(10-1)
新年最初のごちそうは、大皿山盛りのマッシュポテトとソーセージだ。
朝の仕事を済ませてエイナルとレンが灯台から降りてくると、コハルが張り切って食卓にずらりとお皿を並べてくれていた。
その足元で、タネリとトピとリュッカがうろうろしている。興奮したタネリのしっぽがパシンパシンとコハルの足を叩く。『痛いいたい』と口だけ動かしながら、コハルが笑っている。
ひとまわり体の大きくなった子猫のマッティは、迷わずレンの体をクライミングして背中のフードに潜り込んだ。「重っ」とつぶやきながら、伸ばしたレンの手が、子猫の頭をそっと柔らかく撫でた。
一年の最初の日から、我が家は平和だ。
エイナルは、あたたかな喜びを噛み締めながら、食卓につく。向かいにレンとコハルが座る。
「新年おめでとう。今年もよろしくね。それじゃ、いただきます!」
『いただきます!』
酸味の爽やかなこけもものジャムや、ピリリと辛いすりおろしのホースラディッシュを添えながら、ソーセージをもりもり食べる。
コハルの作ってくれたマッシュポテトが美味しすぎて、レンとエイナルは争ってがつがつと口に運んだ。
こういう大皿料理だと、気を抜くとあっという間にレンに食べ尽くされるのだ。食事も真剣勝負みたいなことになる。
犬と猫たちも、ペチカの前で自分たちのごはんを美味しそうに平らげている。
コハルはくつろいだ笑顔でゆっくりと、自分の皿に取り分けた分を味わってから、デザートに焼きりんごを出してくれた。ふっくら泡立てた生クリームまでついている。
美味しいし素敵すぎるしかわいすぎるし抱っこしたいし。早く嫁になってほしい!
「エイナル、顔が気持ち悪い」
ばっさりとレンが切り捨てた。
「えっ、どういうこと?」
「鼻の下伸びすぎ。どうせコハルがかわいいなぁとか考えてたんでしょ」
「えっ、まぁ、それはそうなんだけど……これは何?」
目の前に、茶色の小封筒が突きつけられている。コハルにも、同じものが手渡されている。
「……新年の贈り物。するんでしょ?」
もそもそと、目を逸らされて告げられる。
確かに新年には家族でプレゼントを贈り合う習慣がある。
でも、まさかレンから真っ先にもらえるなんて!
「感動だ!」
「なっ、なにが?!」
「レンがかわいすぎる!」
「馬鹿じゃないの?!」
蒸発しそうに茹で上がっているレンを眺めながら、エイナルはニコニコが止まらないまま、その封筒を開く。
中から、ころんと出てきたのは——
「これって、あの、お守り?」
「そう。ハーフォードに頼んで作ってもらった。僕も少し追加で祈っといた」
嵐の日にレンが貸してくれたお守りのガラス細工とそっくりのものだった。
革紐がついていて、ガラスのペンダントヘッドは小ぶりな雫型をしている。
レンのは青色だったけれど、エイナルのものは新緑の森の色。
コハルのは、灯台の屋根の赤と白い雲を混ぜ合わせたような、やさしいピンク色だった。
『すごい……』
コハルがそのペンダントを上にかざしながら、口を動かした。
『きれい。あたたかい……』
エイナルの手のひらには、ひんやりとしたガラスの手触りが転がっている。
でも、コハルの言うとおりだ。レンとハーフォードさんの心が伝わってくるようで、とても、あたたかい気持ちになる。
レンは、覚悟を決めたように、しっかりとエイナルの目を見た。今度は逸らさず、言い切った。
「これで、あのサムエルとかいう奴にも絶対負けない」
その気持ちが嬉しくて、エイナルはもらったばかりのペンダントを手の中に握り込んだ。そこにこめられた重みを、何度かこぶしを振って確かめる。
「そうだね、ありがとう。絶対負けない。大丈夫だ。レンの趣味の落書きもあるし」
そのまま壁の絵に目を走らせる。
相変わらず、貼られたスケッチが少しずつ増えたり、入れ替わったりしている。
そのうちの1枚の裏に、レンの描いた落書きがあった。
描いた本人は、落書きだと言い張っている。
しかし、エイナルの目には、どう見ても魔法陣のようなものにしか見えない。
サムエルが何かよからぬことを企んでいそうなことは、先月、ヴィッレとイストが帰っていったその日のうちに伝えていた。
レンは黙って聞いていた。
話が終わると、食卓に出しっぱなしだったスケッチブックをおもむろに取り上げ、鉛筆をさらさらと走らせはじめたのだ。
それをエイナルとコハルは息を飲んで見守った。
複雑な文字のような、模様のようなものが、細かく細かく連なっていく。
迷いなく、まるで踊るように鉛筆が動いて、やがてひとつの円陣を描いていく。
エイナルのこれまでの生活にはない、不思議で繊細な模様だった。美しい芸術品みたいだ。
なんとなく、似たようなものを、物語の本の挿し絵で見たことがあるような気がする。
「レン、それって……」
「単なる落書き。厄払いのお守りがわり」
短く有無を言わせぬ調子で言い切ると、レンはそのページをスケッチブックから切り離して、エイナルの前に差し出した。
くるりと裏返す。白い紙を指さしてみせる。
「なんか描いて。いつもみたいに」
「なにか、って」
「なんでもいいよ。でもじゃあ……あれ描いて」
レンの視線の先には、ハスキー犬の大きな体をベッドに寝ている子猫のリュッカがいる。おへそを天に向け、手足をだらんと伸ばし切って。すぴーすぴーと熟睡している。
確かに、あれはスケッチに残したい。言われたとおり、エイナルは鉛筆を動かした。
描き終わると、レンは受け取って「いい絵だね」と少し口元をゆるめた。
リュッカの絵を表にして、壁のボードにピンで止める。裏側のレンの「落書き」は完全に隠れた状態だ。
『魔法陣、きれいだったのに』
コハルが少し残念そうに息を漏らした。
「何のこと?これは単なるいたずら書きだよ」
あくまでそう言い通しながら、レンは追加で何枚か描いた。
残りは壁と棚の間に隠したり、玄関の花びんの下に折りたたんで潜ませたり。
ひとしきり家の中に、魔法陣にしか見えないその紙を隠す。
「これで大丈夫」
満足そうにうなずいてから、レンは、ぱちんとひとつ、指を鳴らした。
そのとたん、貼られたばかりの壁のスケッチが、ぼうっと一瞬だけ青白く力を帯びて光った。のは、幻ではない、はず?
コハルの目が、丸くなっている。
見間違えじゃないよね?ととっさにエイナルを見たその目が問いかけるから、エイナルもとっさにうんうんとうなずいた。
コハルも見ているなら、絶対に見間違えてはいない。レンが、何か不思議な力を使って、この家を守ろうとしているのだ。たぶん。
でも、それ以上、レンは何も言わなかった。
だから、何も問い返さずに、今日までそのまま過ごしている。ときどきレンの「落書き」が隠された絵を眺めて、心強く思いながら。
きっとこのペンダントは、あの日から続くレンの気持ちの結晶だ。
エイナルは、革紐をさっそく首から下げて、ガラスの雫をシャツの中に大事に隠した。
ぽんぽん、と、服の上から手のひらで叩いて胸を張る。
「ありがとう。大事にする」
コハルも同じように服の上に手を乗せて、柔らかく嬉しそうに微笑んだ。
『ありがとう。レンいい子!大好き!』
くっ、と息を詰まらせて動揺したレンは無言のまま、ただ盛大に食後のミルクティーを煽った。
コハルがくすくす笑いながら、おかわりをポットから注いであげている。
「じゃあ、俺からも。こっちがレン。こっちがコハル」
エイナルは、椅子の上に用意しておいた包みをふたりに渡した。
「……手袋だ」
レンが、開いた包みをじっと見た。革手袋だ。
「仕事の手袋、俺のお古を使ってるだろ。そろそろ自分用のを持ってもいい頃合いだと思って」
エイナルは、少年の頃、灯台の仕事をひと通り覚えた時期に、父親から新品の手袋をもらった。今、レンが使っている手袋だ。
一人前と認めてもらえたみたいで、とても嬉しかった。自分がひとまわり大きくなったみたいに思えた。
だから、レンにもあげたかったのだ。
おそるおそる手袋を持ち上げると、レンはそっとそれを握りしめたまま、固まっている。きっと、エイナルの気持ちは伝わっている。
微笑んで、コハルに目を移す。
彼女はさっそく、もらった手袋を手にはめて、何度も手の甲と平をひっくり返しては眺めている。
コハルのは、ウールの手袋だ。薄手の防寒用だった。春先まで使えるし、真冬の厚手の手袋の下にも着けられる。
紺色で、雪の結晶が刺繍されていた。
コハルは初めての雪に感動して以来、しょっちゅう見とれている。彼女の好きなものを贈りたくて、自然とこの手袋を選んで買っていた。
『きれい、ありがとう』
コハルはその結晶の刺繍を顔に寄せると、とても大切そうにそっと頬ずりした。あまりにも幸せそうに笑うから、エイナルは自分が手袋になりたくなった。ずるい。刺繍だけじゃなくて、俺にも頬ずりしてほしい。
そんなエイナルの気持ちは残念ながら伝わらず、コハルは窓際に置いていたカゴの中から、リボンのかかった包みを渡してくれた。
中から出てきたのは、えんじ色の毛糸のマフラーだった。
「これ、編んでくれたの?!」
恥ずかしそうに軽くうなずいて、コハルは包みのなかに一緒に包まれていた封筒をちょんちょんと指で示した。
開いてみる。コハルの字で、丁寧に綴られていた。
エイナルへ。
新年おめでとう。
いつもいつも、一緒にいてくれてありがとう。
服屋の奥さんに教えてもらって、初めてマフラーを編んでみました。
灯台の屋根みたいな明るい赤の毛糸がなくて、少し落ち着いたえんじ色になりました。
3人でお揃いにしてみたの。今度これで街にごはんにいきたいな。
今年もたくさん、エイナルと思い出になることをしたいです。
どうぞよろしくね!大好きです。
愛をこめて。
コハルより。
エイナルは3回読み返してから、ようやっと顔をあげた。
ゆっくり自分の首に、コハルの編んでくれたマフラーを巻いた。
絶対これを着けて街を歩く。見せびらかす。自慢する。俺の嫁が編んでくれた、って正式に言いふらせる日がなるべく早く来てほしい。
「ありがとう。ああもう、一生外したくないな」
『おおげさ!』
「いや、ほんとに。コハルとレンのおかげで、この一年、無敵で過ごせる気がする」
「そうやって、ひとりで勝手にしみじみしてるのはいいんだけどさ」
レンは、すっかり呆れた口調で肩をすくめる。
食卓に飾られた小さなカゴに、腕を伸ばす。つんつんとつついた。
「僕、けっこうこれ、気になってるんだけど。やらないの?」
「そうだった!うっかりしてた!メダル占い!これがないと一年が始まらない」
エイナルは勢いよく立ち上がった。
「さぁ、誰から占おうか?!」




