表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯台守の十二か月〜いけにえ少女と最果てスローライフ  作者: コイシ直
第8章 11月 嵐のあと〜新入り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/47

(8-1)

 

 エイナルに、石板を買ってもらった。

 古いものを、結局返してくれなかったからだ。

 木枠までぴしりと新しい石板を眺めて、コハルは嬉しくてしょうがない。


 今も、声が出ないままだった。原因がわからない。医者に診てもらったけれど、体は健康そのものだった。


「いままで頑張りすぎてた反動じゃないの? 心と体が疲れてバランスがおかしくなってるんだよ」


 レンはそう言いながら、ぎこちない手つきでハチミツたっぷりのミルクティーを作って出してくれた。


「いろいろありすぎたしなぁ……。雪も降り始めたし、ゆっくり冬が深まるのを楽しもうか」


 エイナルはそう言いながら、腰を浮かせかけたコハルの肩を、そっと押さえた。お茶菓子を取ってこようと思ったのに。すとん、と今までくつろいでいたカウチに逆戻りしてしまう。


 エイナルが運んできた大皿が、ローテーブルに載せられる。

 山盛りのチーズに、スライスパンとハムも添えられている。

 お茶請けというより、もはや食事だ。


「わーい、お腹すいてたんだよねー」


 レンがさっそく手を伸ばしてパクつき始めた。


 エイナルは、コハルの側にくっついて満足そうな猫を持ち上げる。

 代わりに自分がぴったりコハルにくっついて、満足そうに座った。

 ごつごつと硬いエイナルの膝の上に強制的に降ろされたトピは、「ふなーう」と不満げに体をよじり、飛び降りる。

 エイナルのズボンには、長いオレンジの抜け毛だけが残された。


 コハルは服用のホコリ取りブラシを取ってこようと、また腰を浮かせる。

 すかさず伸びてきたエイナルの右腕で、肩を抱き込まれる。立ち上がれない。


 さすがにふくれたコハルは、真新しい石板に文字を書いた。


《やることがない》

「いや、あるある。今はこれを食べて、しっかり休むのがコハルの仕事」


 エイナルはひょいっとチーズをつまみ上げる。そのまま口元に押し付けられた。

 ありがたくパクりと食べると、ほんのり塩気と牛の乳の甘みが口いっぱいに広がった。おいしい!


「おいしい、って顔に書いてあるなぁ」


 笑いながら、エイナルもチーズを口に放り込む。 


「うん、おいしいね」

《おいしい》

「幸せだねぇ」


 コハルとエイナルは顔を見合わせて、ふふふと笑った。

 レンが天井を仰いでぼやいた。


「君たちさぁ、すーぐに僕を置いてふたりだけの世界にいっちゃうよねぇ」


 エイナルは、ぐっとコハルを引き寄せる。


「まあね!」

「得意げに言われましても」


 レンはげんなりと喉を鳴らして咳払いした。

 最近、レンはこんなふうに、喉の調子を試すような咳をする。コハルは心配になる。


《レンこそ大丈夫?声、かすれてない?》


 石板を読んだエイナルが、ひょいっと肩をすくめた。


「声変わりの時期なんだろ。一応、医者に見せるか?」

「なにそのやる気のない態度!コハルの時は悲壮な顔して医者にすっ飛んで連れていったくせに」

「コハルはコハルだからしょうがない」


 思いを通い合わせてから、エイナルはコハルへの気持ちをまったく隠さなくなった。堂々と、ダダ漏れだ。

 レンは、あきれた顔で喉を撫でた。


「あーはいはい、そうですか。でもこれ、やっぱり声変わりの始まりってやつなの?」

「そうだと思うよ。俺は落ち着くまで半年くらいかかったなぁ」

「半年も続くの?!もう『僕かわいいから許してね!えへへっ』って言い逃げする戦法が使えなくなるってこと?やだなぁ。不便すぎる」

「お前はすでに十分デカくてかわいくないから安心していいよ」

「ひっどーい!」


 仲良くぎゃあぎゃあと言い合うふたりを見て、コハルはにこにこと甘いミルクティーを飲んだ。


 ここに残れて、本当によかった。


 先月の末、新しい大きな船がやってきて、残っていた座礁船のメンバーは全員乗り込んだ。


 最後の日、コハルは炊き出しで仲良くなったメンバーと一緒に、彼らの旅立ちに立ち会った。


 船の料理人のうち、いちばん若い男は、すっかりこの街が気に入ってしまったらしい。そのまま残って店を開くことになった。

 カレーの店だ。


 なんと、座礁船を所有している商会と交渉して、スパイスとコメを手頃な値段で仕入れられることになったという。カンナが大興奮していた。きっと流行(はや)ると思う。


『今度来た時は、店に寄ってくれよ』


 そう言いながら、彼は船乗りたちとがっちり抱擁を交わしている。


 たった一日の嵐をきっかけに、変えられる人生があるんだな、とコハルは思う。流されて変わってしまう、のではなく。みずからの心で変えられる、生きる道。


 あの料理人のお兄さんもそうだし、コハルもそうだ。


『結局、コハルを口説き落とせなかった!』


 ムツキはあっけらかんと叫んで、周りの船乗り仲間たちを笑わせていた。


 でも、誰も彼もが乗船準備で慌ただしい隙間に、こっそりささやかれる。


『俺、あと1年、船に乗ることにしたから』


 コハルに向けられた黒い目は真剣だった。


『また、1年後に、この港に来るから。もしそれまでに気が変わったら、一緒に帰ろう』


 コハルは、笑って首を横に振った。

 ムツキに、あらかじめ書いておいた一枚の紙を渡した。


『良い航海を。海の神のご加護があなたにありますように。故郷でどうぞお幸せに』


 初めてマルタ帝国語を書いた。領主の息子のヴィッレに教えてもらった。


 ムツキは、一瞬くしゃりと顔を歪めてから、明るく笑って丁寧に紙を折りたたむ。胸元にしまって、とん、とそこを拳で叩いた。


『国の巫女に加護を祈ってもらえたから、俺の航海は安泰だ!じゃあな、コハル!また会おう』


 振り返らず、まっすぐに仲間のもとに向かう背中はたくましい。

 子どもの頃に国を飛び出して船乗りになったという人だ。最初は言葉も分からなかっただろう。

 ムツキは、船乗りの中でも、かしこく状況を読んで立ち回って、決して敵を作らない。

 いろんな思いと苦労を抱えた人だというのは、短い日々の中でもなんとなく伝わってくるものがあった。


 いつの間にか、すこしだけ、ちょっとだけ、勝手に、同志みたいに感じている。


 彼には、何があっても負けない心の強さと前を向く力がある。尊敬するし、コハルもそうなりたい。


 コハルは出ていく船を、大きく手を振って見送った。


 それからは、灯台でゆっくり暮らしている。


 以前と変わったことといえば、仲良くなった奥さんや女の子たちと、よく集まるようになったことくらいだ。

 誰かの家に集まって、裁縫や料理をおしえてもらったり、単にお茶を飲みながらおしゃべりしたり。


 日常が戻ってきた。

 初めてコハルが望んで手に入れた、日常だ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ