(10-6)
1月の後半は、サムエルの起こした事件の後始末で、大変な騒ぎになった。いろいろありすぎて、エイナルの記憶はところどころが飛びとびだ。
それでも、騒動から一夜明けた日のことは、一生忘れないと思う。
とにかくサムエルを沿岸警備隊に引き渡して、淡々とすべてを伝えた。
その敷地から一歩出た瞬間——
エイナルは完全に舞い上がった。
だって、今までずっと重くまとわりついてきた厄介ごとが、とうとう去ったのだ。
体がやたら軽い!飛べそうなくらいに軽い!
意味なく走りたくなって、沿岸警備隊から灯台までの道を走って帰った。雪があるから当然転ぶ。それさえも愉快で、転がりながらゲラゲラ笑った。
道ゆく街の人たちがびっくりしながら、転んだエイナルに手を差し伸べてくれる。それをつかんで勢いよく立ち上がって、ついでに勝手にハイタッチして、また走る。
そのまま雪まみれで家に飛び込んで、コートや帽子を玄関に脱ぎ散らす。
迎えに出てくれたコハルを、勢い止まらずぎゅうぎゅう抱きしめた。
「コハル!コハル!俺どっちでもいいから!」
「え?何が?」
腕のなかのコハルがぽかーんとしている。
「びっくりしているコハルもかわいい。もうもう、コハルは何でもかわいい!」
「え?え?エイナル?どしたの?壊れた?」
慌てたコハルが、エイナルの冷え切ったおでこや頬を両手でペタペタ触って確かめる。
その手をむんずとつかんで、ちゅっと音を立ててキスを唇に落とす。
「コハルだったら俺、なんでもいいんだ!どんな力があってもなくても!」
彼女が息を飲んだ。瞳に動揺が走る。それを逃さず、至近距離から視線を絡める。
「コハル、きっとレンとおんなじ力を持ってるんでしょ? でも俺、本当にどっちでもいいんだ。家に帰ったら真っ先に伝えなきゃー!って思って!」
「ど、どうして」
「俺にどうやって伝えようか悩んでそうだなぁって。さっき沿岸警備隊にいたとき、そればっかり気になってさ」
「な、なんで、悩んでるってわかったの?!」
「あ、やっぱり?よかったぁ、先手打てて!だって、今朝、ちょっと口数少なかったでしょ」
レンがあれだけ隠したがっている特別な力だ。
コハルだって、いろいろ考えて悩んでしまって当然だ。
つかんだままの彼女の両手を、あえておどけて軽く振ってみせる。
「もし、コハルがその力を伸ばしたくてどこか遠くに行きたいなら、俺も付いてくから」
「え、え、でも、灯台のお仕事は?!」
「ヘルッコがいるし、実はヘルッコの息子たちもイストもヴィッレも出来るんだ、灯台守の仕事。母さんの手作りおやつに釣られて、子どもの頃からうちの親父に仕込まれてたから」
「そうなの!?」
「もし俺が王都で兵士を続けてたら、ヘルッコの息子の誰かが灯台守になってたよ」
くすくす笑って、エイナルはこつんとコハルのおでこに自分のそれをくっつけた。
「灯台守はとても大事な仕事だし、誇りを持ってる。だけど、本当は俺じゃなくてもよかったんだ。でも、コハルの隣は、俺じゃなきゃ嫌だ。それだけは、俺の特権にさせてほしい」
目の前のコハルの美しい黒い目に、みるみる涙が盛り上がる。
こぼれ落ちたそれを、そっと親指でぬぐって、エイナルは尋ねる。
「どう思う?」
「エイナル……大好き!!!」
いったん体を離したかと思うと、頭突きされるような勢いでコハルの全身がぶつかってくる。
「うおっと!」
あまりの勢いの良さに、エイナルはのけぞりながら、コハルをあらためて抱き留めた。
でも、それより何より、コハルの生声で!生大好き!初めて聞いた!生大好き!!
あまりの衝撃に、ぶるっと全身震えが走った。
生大好きの威力が強すぎる。もう、頭からばりばり食べちゃいたいくらいにかわいすぎる!!
「でも、私、どこにもいかない。ここにいたい。灯台が好き。このお家が好き。自分なりに、守りたい」
鼻をすすりながら、コハルはエイナルの顔を見上げた。
「このままここで働きたい。でも、とっさに強く願ったりすると、魔法の力が無意識に出ちゃうみたい。それでも、いい? この力があるせいで、いつかエイナルに、迷惑をかけちゃうかもしれない」
ためらいの気持ちが、彼女の声を揺らす。コハルの不安を分けてほしくて、唇を軽く押し付ける。
それからエイナルは、明るく笑い飛ばした。
「迷惑だなんて思わない。それに、もし本当にコハルがピンチになったら、ふたりで逃げちゃえばいいよ」
「に、にげ……?!」
「すたこらさっさーって、ふたりで逃げる。結構楽しそうじゃない?それで、世界をぐるーって回る。あ、ハーフォードさんにも一度ご挨拶してみたいしね!」
「レンとタネリとトピとリュッカとマッティは?」
「よし、じゃあ、みんなでまとめて逃げちゃおう!」
「それ、もはや家族旅行じゃない?」
「いいねぇ、家族旅行!」
顔を見合わせて、ふふっと笑った。
笑い出したら何だか止まらなくなって、ふたりでとめどなく、笑い疲れるまで笑い続けた。
結局、何があってもエイナルとコハルは、いつの間にか笑っている。
きっと一生、こんなふうに笑っている。
事件の事後処理は、確実に進んでいった。
放火については、あれだけ派手な炎が上がっていたにもかかわらず、家の外側はまったく何も燃えなかった。煤で黒く汚れただけだ。
代わりに、家に潜ませていたレン特製の魔法陣が、何枚か焦げたり、灰に変わっていた。
灯台守の家族だけの秘密だ。誰にも言っていない。
この魔法陣がなかったらどうなっていたか。
ぞっとしながら、エイナルは丁寧に灰を掃き取った。
何でもないような顔をして、レンが新しい魔法陣を書いた紙を黙って置いてくれた。
「本当にありがとう」
「何のこと?」
そう返すレンの目が笑っている。
さらにありがたいことに、子猫の昼寝スケッチは無事だった。レンが魔法陣を裏に隠した例の絵だ。
「リュッカは幸運の猫ちゃんだ!」
コハルはそう言いながら、リュッカの首に、真新しい赤い首輪と金色の雫型のガラスをつけてあげていた。
レンとコハルとエイナルがお揃いで持っているお守りペンダントと同じガラス細工だ。事件を知ったハーフォードさんから、すぐに送られてきたのだ。家族みんなを守れますように、と。
タネリのためには、トピの毛皮みたいなオレンジ色の雫ガラス。
トピのためには、タネリみたいな黒の雫ガラス。
いつもつけている茶色い首輪に、ぴかぴかのガラスチャームをぶらさげてあげると、タネリとトピはしばらく不思議そうな顔でうろうろして、それからすっかり落ち着いた。
ガラスに込められている守護の魔力を、なんとなく感じ取ったのかもしれない。
ちなみに、マッティのためにとプレゼントされたのは、ブルーグリーンの首輪に、白銀色の雫型ガラスだった。
「どうみても、レンの眼と髪の色だね。ラブラブ!」
コハルにからかわれて、レンは「ちっがーう!」と首を振っていた。けれど、陰でこっそりマッティの首元のガラス細工をつついては、満足そうに口元をゆるめていることをエイナルは知っている。たぶんコハルも知っている。
「レンってさ、彼女ができたらめちゃくちゃ夢中になってお世話して執着しそうだよね」
コハルがこっそり囁いてきて、エイナルは吹き出さないように腹筋に力を入れるので必死になった。
レンの迅速な消火魔法のおかげで、家の外壁にぶちまけられた油が燃え残っていた。
そこから、サムエルが沿岸警備隊から船の燃料油を盗み出し、灯台の家に撒いたことがあっさり判明した。
サムエルはいずれ、王都に移送される。
今は牢屋の中で、「悪い魔法使いたちに酷い目にあわされた」とか「凶暴な犬に襲われたから治療しろ」とかさんざん騒いでいるらしい。その言い分はすべて無視された。
だって、灯台にいるのは、エイナルの手伝いのメイドと療養中の少年だけだ。
第一、サムエルの肌にも服にも、犬に噛まれた傷など一つもついていなかった。
「悪い魔法使いとか、どれだけおとぎ話にかぶれてるんだろ。せっかく傷を治してあげたのにさ。むしろすっごく親切じゃない?」
レンは白々しくつぶやきながら、療養中の少年らしく、数日熱を出して寝込んだ。ひさびさに魔力を使い過ぎたのが、体に堪えたらしい。
ベッドで安静にするしかないレンは、いかにも退屈を持て余した悪い魔法使いみたいな顔で言う。
「あの日の証言が必要だったら、いつでも呼んでね。こっそり魔石に音声を記録した」
「すごいなレン!」
「凄くない。これだっていずれ誰でも使える技術にしないと」
「そうか。やっぱりすごいなレン」
エイナルは素直に感心した。
その日、レンが話したことを、最近のスケッチと一緒にカンティフラス王国に送った。
しばらくして、ハーフォードさんから長い手紙がレンに送られてきた。
それから、レンは、しばしば考え込むようになった。




