(11-3)
「ハーフォードから、言われたんだ。カンティフラスの王立学院に行ってみたら?って」
3人で食卓を囲んでいる。レンの好きな煮出しミルクティーと一緒に。レンの好きなオートミールクッキーをのっけて。
この子はいつか帰ってしまう。それを頭ではエイナルも理解していた。でも、完全に心が追いついていない。コハルも、同じような顔をしている。
「魔術科じゃなくて普通科に行けばいいって、言ってくれた。王立学院って世界でも先進的な学校で、授業を自分で選択できるんだ。各分野の専門家が出張授業もしてくれる。そこだったら機械工学だって、勉強できる」
「そうか。やりたいことが、定まったんだね」
「うん。本当は、一生、学校なんて行かないって思ってた。でも、気が変わった」
レンは深々とうなずいた。固く両手を机の上で組んで、しっかりと、向かいに座ったエイナルとコハルの目を見た。
「僕は、いろいろあって、本当は、あんまり人間が好きじゃない。でも、この灯台は、好きだ」
やわらかい笑みが、その顔に浮かぶ。灯台の生活を始めた頃のこわばって青ざめた顔とは、別人みたいに落ち着いた笑顔だった。
「エイナルとコハルも、いつの間にか好きになってた。そしたら、嫌じゃない人がどんどん増えて、どんどん楽しくなった。世界を、嫌いに、なれなくなった」
いつものように自分の背中のフードにおさまる黒猫を、首をひねって見てまた微笑んで、その頭を遠慮のない手つきで撫でる。
「今は、素直に守りたいなぁって思えるものが、増えた。それに、この灯台の生活をもっと良くできるなら、そのためにも、勉強したい」
「もう決めたんだね」
「決めた」
レンはきっぱりと、強い口調で言った。迷いがなかった。
「そうか。じゃあ……全力で応援する」
エイナルは立ち上がると、座るレンの頭をぎゅうぎゅうと抱え込んだ。今は自分の寂しさより、この子の未来の祝福だ。
「いってらっしゃい。いつ帰ってきても歓迎する」
「エイナルばっかりずるい!」
コハルも立ち上がると、エイナルと反対方向からレンとマッティに抱きついた。
「レンが帰ってくる時は、いっぱいお肉焼くからね。だから、安心して、いっぱい勉強してきて」
レンは言葉に詰まる。ただ、エイナルとコハルの腕に手を回して、自分の方にぎゅうぎゅうと引き寄せた。
人間たちが何か面白いことをしているとでも思ったのか、トピが駆け寄ってきてレンの膝に飛びのった。
タネリがエイナルの足の間からぐいぐいと体を捩じ込んでくる。無理やり伸び上がると、レンとエイナルの間に満足そうに挟まった。
タネリに置いていかれた子猫のリュッカが不満そうにみいみい喚きながら、エイナルの足をよじ登り始める。
「なんだお前ら、おしくらまんじゅうか?」
居間に入ってきたヘルッコが目を丸くした。
「そうかぁ。レン坊、帰っちまうのかぁ」
話を聞いたヘルッコも、特大の寂しそうな声を漏らした。
「それで、いつ行っちまうんだ?」
「3月上旬の船に乗ろうと思う。本当はハーフォードがここまで迎えにきてくれるって言ってるんだけど、一人旅してみる」
エイナルは目を見張る。陸路よりだいぶ時間がかかる。ずいぶんな長旅だ。
「船だとカンティフラスまで、1カ月以上はかかるよね?」
「3週間は船で移動して、そこでハーフォードが待っててくれる。船の中でじっくり勉強するよ。学院の編入試験が6月にあるんだ。受かったら、9月から入学することになる」
「そっかあ」
コハルがしんみりつぶやきながら、お茶のおかわりをみんなのカップに注いでくれる。
「しばらくレンに会えなくなっちゃうね」
「え、いや、合格決まったらすぐ戻ってくるよ?」
『は?』
3人そろって口をかぱーんと開けてしまう。
「だって、試験に受かったら、入学までは暇だもん。一番良い夏の季節をこっちで過ごせないなんて、もったいなさすぎるでしょ」
何でもないことのように、とんでもないことを言う。遠い遠いはずの距離も、レンにかかったら形無しだ。
「それから、学院って、毎年7月から9月上旬までは授業が休みなんだって。遠距離からくる学生も望めば帰省できるようにって。だから、毎年こっちに帰ってきても、いい?」
「おうよ!帰ってこい。うちの母ちゃんのミートパイが待ってるぜ!」
いたずらっ子のような笑顔のレンに、被せるようにヘルッコが答える。
「なんでヘルッコが先に言っちゃうんだよ!俺が真っ先に言いたかったのに」
エイナルはぼやいた。ぼやきながら、鼻をすすった。
「お前、なに半分泣きかけてるんだよ」
ヘルッコに笑われる。
「だって、帰ってきてくれるのかと思ったら、なんかもう、嬉しくって」
これ以上しゃべると本格的に泣いてしまいそうな予感がして、エイナルは膝の上のトピをよいしょと持ち上げると、その柔らかなお腹にずぼっと顔を埋めた。
思い切り吸い込む。干し草みたいな、良い匂いがする。少し気持ちが凪いだ。本当はコハルを吸いたいけれど、さすがに言えない。
「エイナル、何してるの」
呆れたレンの声が飛ぶ。
「猫、吸ってる」
「え?何で?」
「落ち着く」
「うそだぁ」
「なおーん」
もうそろそろ良いかね?と仕方なさそうにトピに鳴かれて、エイナルはそのお腹に頬ずりしてから降ろす。
ふと目をやると、レンがマッティの頭を吸っていた。
ぴたりと動かない。ひたすら無心で吸っている。
コハルとヘルッコが、吹き出しそうにぷるぷる震えに耐えている。
「気に入った?」
エイナルも、声が震えそうになるのを必死でごまかしながら、短く尋ねた。
「お日さまみたいな匂いがする。すごい。びっくりだ。生きててよかった。吸わずにいられない何これ」
「何だそれ」
あまりにうっとりとした調子に、耐えきれずに3人同時に吹き出した。
「レン、でも帰るとき、その子どうするの?」
笑いに腹を震わせながら、エイナルは大事なことを訊く。
「連れて帰るに決まってるでしょ」
独占欲まる出しの彼氏みたいに愛おしそうにつぶやいて、レンは再びマッティの頭に顔をうずめた。




