの力の前では俺たちはあまりにも無力だった。


「ルカ!」

マリーナが必死に俺を見上げる。

「お願い、今は生き延びよう……! あの人を止めるには、まだ力が足りない!」


「……ッ!」


胸が裂けそうに痛んだ。

だが仲間たちは既に満身創痍。

このまま戦えば、誰かが確実に死ぬ。


「……分かった。全員、退くぞ!」


「ちっ、判断が遅ぇぞ!」

カイが血まみれの口元で笑う。

「だがいい判断だ……行くぞ!」


ゴルドも肩で息をしながら頷いた。

「……次は、絶対ぶっ倒す……!」



---


俺たちは必死に道を切り開きながら、崩れゆく街を駆け抜けた。

背後で人々の悲鳴が響く。

助けを求める声に、足が止まりそうになる。


「ルカ!」

マリーナの叫びが俺を現実に引き戻す。

今は助けられない――それが、最も残酷な真実だった。



---


その時。


「……フフフ」


背後で笑う声が響いた。

振り返ると、炎を背にライガがゆっくりと歩いてくる。


「逃げるのか、ルカ」

その声は冷たく、しかしどこか挑発的だった。

「かつて共に笑った仲間が、今や俺から尻尾を巻いて逃げるのか」


「……違う!」

俺は振り返り、剣を握りしめた。

「俺たちは……お前を止めるために、生き延びるんだ!」


「ほう……」

ライガは口元を歪め、瘴気の剣を消す。

「ならせいぜい足掻け。俺が王となるその日まで……生き延びてみせろ」


そのまま彼は歩を止め、魔物たちを操って街を蹂躙させ始めた。



---


鐘が鳴る。

炎に包まれたベルダで、避難の鐘が鳴り響く。


俺たちはその音を背に、ただひたすら走り続けた。

悔しさと無力感を噛み締めながら――。


---


俺たちはボロボロの姿で、森の奥にある古い廃教会へと逃げ込んだ。

壁は崩れ、屋根の半分は穴が開いている。だが、雨風を凌ぐには十分だった。


「はぁ……はぁ……」

剣を握る手が震える。

肩で荒く息をしながら、俺は膝をついた。


「ちっ……情けねぇな」

カイが短剣を床に突き立て、苛立たしげに吐き捨てた。

「これじゃただの犬死に寸前だったな」


「お前だって血まみれだろ」

ゴルドが低く言う。

顔には大きな傷、全身には擦り傷と裂傷。

それでも、奴は斧を手放さなかった。


「……」

マリーナは黙って俺たちの傷を癒し続けていた。

だが、その瞳には涙が滲んでいる。


「マリーナ……」

俺が声をかけると、彼女は小さく首を振った。

「ごめん……私の祈りじゃ、街の人たちを……救えなかった」


その言葉に、誰もすぐ返せなかった。

あのベルダの光景――炎に包まれ、泣き叫ぶ人々、そしてそれを無慈悲に見下ろすライガ。

思い出すだけで、胸が潰れそうになる。



---


沈黙を破ったのは、ゴルドだった。


「……なぁ、ルカ」

「なんだ」

「お前、まだ……あいつを“仲間”だと思ってるのか」


俺は息を呑んだ。

仲間。

確かにライガはもう敵だ。俺たちに剣を向け、街を滅ぼした。

だが――俺の胸は、まだ「完全に切り捨てられない」と叫んでいた。


「……分からない」

俺は正直に答えた。

「だけど……信じたいんだ。あの夜、一緒に酒を飲んで笑っていたライガを」


ゴルドは深くため息をつき、そして大きな皮袋を取り出した。

酒だ。

血の匂いと煙に包まれた夜の中で、その香りがやけに懐かしく感じられた。


「なら、もう一度だ」

ゴルドは皮袋を回し始めた。

「俺たちがまだ生きてる証に、飲むぞ。……そして決めるんだ。次はどうするか」



---


酒を口に含んだ瞬間、喉が焼けるように熱くなった。

だがその熱は、不思議と心を落ち着かせていった。


「俺は……」

俺は拳を握りしめた。

「ライガを止める。敵としてじゃない……仲間として。絶対に、あいつの目を覚まさせる!」


「……ふん」

カイが鼻で笑った。

「無理だろうな。だが……そうやって馬鹿みたいに信じてるお前がいるから、俺は飽きずに付き合える」


「俺もだ」

ゴルドが酒袋を掲げる。

「力じゃ勝てねぇ。だが絆なら……負けねぇはずだ」


マリーナも涙を拭い、微笑んだ。

「……うん。絶対に、もう一度ライガと酒を飲める日が来るって、信じたい」



---


俺たちは杯を掲げ、声を揃えた。


「絶対に……ライガを取り戻す!」


その声は、廃れた教会の天井を震わせるほど力強かった。



---


だがその夜。


森の奥で、不気味な影がこちらを見つめていた。

漆黒のマントに包まれた謎の人物。

低く呟いた。


「……あの者たちか。ならば利用できる」


その存在に、俺たちはまだ気づいていなかった――。


---


翌朝。

廃教会の隙間から射し込む光で目を覚ますと、仲間たちはまだ疲れ切った顔で眠っていた。

俺だけが外に出て、冷たい朝の空気を吸い込む。


「……ライガ……」

胸の奥に燻る感情が収まらない。

怒り、悔しさ、そしてわずかな希望。

どうしても、あの夜の酒場での笑顔を忘れられなかった。


「……迷っているな」


不意に声がした。

振り返ると、黒衣の人物が木の影から姿を現した。



---


「誰だ!」

剣に手をかける俺に、その人物はフードを外した。

現れたのは、蒼白な顔をした中年の男だった。

瞳は鋭いが、どこか疲れた色を帯びている。


「安心しろ。敵ではない」

男はゆっくりと近づき、低く名乗った。

「……名をザハルという。かつて“裏ダンジョン”を調べていた者だ」


「裏ダンジョン……!」

その名を聞いた瞬間、俺の背筋が震えた。

あの場所こそ、ライガが“刻印”を手に入れ、変わってしまった元凶だった。



---


物音に気づき、仲間たちも外へ出てきた。

カイが短剣を向ける。

「何者だよ。怪しい奴だな」


「待て」

俺は手を上げて制した。

「……話を聞こう」


ザハルはゆっくりと語り始めた。


「裏ダンジョンはただの迷宮ではない。遥か昔、神と魔が争った跡地……“力の残滓”が封じられている場所だ」

「力の残滓……」とマリーナが呟く。


「そうだ。そしてライガが得た“刻印”は、その残滓の一部。宿した者を強大にするが、同時に心を蝕む。……おそらく、今の彼は完全に飲み込まれかけている」


俺たちは息を呑んだ。

つまり、ライガの変貌は必然。

放っておけば、完全に“人ではない何か”になってしまう。



---


「……助ける方法はあるのか」

俺は必死に問う。


ザハルはしばし沈黙し、低く答えた。

「一つだけ。――“対の残滓”を手に入れることだ」


「対の残滓?」


「力には必ず均衡がある。闇を制するなら光を……絶望に抗うなら希望を。それが存在するはずだ。もしそれを手にできれば、ライガを正気へと引き戻せるかもしれない」


「……!」

胸の奥で熱いものが込み上げてきた。

まだ、可能性がある。



---


「だが……」

ザハルの声は急に低くなった。

「その“対の残滓”もまた危険だ。扱いを誤れば、今度はお前がライガと同じ道を辿るだろう」


「……それでも構わない」

俺は迷わず言った。

「ライガを放っておくなんて、絶対にできない。どんな危険でも……必ず取り戻す」


その言葉に、仲間たちも頷いた。

ゴルドは拳を鳴らし、カイは呆れた顔で笑い、マリーナは祈るように胸に手を当てた。



---


ザハルはしばし俺たちを見つめ、やがて深く息を吐いた。

「……愚かだが、嫌いではない。ならば案内しよう。対の残滓が眠る可能性のある場所を」


「どこにあるんだ?」


「――古の遺跡、“黄昏の神殿”だ」


その名を聞いた瞬間、空気が凍りついた。


「お前たちが選んだのは、平坦な道ではない。血と謎にまみれた旅だ。……覚悟はあるか?」


俺たちは視線を交わし、力強く頷いた。


「当然だ!」



---


こうして俺たちは、ライガを救うための新たな旅路――

“黄昏の神殿”を目指すことになった。


だがその道行きの先で、俺たちが想像もしなかった真実と試練が待ち受けていることを、まだ誰も知らなかった……。



---


俺たちはザハルの案内で、黄昏の神殿へ辿り着いた。

荒野にそびえる古代の遺跡。

石造りの柱は半ば崩れ、空を突くような大扉には、古代文字がびっしりと刻まれている。


「これが……」

マリーナが息を呑む。

「伝承にしか存在しないと思ってたわ」


ザハルは静かに頷いた。

「ここに“対の残滓”が眠る。だが試練を超えねば辿り着けぬだろう」


俺たちは互いに視線を交わし、扉を押し開いた。



---


― 試練の間


最初に現れたのは巨大な石像。

人の形を模しているが、目には青白い光が宿っていた。


「侵入者ヨ、汝ラガ求メルハ希望カ、絶望カ」

低い声が響く。


「もちろん希望だ!」と俺は叫んだ。


「言葉デハ足リヌ」

石像が拳を振り上げた。


俺たちは全力で応戦した。

カイが素早く足元を斬り、ゴルドが渾身の斧を振り下ろす。

マリーナが光で俺たちを守り、俺は仲間の隙を繋ぐように剣を振るった。


長い戦いの末、ついに石像は崩れ落ちた。


「認メヨウ。汝ラノ絆ハ本物ダ」

その声と共に扉が開き、奥への道が現れた。



---


― 対の残滓


神殿の奥、祭壇にそれはあった。

淡い黄金色に輝く球体。

闇を吸い込むようなライガの刻印とは対照的に、温かな光を放っていた。


「……これが、対の残滓……!」


俺が手を伸ばすと、球体は俺の胸に吸い込まれた。

次の瞬間、体の奥から力が溢れ出す。

だがそれは暴力的ではなく、仲間の声や想いを増幅させるような優しい力だった。


「……ルカ」

マリーナが涙ぐんで笑った。

「その力なら、きっと……!」


俺は頷いた。

「行こう。ライガを止めに!」



---


― 最終決戦


ベルダ跡地。

今や廃墟と化した街の中央で、ライガが玉座のように瓦礫に腰を下ろしていた。

背後には闇の瘴気が渦巻き、彼自身もほとんど人ならぬ姿に変貌している。


「来たか……」

低く笑うライガ。

「愚かな旧友たちよ。まだ俺を止められると思っているのか」


「止める!」

俺は叫んだ。

「お前を殺すためじゃない。――取り戻すためだ!」


「取り戻す……?」

ライガの目がわずかに揺らいだ。

だがすぐに、闇がその光を飲み込む。


「ならば力で証明してみろ!」


戦いが始まった。



---


ライガの剣が振るわれ、闇が大地を裂く。

俺たちは必死に抗った。

カイが影のように背後を突き、ゴルドが正面から受け止める。

マリーナの祈りが俺たちを支え、俺は仲間の力を束ねるように剣を振るった。


だがライガは強すぎた。

押し返す度に瘴気が膨れ上がり、俺たちは追い詰められる。


「……無駄だ! 俺は世界を掌握する存在! お前たちの絆など、取るに足らん!」


「違う!」

俺は叫んだ。

胸の奥に眠る“対の残滓”が熱を帯びる。

「絆こそが、俺たちの力だ!」


光が溢れ出し、俺の剣を包んだ。

その輝きは仲間たちの想いと重なり、巨大な刃となってライガを貫く。



---


― 友情の帰結


「ぐっ……!」

ライガが膝をついた。

瘴気が剥がれ落ち、わずかに人の顔が戻っていく。


「ルカ……お前、なぜそこまで……」


俺は彼に手を差し伸べた。

「お前は俺たちの仲間だからだ。……一緒にまた、酒を飲もう」


ライガの瞳に涙が浮かぶ。

やがて彼は震える手で俺の手を掴んだ。


瘴気が霧散し、闇の刻印が消えていく。

そこに残ったのは――疲れ果てたが、確かに俺の知る“仲間”のライガだった。



---


― エピローグ


数週間後。

瓦礫の街には少しずつ人々が戻り、復興の音が響いていた。


俺たちは再び、酒場に集まっていた。

カイはやれやれと酒をあおり、ゴルドは樽ごと抱えて笑っている。

マリーナは穏やかな笑みを浮かべ、そして……ライガもまた、苦笑しながら杯を掲げた。


「まさか俺が止められるとはな……」

「当たり前だ。お前は俺たちの飲み友達なんだから」


笑い声が広がる。

血と涙を超えて、それでも最後に残ったのは――酒を酌み交わす仲間との時間だった。



---


こうして俺たちの物語は、一つの区切りを迎えた。

だが世界にはまだ未知の迷宮があり、新たな冒険が俺たちを待っている。


俺は杯を掲げ、声を張り上げた。


「次の冒険に――乾杯!」


【完】

ここまで読んでくれた方ありがとうございます!

酒場フレンズは完結しましたが他の作品も色々と投稿しているので是非見てください!

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