(11-2)
うん。確かに歓迎されているな。と、エイナルは思った。
サウナで使ってください、と、家政婦長が白樺の枝葉の束を桶に入れて渡してくれた。
白樺は落葉樹だ。秋になると、葉がすべて落ちてしまう。だから本当だったら、この時期、こんなに瑞々しい枝葉は手に入らないものだ。
領主館は、一年中、地下の貯蔵庫に氷をストックしている。白樺の枝も凍らせておいて、特別な来客のときに出すらしい。そんな貴重な枝葉でもてなしてもらえてありがたいのだけれど——
——ほかにも、その、なんだ、行きすぎたおもてなしがあるみたいだな。
と、エイナルは、先ほどうっかりサウナハウスの外に出て絶句した光景をあえて考えないようにして、ひしゃくの柄をぎゅっと握りしめた。
「このあたためた石に、水を撒くんだ。それで湯気を浴びる。やってみるよ。ほら」
レンにサウナの使い方を説明しはじめる。
桶の水をひしゃくで汲んで、ストーブで熱した石の上にかける。とたんにジュッっと湯気が沸き上がって、全身がしっとりとした蒸気と熱に包まれる。
「へぇ、そんなに熱くないんだね」
「そう。今はじわっと暖かい感じだろ。そのうち、体から汗も出てきて熱くなる。そしたら外の空気を浴びて冷やすんだ」
「こんな薄着で外に出るとか、ちょっと勇気がいるね」
レンは面白そうに自分の体をじろじろ見る。領主館のサウナ着は、半袖半ズボンだ。
「サウナって、もっと頭がクラクラするくらい暑いものなのかと思ってた」
「そういう国もあるみたいだけどね。ここではゆったり自分のペースで湯気を浴びて楽しむんだ。レンもやってみたら?」
ひしゃくを手渡すと、レンは嬉々として水を石に撒いた。
エイナルはそれを見ながら、上半身だけサウナ着を脱ぐ。水を入れた桶に突っ込んでおいた白樺の枝で、バサバサと自分の肩や胸を軽く叩いた。
「森の匂いがする」
鼻をひくつかせるレンに、彼の分の枝を手渡す。
「いい匂いでしょ?白樺が手に入らないときには、代わりにオイルを使ったりする。今日はこんないい枝を使わせてもらえて、ぜいたくだね」
レンは顔を近づけて、すうすう嗅いで、
「なんかスッとする。いいね、これ。面白い」
ぱたぱたと、夢中で服の上から叩いている。
ふたりで繰り返して水を撒き、湯気を浴び、白樺の枝を使う。肌がいい具合にほてってくる。体の内側にまで心地の良い熱が届いている感覚がある。
「よーし、そろそろ外で涼もうか」
エイナルは脱いでいた上着に袖を通す。
「何でわざわざ上を着直すの?もうそのままでも良くない?」
レンが上気した額に汗を浮かべたまま、ニヤニヤした顔で聞いてきた。ぜったいわざとだ。
「良くない」
エイナルは断固として答える。正直、いつもだったら裸だって気にしない。でも、今日はダメだ。というか、今日だけはダメだ。
レンの意味ありげな笑顔がますます深まる。
「良くないって何で? 外の温泉が、なぜか混浴し放題だから?」
「ほんとそれだよ!なんで今日だけ外の仕切り板が外されてるんだよ?!」
うっかり持っていた白樺を振り回して叫んでしまう。
丸太を組んで作られたサウナハウスの外は庭になっていて、露天風呂が掘ってある。温泉で満たされていて、体を冷やした後に入ると最高だ。男女それぞれ分かれている。本当は。いつもなら。厚い仕切り板で見えないようになっている。本当は。いつもなら。
「ヴィッレから聞いてないの?」
「聞いてない。というか、仕切り板がこんなに簡単に外せるようになっているなんて知らなかった……」
「いいんじゃない? コハルの入ってるお風呂が目と鼻の先でしょ。かわいいなぁ、って眺められるよ?」
男湯の10歩も離れていないところに、女湯が掘られていることを、今日、初めて知ってしまった。知りたくなかった。
「いや無理でしょ。眺められないでしょ。スイッチ入ったら困るでしょ」
「え?なんのスイッチ?」
「忘れて。聞かなかったことにして」
エイナルは頭を抱えてうなった。レンがけらけらと笑いだす。
「大人って大変だね。先に出てるね」
あっさりとエイナルを置いて、外に出ていってしまう。
「うわ、涼しい。気持ちいい! あ、なんだ。コハルとカンナ、もうお風呂入ってるの?早いね」
「サウナもいいけど、雪見温泉っしょ!入りながらそっちのジュース飲むと美味いよ」
「レン、汗びっしょりだねー。入る前に頭からお湯を浴びて汗を流すんだって。そうそう。隣に水桶もあるけど本当に冷たいから気をつけて」
ドアの外から、レンと元気なカンナとコハルの会話が聞こえてくる。
女の子ふたりで楽しく入りなよ、というヴィッレの配慮らしく、今日はカンナのメイド仕事はお休みだ。
コハルが温泉に浸かっているなら、大丈夫かもしれない。領主館の温泉は、白く濁ったお湯だ。その中に入ってくれていたら、たぶん平気だ。たぶん。
抱えた頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。無理やり髪をなでつけて、心を無にして、サウナハウスの外に出る。
「あ、エイナル出てきた。けっこう真っ赤っかだけど大丈夫?」
コハルのかわいい声が聞こえて、反射的にエイナルはそちらを見てしまった。
石造りの湯船のへりに、むき出しの両腕をかけて、その上にあごを載っけて、こちらを見上げている。
髪の毛はお団子にして頭の上にまとめていて、前髪がぺったりと額に入りついている。
ふにゃりとくつろいだ笑顔を向けられる。
あ、これはダメだ。
「うん、大丈夫」
それだけ何とか答えたエイナルは、そそくさと水を何杯もかぶる。それからざぶりと頭のてっぺんまで湯船に沈み込んだ。勢いよく浮上して、ごしごし顔を両手でこする。
落ち着け。とにかく平常心だ。無防備なコハルが凶悪なまでにかわいくて心臓がどうにかなりそうとか、素肌の二の腕初めて見たとか、できればもっともっといろいろ見たいとか、絶対に何が何でも考えちゃダメだ。
レンが、横からマグカップを突き出しながら、とうとう吹き出した。
「エイナル、全然大丈夫じゃなさそうだね」
「気づかなかったことにして」
「スイッチ入らなかった?」
「今、戦ってる」
受け取ったカップの中身を、一気にあおった。口の中に広がる酸味で、少し我に返った。
「美味しいね、これ。すもものジュースか」
「そうみたい。すっぱくって体が落ち着く感じがする」
「サウナで汗かいたから、余計に染み渡るねぇ」
ちらりと向こうを横目で見ると、コハルとカンナはいつの間にかふたりで熱心に話し込んでいる。どうやら話題は街でますます人気のカレー店のことらしい。
「え?カンナ、カレーの作り方、教えてもらいにいってるの?」
「そう!あたしが言葉を教えてあげて、代わりにレシピいろいろ教えてもらってんの。めちゃスパイス博士になってきた。すごくない?」
「そんなにスパイス使うのかぁ」
「もうねぇ、塊のやつから粉のやつまでとにかく種類が半端ねぇのよ。あれ最初に考えた人って、絶対ぶっちぎりで大天才」
「あれ、カンナ、あのコックのジェスパーさん、結構好みのタイプだって言ってなかったっけ?あっ、それでー?!」
「ばれたか」
「えっ?えっ?何?何?進展あるの?」
まったくいつもどおりのテンションの会話を聞きながら、エイナルはさらに少し落ち着いてきた。
ふう、と空を見上げた。
昼時の空だ。明るい。
「だんだん日が長くなってきたねぇ。嬉しいな」
「この国に来て初めて、太陽が待ち遠しい、って感覚を覚えたよ。すごく新鮮」
あからさまに現実逃避の話題を口走るエイナルを面白がる目つきで眺めてから、レンは手を頭上に突き上げて、うーんと伸びをした。
「こんなふうに空が高いってのも初めて感じたし、サウナと温泉でこんなにほぐれた気持ちになれるのも初めて知った。こんなに白いお湯があるのも知らなかった」
両手のひらをお碗のように丸めて、湯をすくっては眺めて、楽しそうにこぼす。
「知れば知るほど、今までの自分の世界が、すっごくちっぽけなものに思えてくるんだ。あんな狭いところに閉じこもっていなくてもよかったんだな、って思える。すごく、楽になる」
「そうか。楽かぁ」
「うん。すっごく」
ゆるんだ顔でうなずいて、レンは手のひらでぱしゃんぱしゃんと湯の表面をあちこち叩いて遊び始める。
「トピってさ、猫じゃらしを捕まえようとする時、こんな感じで上から押さえようとするよね」
「あはは、よく真似できたごほうびに、これをあげよう」
言うなり、組んだ両手の中にお湯を引き込んで、思い切り水鉄砲にしてレンの顔めがけて発射した。
「いひゃっ!何それ!」
「水鉄砲」
不意を突かれて妙な声を上げながら、レンは頬を押さえてエイナルの両手を凝視している。
「え、何で?どうやってそんな勢いよく水をピュッて飛ばせるの?」
「それはね、手の形をこうしてから……」
水鉄砲のやり方を、ゆっくり教えてあげる。レンは信じられないとでも言いたげな顔でエイナルの真似をして、ひゅるんと小さく水を飛ばした。
「僕のじゃ、あんまり飛ばない……」
「訓練が必要だな。お風呂のたんびにやってたら、そのうちレンも達人になれるよ」
その言葉に重ねるようにして、エイナルの大きな手が勢いよく何発も水鉄砲をレンにぶつける。
「わ、ちょ、やめてって、わぁ、ちょっと!」
陽気な悲鳴を上げながら、吹き付けられる水を何とか腕で防ごうとバタバタするレンと、何とか彼に当てようとニヤつくエイナルとの間で、しばらくの攻防戦が続く。
「いいなぁ、レン、楽しそうー。エイナル、こっちにも水鉄砲ちょうだいー!」
手を振るコハルに、エイナルは思いっきり特大の水鉄砲をお見舞いした。弓なりに飛んだ水は、何とかコハルにちょっとだけ届いて、彼女がきゃらきゃら笑う。いやもうだから……無防備すぎるんだって!
エイナルはざばりと湯船から上がると、「サウナいってくる!」と身を翻した。
「あ、逃げちゃった」
レンの小さな声には、気づかなかったことにした。
そんな具合で、繰り返してサウナと温泉とでいい汗を流す。
そのうちにレンが、
「お腹すいた。もうだめ。溶けちゃう」
とか何とか言い出して、サウナタイムはそこでお開きになった。
領主館の料理人が腕を振るってくれたステーキをお腹にいっぱい詰め込んで、帰りには焼き菓子のお土産までついてきて。
「エイナル、顔色が良くなった。ほんとよかった」
コハルがそんな安堵のため息をつくくらい、帰る頃には、すっかりエイナルの疲れは癒やされていた。
——別の意味で、いろいろ疲れたけれど。何とか危ういスイッチを入れずに済んだ自分を褒めてあげたいけれど。本当はコハルと一緒に温泉に入りたかったとか、そういうのは、来年だ!また来年!
「はぁ、なんか、体の悪いものが全部抜けてったみたい。すごく、全身軽い。こんなの初めてだ」
3人並んで歩く帰り道。
すっきりした顔のレンは、ぴょんっと軽くひとつ飛んだ。
「今ならどこでも、何でもできちゃいそう。僕、そろそろ帰ろうかな」
『……え?』
揃って口にして立ち止まったエイナルとコハルに、レンは軽々と、晴れ晴れと、笑いかけた。
「だからさ、帰ろうと思うんだ、僕。カンティフラスに」




